言葉の暴力も含めて、母親から幼児期から少女期にかけ、そして
大人になってからも受け続けた虐待について、体験をいまだ
コメント欄に頂いています。
公開を望まないコメントばかりなので、お応えも致しづらくただ漠然と
お返事を差し上げているだけですが・・・・
これが虐待、と定義できるごときキーワードを幾つか拾えたので、私なりの
考察も含め、整理してみます。
被虐待者の特徴。おとなになってからも。
■心が重く晴れ晴れとせず、この世を生きづらく感じる。
■実は腹から笑ったことがない。(本人、自覚していないことが多い。
何らかのきっかけで、一瞬母親からの影響を脱した瞬間、
笑って、その笑いが純粋であることに気づいて、自分でびっくりする
ケースが有る)
■親から否定され続けてきた結果、自己肯定感が低い。
■親の虐待という現実から目を背けて来た結果、他の現実とも直面できず、
どこか現実感が希薄な生を生きさせられている。
■不安定で悪しく女性的な母親の、感情のはけ口に使われてきた。
■とりあえず世間的な基準から見れば、大事に育てられたのに、
何かしら、まっとうな愛情を得たことがない・・・・という心の飢餓感がある。
■愛し愛される伴侶と巡りあったら、その飢餓感が癒やされる、と
信じていたが、いざ巡りあってもそれはそれ、満たされながら
親への飢餓感はそのまま残っている。相手が親としての包容力を
持てる人なら、多少は補えることもある。
■ある人間を一見正当に批判する時、対象は男女問わずだが、女性に対してより批判がきつく、その批判には個人的憎悪さえ伴うことがあり、これはその女性に母親を重ねている。
■男児の場合は女性の肉体に、長じても嫌悪感を抱くことがある。「あの、アマの腹の中にいたかと思うだけで、吐きそうなくらい気持ちが悪い」と顔を歪めた、ある50歳代の知識人の方の告白を聴いたこともある。
・・・・・・・・・・とりあえず、現時点ではこんなところです。全ての要件が
被虐待者にあてはまるというわけではなく、特徴を何種類か
抜き出してみただけのことなのですが。
スピ系ヒーリングに走り、インナーチャイルドの癒やしを試みる
人も多いのですが、上手くいったためしを知りません。
それほど根深いのです。またヒーラー自身が被虐待者でないと、
気持ちが解らず、ごく浅い理解しか持てないので、かえって
「誰にも理解してもらえない」というトラウマを持つことさえあります。
自らが虐待された体験を持たぬまま、薄っぺらく「許し」などを
説くので、許せないそのことに葛藤が更に生じたりします。
自分が虐待してきたのではないか、というお母さんからの
書き込みを頂戴することもありますが、いずれも虐待などと
いうレベルではありません。たとえ手を上げようと根底に
愛のある無しが分かれ目なのであり、また反省し自らを
省みる親は、虐待などしません。
虐待親の顕著な特徴の一つは、「私は悪くない」と思い込んで
いることです。「あなたが、いい子ではなかったじゃないの」
「私の至らないことばかり批判する。よくしてやったことには
全く触れず」
いい子も何も、ただその子が胎内にいただけで、
またこの世に存在していただけで、勘に障って
自分が叩いたり、言葉の暴力で傷つけ続けたり、
無視したりしていたことには、思いが至らないのです。
中には、母親に捨てられた状態で祖母に育てられ実はその祖母が
精神的虐待者であったことに気づいた人もいます。そして
後にその祖母とともに母親に引き取られるのですが、今度は
母親から虐待を受けるという二重の被虐体験で、心がねじれた
人もいます。
虐待というと、死に至らしめるような、報道に見る派手なものを
想像するせいか、日常に潜む虐待を虐待と認識しない
親子も多いのです。親は尚更、自分が虐待していることに
気づきません。
そして、親がその子の一生を壊し続けます。
普通、何も考えなくても子には親が持つ自然な愛があります。
だから少々間違ったしつけであっても、手を上げても、無問題なのです。
子供は実に正確に親の心を反映するので。
だから虐待親のほうも、心に病理を抱えています。
概ね、虐待は気づくまで親から子へ、子からまた次の
子へと虐待の連鎖が続きます。
親を許す必要はありません。というより、ほぼ不可能です。
生涯懸命に努力しても、親との和解、親への許しが
不可能であることに、晩年静かに思い知る人も多いのです。
それよりは、まず親を愛せない、親を憎み続ける自分を
許してしまいましょう。
憎しみを向けるには、また人に打ち明けるには親が高齢になり過ぎ、
また肉体的に弱り、それでも許せずなまなましいほどの憎しみから
抜けだせないでいる自分を責める人もいますが、必要ありません。
それだけ酷いことをあなたの親はあなたにしたのです。
許せない自分を許してあげましょう。晩年に至るまで、親に
あなたの人生を台無しにされることはありません。
そして周りに虐待の体験を話す人がいたら、批判がましいことは言わず、
またアドバイスも要らず、黙って聴いてあげるだけでよろしいのです。
そういうことをあなたに告白するというのは、あなたに心を許した証ですが、
そのあなたから批判する、あるいお説教するという形で突き放されると、
その人はより傷つきます。黙って頷いていればそれだけで、十分です。
また告白する被虐体験者は、相手をじっくり見極めて行わないと、
まずもって、あなたは世間の常識的反応に更に傷ついていまいます。
世の中の大抵の人達は、子が親を激しく憎み続けるという現実を
受け入れがたいので、何かしら告白者を批判、否定しがちなので、
それは、そう受け止めるほうが実は健全なのですが、相手は
心の根深いところで病んでいる人たちなので、親子関係における
「健康者」の言葉は通じません。親子であっても、あたかも
仇敵同士であるかのような、合わなさを味わう人達がいることは
体験者でないと解りません。
面白いことに、被虐待者の告白に理解を示すのが男のほうに多いのです。
女性が概ね否定、批判します。
あと表層意識で親を許したと思い込んでいても、深層意識にしっかり
傷が残っていることもあり、それがその人に日常に、ひいては
人生全体に影響を与えていることもあるので、要注意です。親子関係の
トラウマは非常に根っこが深いのが常です。
コメント欄に書き込まれるのは、母と娘との関係が圧倒的に多く、父親や
兄から受けた性的虐待(これも多い)については書き込まれません。
タイトルを「母を憎む」としたせいでしょうか。
むろん、父親や兄からの虐待を書いてくださっても結構です。
私は黙って聽かせて頂きます。
本当は、虐待された親なり、兄弟なりに直接ぶちまけて罵り
泣きわめくのがいいのですが、それは概ね出来ません。
次善の策で、手紙を書いても心の開放の一助にはなり、
手紙は焼いて捨てていいのですが・・・・そういう形でも
虐待と向き合うのがつら過ぎて出来ない人も多いのです。
というわけで、コメント欄に長文でもいいし、何度でもいいので
思いの丈、吐き出してください、受け止めますと提案しています。
《非公開で》、とタイトル欄にきちんと言葉で指定してください。時折、
判断に迷うことがあります。
公開という形で書いて、自分だけではないという体験の共有も
解放の一助にはなると思いますが、公開非公開はどうぞ
お心のままに。
差し支えなければお知らせください。
これにつきます。
親から虐待を受けた人は、自己否定が強く
自分がしあわせになろうとすると、自ら
ブレーキをかけてしまいがちです。
近いうち、表の文章でも書いて置こうと思います。
何十年も経っているのに、人の心とは不思議なものですね。
私の実家は、いわゆる機能不全家族でした。
貧乏から這い上がって、医師として成功?した父は、外でいい顔をするあまり、内弁慶が激しく、家では不機嫌をまきちらし、暴言、ときには暴力を振るいました。
少しでも機嫌を損ねる行動を取れば躾と称して叩かれ、成績が一番でないと人格をひどく否定されました。
母はひたすら父の機嫌を伺うばかりで、自分の身を守るためなら子どもも差し出すような人でした。
両親に反抗した兄は、思春期の頃には父と殺し合い寸前の取っ組み合いを繰り返し、不登校や退学、問題行動の限りをつくしました。
そして、私たち妹2人をストレスのはけ口にし、徹底的にいじめ抜きました。性的な嫌がらせもされましたし、私の足にはハサミで刺された跡もあります。
母はすべて見ぬふり、刺されたときでさえ、問題を起こす(スルーしない)私が悪いと言われました。
気付いていませんでしたが私には人格解離があり、自分の道を歩めるようになるまでずいぶん苦労しました。しかし、支えてくれる人との出会いがあり、自分でもさんざん内省と癒やしの作業をし、トライ・アンド・エラーを繰り返すなかで、ようやく自分の人生を歩めるようになりました。
今は、穏やかに幸せに暮らしています。
実家の家族とも付かず離れず、適度な距離を保っています。ようやく、期待することからも卒業できました。
心の深い傷を癒やすには、私の場合は、ホメオパシーが役に立ちました。
苦しむ方々の1つの選択肢になれば、と思い投稿します。
苦しむ皆さまが少しでも、楽になれますよう。
望む未来は、強く願えば叶うと思います。
自分の幸せを、あきらめないでくださいね。
そうですね、おかげさまで一区切りついたというか、落ち着いて過ごせそうですので、楽しく生きてゆきたいと思います。今回、井沢先生に勿体ないほどのお返事を頂けたことが今後娘を育ててゆく上でも自信に繋がりそうです。
お返事を拝読させていただいたとき、とてもあたたかい気持ちになりまして、本当に有り難かったです。
今後もこちらのブログから勉強させていただきたく思います。
このような場を設けてくださったことに感謝いたします。
書くこともセラピーのささやかな一助になるので
場はいつもオープンにしてあります。
親絡みの不幸はさまざま見聞きして参りましたが
あなたのようなケースは初めてで、これは本当に
大変なことだったなぁ、思いました。
よくそこを生き延びて来られました。
それだけで100点満点です。
これから以降のことは「適当に」でいいです。
きちんとすることも、まあ心がけられてもよろしいけれど、いかに人生を楽しもうかしらんという風に、頭の一部を切り替えて頂きたい気がします。
きちんとした自己分析もあり、文章は一般より立派です。
世の中ひどい人が結構いて、自分はまともだと信じ込んで生きてますよ。
最近こちらのブログを知り、皇室問題など少しずつ勉強させていただいております。そんな中このカテゴリーを見つけ驚きましたが、同時にまだ許されるなら私も加わらせていただきたいと思いました。長文で恐縮ですが、公開で構いません。
親について、両親とも発達障害のようです。(私自身も幼い頃はそうだったように思います。今は私は人並みに近づいているかと自己判断しております。親はどちらも相変わらずというより、老化と共に酷くなっているようです)
せめて親のどちらかか、自身かが定型発達であれば少しは良かったのですが、両親ともですので子どもがまともに育つ基本がありません。
きちんとしたいと思って素直に親の言うことに従うと、教師から何おかしなことしてるんだ、と怒られる有り様です。親にそう言われてしたことだと答えると、自分の失敗を親のせいにするなと更に怒られてしまうので、ついにそうも言えなくなり、釈明もできず黙って怒られるしかなくなり、周囲からは嘲笑されるということが日常茶飯事となりました。
顔を洗うとか髪をとかすなど、身だしなみを整えることがチャラチャラしたお洒落だと親は取り違えていたようで、変な格好で登校させられクラス替えの度いじめの対象になりました。
教材も適当に兄のお下がりをあてがわれ、中身が揃っていれば構わないのですが、使用済みですから無くなっていたり使い物にならないものばかりなのに確認もせず持たされて、授業でひどく怒られるということばかりでした。絵の具セットも書道セットも筆はカピカピ、裁縫セットは糸がないとか針が錆びているとかハサミがないとか…モノに関しては何年生の時も毎回全滅でした。
遠足や運動会など、普段と異なり親の世話の影響が大きい場面では、人とあまりにも違い、欠席すればよかったと思うほど恥ずかしい思いを常にしました。
決して貧乏ではなく、親の不注意というかセンスのなさというか、単にわきまえてないということですが、それこそ経済的に裕福でない人からも「ウチのほうがマシ」とバカにされるほどでした。
それこそ、お金かけてほしいとかお洒落したいとかファッション面での不満でなく、お下がりでも流行遅れでもいいから、身支度がキチンと出来ていたかった、TPOに相応しくありたかった、私が願うのはそこなのですが、人は私がわがままを言っていると勘違いするのか、何言ってんだ親のせいにするな、とか、人と違っていることを嫌がるなんて神経質だ、など厳しい言葉をかけられました。(多分、変な子と関わりたくなくて、言い分を聞く気もなく無難なことを言って逃れようとしてのことだと思います)
卒業して自活して自身で苦手な親のことを克服したと思っていましたが、遅くに結婚、出産したことで、娘を通して近い将来また社会と関わらねばならないのだと思ったら、40才に近くなってから気持ちが暴れだしまして…こちらに書き込みさせていただいている次第です。
親元を離れてからは、普段から生活の中で姿勢を正すつもりで言動に気を付けたり、とにかくキチンとしていたつもりですが、家事は料理も洗濯も本を読んでやり方を覚えたもので、親から常識を学ぶということがなかったことが自信のなさに繋がっているように感じています。(実家はゴミ屋敷、私は掃除片付けは得意ですがやらせてもらえず)
加えて、小学生の時から厳しい新興宗教に入れられ!言論の自由がなかったことや(思ったことを迂闊に口に出せない)、娯楽に制限をかけられたり、社会の迷惑では?と思われるほど近視眼的なワークを課せられたり、一般的なマナーとは違うことを強制されたりと、親のしつけ以上の非常識を宗教組織からも植え付けられてきたので、30代半ばで夜逃げのように脱会しましたが、やはりどうしても自信が持てず(冠婚葬祭や選挙など無知もひどいところです)、今後ママ友やらPTAやら社会的な繋がりを上手くこなしていくことができると思えず恐怖です。
ここまで親への不満を書きましたが、複雑な気持ちになることがあります…父はもう、あまりの酷さに(大声で怒鳴る、言うことが毎秒違う、見え透いた嘘をついてばかり、尊敬できる点がどう探しても全くない)見限りましたが、母は、優しくいい人で、私のために何かしようとすると大失敗してしまう、な感じですので(イメージとしては、車から人を守ろうと助けたい一心で突き飛ばしたら反対側の車にぶつけてしまい余計ひどい目に遭わせるような、古い漫画かコントか、みたいな人なんです)、散々な目に遭わされても、大恥をかかされても、発達障害で人よりハンデがあるし悪気でしているわけではないと思うと、憎みきれません…
一方では、たとえどんなにいい人であろうと、よい動機であろうと、ここまでとんちんかんでいじめに遭うほど色々やらかしてくれた母をそう思う自分はどれだけお人好しなんだと、自身に対して呆れる気持ちもあります。
それとこれとは別、たとえ良い人でも障害があってのことでも、もう少しマシなこと出来ただろうし怠惰な面があったことも否めないのだし、私が母を庇うのおかしくない?と自分に突っ込むこともあります。
そして、いくら母にそれは非常識だからやめてねと言っても通じなかった(理解できていなかったようです)事から、分からない人に言ってもどうしようもないのだから言うだけ無駄だった、という諦めというかやるせない気持ちも混ざり、どの気持ちも自分の感じたものですが、どれを自分のために優先して考えるべきかも分からないまま感情を処理できずに来てしまい、とにかくこちらにここまで吐き出させていただきました…
何だか支離滅裂でお恥ずかしいですが、書かせていただく場を与えていただけまして感謝いたします。
もし、もう受け付けておられなければそれはそれで構いませんので、とにかくここまでを送信させていただきます。
本当にありがとうございます。
急に寒くなってまいりましたのでどうぞお身体をご自愛くださいませ。
自分に自信がないことも、やっぱり親の影響なのかなと感じます。その分子どもたちにはたくさん愛情を伝えたいですし、自信を持って生きてほしいと思います。
父が納骨してからまだ一度もお墓参りもしていないので、次に帰る時にはお墓に参って供養したいと思います。それでなくても盆正月は嫁ぎ先で忙しくて久しく実家のお墓参りはしていませんでした。。
お母様を許すより、自分を許し大事に愛してあげてください。親に傷を受けた子ってどこかで「自分が悪い」と思いこんでいるので。
おとなになっても潜在意識下で、そう思い込んでいるので、それを開放させてあげたいと思います。
楽に楽に、楽なほうで生きてください。
そっちのほうが、うまく行きます。
だめな部分は、うんだめなのよ、でも一生懸命生きてるの、と。言葉に出さなくても、伝わると思います。
世間、親より立派な子も珍しくはありません。そのまんまでいいと思いますよ?
65点取れたらいいのと違います?
お母様を許そうとすると、葛藤が生じ、それはほぼ一生続きます。
幼少年期にウケた傷は、基礎的傷なんでそうそう謂えません。
自分のせいでなし、放っとけばいいと思います。
ただ霊的なことなので、気持ちが全然こもらなくても、ご供養だけはなさったほうがいいです。
お忙しいところ、早々にお返事を頂戴しありがとうございます。あたたかいお返事を拝読し、気持ちが軽くなりました。
親子は上下関係をしっかりせねばという固定観念がありましたが、先生のおっしゃるとおり対等な目線で話してみたいと思います。なかなか勇気が要りますが…。子どもたちに同じ思いをさせないよう努めます。
母への気持ちは、まだどろどろして伝えることが難しいです。日拝の時にネガティヴな気持ちを持つことは望ましくないですよね。
子どもとの時間をもっと大事にしたいですし、やはりこのままの状況で自分を保つことが難しいという思いが強くなり、前々から考えていましたが一旦この仕事とお別れしようかと思います。先生に胸の内を聞いていただけて良かったです。ありがとうございました。
公開でもよいとのこと。
ありがとうございます。
それに思いを書き付けて自己開放につなげるには、私だけでなく大勢の人に読んでもらうほうがよいです。
僭越ながら、一言アドバイス出来るとするなら、ついつらく当たってしまうというお子さんには、物事がある程度わかる年になったら、率直にすべて話してしまうことです。小2ならそれなりの言葉で伝えればもう解ります。
お母さんはこういうふうに育って、お母さんから可愛がられたことがないので、子供の可愛がり方を知らないの、と。だから厳しすぎるかもしれないけど、それは許してね、と。
お子さんがその年どしで理解が進む都度、話せばいいと思います。
完璧な親はいません。欠点も弱いとこも持ってるふつーの人間なの、と。
ある意味対等に向かい合われると、むしろ良い関係が築けるのではないでしょうか。
弱みも悲しみも素直に見せちゃいましょう。
仕事が好きで大事で、そのぶんあなたのことかまってあげられなくて悪いと思っている、と。
そして素直にごめんなさい、しましょう。
無論、叱るべきは叱るとして。あとは、なるべく抱きしめてあげてください。
大好き、大好き、といってあげるだけでよいです。
生まれてきてくれて、ありがとう、ともし言えたら、何度でも。少々何かあっても基本でそれを伝え続ければ、大丈夫です。
お母様に対しては、日拝のとき光を届けるつもりで思い出してあげればよいし、思いはその時に伝えてもよろしいと思いますよ。
不完全なあなたでよいのです。
まずは自分を抱きしめて、愛してあげてください。
あなたの心の中の小さな女の子が泣いています。
その子を抱きしめてあげてください。
いつも先生のほんわかとしたブログを楽しく拝読しています。
今日はふと見たカテゴリに呼ばれて、こちらの記事を読ませていただき、涙が止まりませんでした。
私は6人兄弟(上4人が女、下2人が男)の2番目で、父は中卒、母は高卒、学のない家庭で貧しく育ちました。姉や妹と年が近いため、昔から親の愛情に飢えていたと思います。両親の気を引きたくて、姉と同じ気になり姉の真似をよくしていました。私は昔からプライドが高く、また兄弟より少し賢かったことを鼻にかけていたので、父に「頭が良くなくたって素直な子の方が良いんだ」と怒られたり兄弟と比べられて育ちました。その上、母が何度か育児ノイローゼになり、小学校高学年の頃には日常的に「しにたい」と口にするようになり、「一緒に死のう」と言われ首を絞められたこともあります。その後も2歳くらいだった弟の首を絞めようとした母を兄弟で止めたこともあります。ちょうど思春期で多感な時期、そしてバブル後の不況の時期だったので経済的にも家庭環境は最悪でした。その頃からずっと、「そんなに大変ならなんで6人も産んだのか、こんなに産まなければよかったじゃないか」という思いを抱いていました。母は回復したり悪化したりを繰り返し、遂にこの夏自ら命を断ちました。最初に訃報を聞いた時、なんてずるい人なんだと、結局自分が一番可愛いんだねと思いました。ずっと死にたいって言っていたんだから死ねて良かったねとも。
ずっと、愛してほしかったと思い続け、大人になって私自身が子を持ち母の苦労も理解できやっと歩み寄れるかもしれないと試行錯誤し始めたばかりでした。大人しくて控えめでネガティヴな母が嫌いなまま死に別れてしまい、私の中の暗くて混沌とした気持ちをどうしていけばいいのかわからないです。
とにかく実家のしがらみから離れたくて、できちゃった婚に逃げて夫と結婚しましたが、やはり私が成長できていないままの子育てで子供たちにもヒステリックに接してしまうことがあります。今は2人目(1歳児)の育休明け、仕事に子育てに余裕が全くなく、特に1人目(小2)に厳しくしてしまいがちです。両親のようになるまいと思いつつも、同じような態度を取っているのではないかと反省する日々です。厳しく育てたいという思いもありますが、自分のように愛情に飢えた子になってほしくないという思いもあり、私の子育ては間違っていないか心配になります。反省し、明日からは温かく愛情深い母でいようと努めてみても、結局は仕事、家事、育児に追われきつく当たってしまい…母もこうであったのかもしれないですがいろんな思い、やるべきことに飲み込まれてしまいそうです。
夫も父親から虐待を受け、心に傷のある人間です。アル中でDVの父親なので私より悲惨な子ども時代を過ごした分、自分は幸せな家庭を築きたいという思いが強い夫です。私もその思いはありますが、最近まで夫の家族と同居だったことや仕事とそれなりに真剣に向き合っていることもあり、旦那をして「仕事と家庭とどちらが大事なのか」と言わしめる始末。家庭も仕事も子育ても全部頑張りたいのに全部が中途半端。このままで良いのかと自問自答の悶々とした日々です。
感情のままにとりとめのない文章になりました。お読みいただき有り難く御礼申し上げます。先生のブログに出会えて本当に良かったです。コメントは公開いただいて構いません。
1年ほど前に、井沢先生が、母親との関係が上手くいかない方の気持ちを受け止めますよ、と書いてくださったことが頭にあり、もしかしたらと思い立ち失礼なメールを送信した次第です。そこに至るまでには、母親との関係がうまくいかないことが大きく影響しているものですから。
と、その関係のスレッドを拝見したら、そこでのやりとりを続けていらしたのですね。ブログでのお作法を存じませんで、失礼いたしました。そこで今回は、こちらから送信いたしますが、これまたお作法から外れているかも知れません。
虐待と言うほどではりませんでしたが、母親からは侮辱的な発言を浴びせられながら育てられ、父親は周囲を見下す人でした。姉に叩かれたり蹴られたりすることを知っていて、助けてとの訴えも無視して、自分だけ旅行に出かけてしまう母でした。そんな両親にも愛されたかったのでしょう、私は反抗するどころか、かなりの孝行をしてきましたが、全く感謝もされず、もっと尽くせと要求され。なのに何もしない姉は大切にされていましたから、息子・健斗を育てるなかで、そんな状態はおかしいと思い立ち、勇気を出して関係改善の働きかけを数年続けたのですが、その思いは全く届かないばかりか、更なる関係悪化へと進んでしまったのでした。
そんな関係に疲れ切って見切りを付けようと、私は日本人としての精神性を大切に、日本の歴史、先人の方々を祖先と考え、大切にして生きていこうと挑んだ。
そんな両親に見切りをつけて、それまで以上に「日本」というものにのめり込み始めた矢先の出来事でしたから。
自身のメールアドレスを書いたのは、私個人を少しでも信じていただけるようにとの気持ちからと、既に半年もの時間が経過してしまい、お言葉をいただけるとすれば、どのようにいただけるのか分からなかったためです。
直接関係しない方に認めていただけることほど、心強く感じられるものは無いですね。拝読して、わああぁぁぁっと泣き、泣いたことで穏やかな気持ちに戻ることができました。
今回は名前を伏せますが、帰宅後に調べましたところ、主催者さんは、過去にはマルチ、計画倒産疑惑、主催している会の不正会計疑惑など、かなり怪しい方だったと分かりました。神社に関する記事など、時には素晴らしい内容の記事もお書きになるのですが、それだけでは人間の本質は分からないものだと実感致しました。
あの時を第三者の目で見つめ直すと、ディベートとしては私が勝ったのでした。と言いますのも、主催者さんも、取り巻きの人たちも、たった一人の私に「捨て台詞を吐いて去った」し、かなりの参加者の方から名刺や住所・氏名を手書きしたメモを頂きました。これ以上の面倒は嫌なのでお便りはしていませんが、何かしら会の状況に疑問を持っている方、私たちの論争を聞いて疑問を持った方がいたのではないかと思います。その証拠にその後、ブログへのアクセス数、コメント数などが減少の一途を辿っているようです。
そしてとうとう愛子さんは別人になってしまいました。あの時に側で聞いていた方のうちたった一人でも冷静に検証してくださる人が出たとしたら、嫌な思いをした甲斐もあったとか思います。確かめようもありませんけれど。
そうそう、前回いただいたお言葉中にて、息子・健斗をほめていただき、ありがとうございました。健斗と私とは、前世で夫婦でした。どうやら私が健斗を守るという関係を繰り返しているようです。
読者の皆様との懇親会、私も参加したかったのですが、ほぼ毎週、橿原~近つ飛鳥~天王寺界隈で開催される古代史の講演会などを聴講するのを親子の趣味にしており、当日も先に健斗と出かける約束をしていたため断念しました。是非、近い将来には健斗も一緒にお目もじしたく存じます。その機会に恵まれました折には、どうぞよろしくお願い致します。
長くなったついでにもう少々、散文形式で書かせていただきます。
先生の文章は頭への馴染みが良くて好きなのです。少しでも長く書き続けていただきたいです。
お着物のお写真を拝見するのも嬉しいです。拝見すると、日々のおしゃれの一環に、和服を取り入れたいと思い、振り袖も自分で着られるように練習した過去が思い出されます。
健斗を育てることでいっぱいいっぱいになり、忘れてしまっていましたが、退職したら、また着られるのかなと思うようになりました。
先生の作品には数多く触れてきましたが、『青春家族』が印象に残っています。子どもが自立したら新しいステップに進めるんだと分かり、就職するのが怖くなくなりました。そうそう、ワサビ田を見に翌年伊豆まで出掛けたのでした。
誰にも内緒ですが、健斗が研究者になるための援助をまだ続けなければならないので、いつ進めるのか分からないのですが、新しいステップでは何をやろうかと、日々密かに考えを巡らせているのです。
伊雑宮、私も好きです。神宮参拝の折りに別宮にも徐々に足を運んでいますが、伊雑宮の清らかな空気は格別でした。思い出してこの冬にも出掛けてしまいました。
次回からは、記事毎にコメントを書かせていただきたく存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
バイト中もブログの一文の
死んでほしい。出来損ない。
が引っかかってしまい、最初は勝手に産んでおいて何勝手な事言ってるんじゃ!くっそおお!と言う根性でやっておりましたが、後になればなるほど、
こう深く傷を抉られるような気持ちになり、
閲覧したのを後悔するのと当時にしつこいなと、なにをそんなに疎ましく思われるのか。
勝手に交際してできちゃった婚なのかは分かりませんが、とにかく勝手に産んでおいて何なんだと思う気持ちで一杯一杯です・・・。
父は私が赤ん坊の時に離婚しております
上に父が違う兄がおりましたが、亡くなり
私一人っ子です。
恵まれて産まれては居ないのはよくわかりました
赤ん坊の時、お風呂の際に父が入れようとした際に
大泣きして怒った父が風呂場に私を放置したそうで、聞かされた私はこの時からもういらない子だったのかと思っております
大きくなって、養育費も最低限しか入れず
世間様に養育費の事や片親さんに話を
聞くとみんな子供に罪はないと言って
沢山入れられてびっくりしましたね・・・。
愛情もへったくれもない父は
入れない月もあり
補足のメールを母から嫌々打たせられ、挙句の果てには私からのメール、電話の着信拒否
母からのメール、電話は通じるのに私だけなんです。
母の事が大好きなのは聞かされていて、私が産まれて父から母を取ったのだと思っているのでしょう・・・・
母は鬱にその他の精神的な病気を持っております
アル中ぐらいお酒も飲みます
(本人は鬱だけ認めており、その他はしらんふり)
幼少期はお恥ずかしながら、母子家庭で生活保護を受けながら過ごしました。
働いていたこともありますが、水商売でした
何かと目立つ母親で、小学生の時は普通だったのですが・・・中学生になり、私がイジメに遭って
学校に行くと言い、必死で止めたのですが、
身内の〇〇ザさん連れて学校に行ったときは本当になんでここまでするのだろうかと思っておりました。
(イジメは自分の予感の通り酷くなりました)
その辺りから過干渉が始まり、ケータイを持たせてもらったのですが、メールや電話がかかってくるたびに誰から、内容はみたいな事を何度も。
お使いや遊びに外に出ると
少しでも遅くなると鬼電です。もうひっきりなしに。
出ると怒号です。
私は冷や汗をかきながら帰った思い出もあります
軟禁に近い状態でもありましたね・・・。
中学高校は遊びたい盛りでもありますよね
大きくなり遠くへ行けるしお小遣いもある
私の場合はそうではありませんでした、
母のためにたくさんお手伝いをし、動いていた記憶しかないです。
友達と遊ぶ約束をしても、〇〇日に〇ちゃんと遊びに行くよと言っても当日行く寸前に行くなの一言。
最初は用事なりはぐらかしていたのですが、最後はもう誘うことも誘われることもなくなりました。
遊びに行けたとしても携帯で鬼電がかかり、帰ってこいの一言、友達もびっくりですよ(笑)
今でも記憶にあるのは、高校の時、スマホが出始めた頃ですね、学校にスマホを持って行っていたのですが、やはり案の定鬼メールに鬼電話、授業も集中できたもんじゃなかったです。
休み時間に出ると怒号スタート、そして早退しろと
最後らへんは先生にも言ったら帰れるんとちゃうで
とくぎを刺された痛い思い出が(笑)
挙句の果てには、酔っぱらっていた母が
エアコンのリモコンが無いと騒いで電話をかけてきて、
一度帰って遅刻していったのもたびたびありましたね・・・。
今になって思うのは本当に大切な10代を言い方が悪いですが無茶苦茶にされたんだなぁと思います。
積もるものが積もって、当時病んでおりましたね、自傷しまくってホントに死ぬ寸前まで、
1度過呼吸になったのですが、この際母が一言、何なの気持ち悪っ。と吐き捨て、この瞬間何かが崩れる音がしたのを鮮明に覚えております・・・。
ブログを観なければいいのですが、何を察するのか感じてしまうんですよね似てるからなのか・・・
私の希望としてはもう私の事は忘れてほしいんですよね、
母は母。私は私。それぞれの道を行くのがこの世の理じゃないのかと。
そして文章からして、いつか母が私に危害を加えようとしているのではないかと不安にも思いました(以前に殺す。と書かれたもので・・・)
私も少なからず人の子ですから、本当に1mmぐらいだけ心配はあります。もう捨てればいいのにと何度も思います。
時間は限られているので、若いうちにやっておかないことはたくさんあるのに後ろ髪をひかれる思いが多々あり、10代を取り戻そうとしてる自分が情けなく、大切な彼に叱咤激励されつつ、でも20代は20代でやらないといけないことがある、わからない事だらけで混乱します。
早く普通になりたいと思うけれども、進めず
仕事も8時間出来る体力もなく、バイト先には迷惑ばかりで居ずらいけど、変える勇気もなく全部、
母のせいにしてる甘えた自分がいて、周りにも甘えてると言われて本当に辛いです。
カウンセラーさんでは無いのは承知の上で書きました。
でも、ほんの少しでも、1mmでも分かってくださると思い書きました・・・。まだまだ忘れていることもあるでしょうが、自分が覚えている限り吐かせていただきました。
2度も長文申し訳ございません。
検索をかけましたらここに辿り着きました。
かなり前の記事にコメント申し訳ないです
そして話が飛び飛びになってましたら申し訳ございません
世間では話せない事を少しだけ溢させてください
現在は母の元を飛び出しどうにか一人暮らしをしています
素敵な人とも出会い夏には同棲の予定をしております
彼には少しその事をこぼしたのですが
過去の事だと流されてしまい、確かにと思う反面
苦しい気持ちが中々解消せず、少し寂しい思いをしてます
ですが母親と一緒に居た頃よりは幸せなので
世間の皆は違う事で沢山悩んでいますが
恵まれてる人にはわからないか、と割り切っておりますが、時折、母親が憎くてたまらないときや
出来損ないの自分、恵まれた家庭の人を嫉んでしまい悩んでおります
母親がブログをやっており
時折、私の事を書いているのでなぜか久しぶりにふと覗きたくなり怖いもの見たさと
傷つくのを承知の上で観ました
やはり書かれていました。
死んでほしいと、
何度も消しては書かれているので
またかと思う反面
悔しい気持ちと母親の気持ちが微塵もなく女で居たい進んでいく私に嫉妬している
寂しい人なんだなと感じました
私は20代前半なのですが、未だに子供感覚というか
世間と比べ子供、世間知らず、だと言われ苦しいです
やりたい事も、好きな事も全てこれだ!と言う感覚が無く、少し怖い思いもあります。
こう言う考えになってしまったのは
好きな事をすべて否定されてきたのに
母親はその私の好きな事に夢中。
私の前では私の好きなアーティストに酷い事を言って
いたのに、「悲しい気持ち」はありました。
とか絶対微塵も感じてない事をつらつらと書いており、本当に心底怒りと言うか、やるせない気持ちになりました。
長々と書いてしまいましたが、早朝からお仕事なので
もしまた良ければ吐き出させてください
私の中のその当時の自分が早く笑顔に、もう泣くのは辞めて居なくなるという表現はおかしいですが
笑い話になると、願いを込めて
本当にお話が飛び飛びで申し訳ございません
お母さんはとっくに、亡くなっています。
それでも、憎悪の根っこは絶えていません。
そんなものです。
まして、生前は無理です。
あなたが悪いわけではないので、とにかく自分を許して下さい。
虐待された子は、聞き取りをされても親をかばいます。
「自分が悪いからだ」と子は思い込むのです。
大人になっても潜在意識に、それは沈んでいます。
親に可愛がられなかった子は、自分で自分を可愛がるしかありません。
3歳の自分を抱きしめてあげてください。
「生まれてきてくれてありがとう」と言ってあげてください。
虐待を受けた子は、自分を粗末にしがちです。
親から「お前は価値がない」と刷り込まれているので。
広い意味での自損行為を含め、健康もながしろにしたり、わざわざ失敗を(潜在意識で)選んだりします。
そこからの開放は、そういう状況を自覚、確認することから始まります。
幸い、伴侶にも恵まれたご様子、お子さんのことについてはご主人と話し合われ、不安も率直に伝えれば協力が得られると思います。
あなたの人生が光に満ちてありますように。
許せない自分が人として未熟なんだと思っていました。
許さない自分を認めて、心の安定を図れるようにしたいです。
幸い、夫と夫の親族が理解を示てくれ海外に残る道を手伝ってくれています。
(夫は数回しか会っていないのに、いつも君の母は変なムードだよね。と言っており鋭いなと思いました)
今の状態であれば、私も会わずに済み、母も海外在住の子がいれば近所で軽い自慢ができwin―winの関係を維持できると思っています。
このブログにたどり着いて思いきって書き込んでみて本当に良かったです。
なかなか理解して貰えない気持ちを吐き出せただけでもスッキリし、気持ちに寄り添って貰えた事で泣きそうになりました。
アドバイスも今後生きていく上でしっかりと心に留めておきます。
ありがとうございます。
切れるなら切ったほうがあなたの人生のためです。
相手は母親ではありません。
あなたを傷つけるために産んだ、精神異常者です。
縁切りが不可能なら、できるだけ連絡しない、遠ざかる。
周りはほぼ必ず、あなたのほうを非難します。
虐待経験者以外には、話さないように。
経験したことのない人に打ち明けても、決して彼らは解らないし、解ろうとしません。そしてあなたを裁きます。
強いて解りやすく言うなら、3歳、4歳の子を言葉や物理的暴力で虐待している母親は批判されるし、度が越せば犯罪者として捕らえられます。
子供が実は二十歳以上でも、同じことなのです。
インナーチャイルドと言いますが、虐待を受けているのは今のあなたではなく、その時の無力な子供のあなたです。親に否定されるのは、宇宙から存在を抹殺されることと同じだった頃のあなたです。
伴侶に恵まれ、伴侶は彼女の母親による虐待を理解してくれて傷が癒えたかに見えるある女性は、70歳過ぎてもなお、眠っている時に憎しみの言葉を叫んで、伴侶の眠りを破り、自らも自分の声で飛び起きる・・・・というふうで、「許すのは無理なんだ」と腹をくくり、許せない自分を許すことにしたそうです。
二十歳の頃から何とか親に感謝するとか、仲良くするとかありとあらゆる手段を講じてみて、一時は上手く行ってもまた揺り戻し、最悪な瞬間を迎えたのが55歳のときだったそうです。
前世からのカルマが絡むこともあり・・・・前世で敵同士であったのが親子としてこの世に、お互いのカルマ解消のために生まれてくることがあります。
母親が生命力が尽きて、弱々しい存在となってもいまだ憎いという気持ちが消えず、一人いる時も心のなかで激しく罵倒していることがあるそうです。母親が死んでも憎しみが心から消えるのかな・・・と思いつつ、遠く離れて暮らす母親の臨終の知らせを、日々それとなく待っているような状態だそうです。
傷ついているのは現在の大人としての分別があるあなたではなく、3歳のあなたです。
3歳のあなたが、何か具体的に言われたりされたりしなくても、母親が自分に向ける目つきに愛のないことは悟っていたはずです。それは赤ん坊の時の感受性でも、そのように・・・・いえ胎内にある時から承知しています。母親の心の中にある棘が、しじゅう自分を刺し続けていることに。
そうすると、母親も子の反応を受け、元はといえば自分が原因なのに「この子は親を愛さない、尊敬しない」として、更に嫌います。
そういう関係なので、許すのは至難のわざです。
むしろ自分を許すことが先です。
幼児期の自分の名を呼びながら、頭をなぜ抱きしめてあげることを続けると良いです。
40度位のお湯が一番、交感神経をリラックスさせるので、その時にでも。お湯はこのとき、本来はあったかくあるべきだった羊水の代わりになってくれるかもしれません。
あるいは寝付く前にでも。脳波がα波になった時が、潜在意識に届きやすいのです。
自分を可愛がれない人は、人を可愛がれません。
我が子を持ってみても、愛せないのは自分を愛してないからです。
虐待は連鎖することも多いのですが、自分がひどい目に合わされたからこそ、子にはそうでない親であろうと務め、成功している人もいます。
お子さんはお好きですか? 赤ちゃんは。
愛しくてたまらない気持ちが、こんこんと胸から溢れ出るようなら思い切って持たれる道もあります。
赤ちゃんの泣き声や、幼児の甲高い声、むずかる声にいらいらするだけなら、お持ちにならないほうが無難かもしれません。
ただ物書きという人の心を扱う専門家ではあっても、虐待によるトラウマを専門に扱うカウンセラーではないので、参考までに聞き流していただけたら、と思います。
私は朝日を拝む日拝をお勧めしていますが、よろしかったら毎朝朝日に、ありがとうと拝むように語りかけてみてください。
太陽を浴びることは、メラトニンなど人の生理的なことにも作用します。日拝については私はブログのどこかで説明したと思いますが、検索すれば私以外の文章にも行き当たると思います。
朝の清浄な光に、あなたの人生が照らされてありますように。
ありがとう。
文章にまとまりがない事をどうかご容赦ください。
小さい頃から帰宅の遅い父の悪口を聞いて育ちました。
理不尽な理由(約束通り7月中に全部の課題を終え、残るは美術だけだったのに。それも7月中に終る予定だったのに)で強烈なビンタをくらった事があり、その頃から些細な事でヒステリックに怒るか、同様に独り言を叫ぶという具合でした。
また、怒られているとき泣かないでいると「ちょっと位泣きなさいよ!」と怒られ意味が分からなくなりました。
当然、産まなきゃ良かった。死ねば良いのに。離婚した父の元へ送る(どちらも地獄)
私の持つ雰囲気が男を引き付けて、と。暗にいやらしい子というニュアンスで言われ続けました。
母親の発言が虐待だと分かったのは大学生の頃で妹がスクールカウンセラーに怒っている母親の録音を聞かせて「これは精神的虐待だよ」って言われた事からです。
私も姉妹もそれぞれの形でしっかりと心の虐待の結果を体現しています。
母親はプライドが高い人です。
そして、男性と専業主婦に対しての敵対心が強いです。
父は早くに病死し、母子家庭です。悪く言う奴は学歴と士業に就く事で男や悪口を言った奴らを見下してきてやった。という感じです。
私は今は海外ですがメールで親に必要な事を伝えれば8割は説教という形で私を否定するような返信です。機嫌が良い時に書いたものは期待しているという旨です。吐き気がします。
最近も帰国当日の予定を伝えただけで、お帰りとも言ってくれず、私個人の全てを否定していると受け取れるような返信でもう駄目だと思い海外に残る事を選びました。
それでも、母には「お帰り」と「心配しているからこういう事を言うんだと」言って貰えればギリギリでも何とか関係を保てたのにと怨み言を言いたいです。
母は、私が都合の良い時しか連絡しない事に怒ります。でも私は母に話す事はないので連絡出来ません。
また、自分の思い通りの連絡内容でなければ説教という形で精神的に追い詰めるか、資金力の部分で言うことを聞かせようとしてきます。
母を知っている人に言えば、古い人ともあって「母子家庭で全員大学まで行かせたんだから感謝こそあれ嫌う理由がない」と言われてから表面は母に感謝するふりでやり過ごしています。
両親も自分も大卒だから子供も大卒でないと許さないという見栄のためだだけです。
自分が望む通りか格下で自分の庇護をいつまでも受けさせて言う通りにさせようとする下心が見える母にうんざりします。
このブログで一生、和解も赦しもできないと知って諦めの気持ちです。
今は、子供が欲しいと思う気持ちと、産んだら親と同じ事をするかもしれない恐怖に苦悩しています。
死ぬまで続く業なのでしょう…。
何十年持ち越しが普通です。
だからそんなものだと、腹をくくったほうが
楽です。
仇敵なんですよ、おそらく前世からの。
お互いのカルマ晴らしだと思いましょう。
無理に好きになろうとか許そうとすれば、かえって
傷が深くなり、自分を結局苦しめます。
他人に相談しても、おおかたセカンドレイプを
受けるのが関の山。
親を憎むなど、普通の人たちは発想だに
できないし、その苦しみも解らず、
余計なアドバイスをして、さらにあなたを苦しめます。
憎しみ、結構です。
そのままにしておきましょう。
1つもしやる気になれば、お母さんに本当は
ぶつけたい気持ちを紙に書いてそれを
燃やしてしまうという儀式めく吐き出しも
あります。
私でもいいですよ。
非公開として、思いの丈書いてくださっても。
ぶっ殺す、でもいいです。
目の前で親が毒を飲んでのたうっててもそれほど
心痛まず見下ろしていられるほど、幼児期、子供時代に受けた傷は深いケースが多いのです。
自分を許しましょう。
赤ん坊のときの、また幼女期のあなたがまだあなたの胸のうちに
住んでいます。
折を見ては話しかけ、抱きしめてあげてください。
親がやってくれなかったら、自分で自分をかわいがってあげるしかないんだから。
世の中、糞親多いんです。
叩かれました?
殺されなかっただけ、めっけもの。
あなたには嫌う権利があります。
罵ってください。
「母が憎い」というキーワードから ここにたどり着きました。
いつか 母への憎しみが消える時が来る。
いつか この苦しさから開放される。
そう思って生きてきましたが、ブログを拝見し 一生なんだな…と。
そう思ったら 少し楽になりました。
消せないものを消そうとするから
苦しむのでしょうね。
すっきりするので、公開させていただきました。
むろん、今後どなたでも非公開で
書いてくださっても構いません。
表題に非公開と入れてください。
>娘が私の母親に似てるのではということですが
面差しとかしぐさ、歩き方後ろ姿、声などを含めてのことでしたが・・・・言葉不足でした。
というのは、歩き方が昔の男にそっくりで、ぞっとした、とまだ中学生の息子(婚外子)に言っている馬鹿親を見たことがあるからです。
さて、これだけ自己洞察ができているお方に
虐待はない、少なくとも世間レベルの虐待ではありません。
産まなければよかったは、子供側からのなんで産んだ、と一対の言葉で、その場の勢いということで、大丈夫でしょう。
「お母さんが悪かった」と言いながら「これだけ謝っているのに許してくれないの?」「いつまでも引きずっていると前に進めないよ」などと、お説教紛いのことを言い、感情的に涙まで流すという失態を演じ、逆に娘を悩ませる結果になったのです。
先生は、私のしたことを虐待ではないと言ってくださいましたが、私は母親として決して言ってはならない言葉を娘に言っています。諍いの最中とはいえ「産まなければよかった」と。これはやはり致命的な言葉です...。
家を出た母親への憎悪を、あるいは自らを娘に対して悪者にすることで、自己処罰しているような屈折した心理...。今まで考えたことがありませんでした。
確かに、私達を置いて出て行った母親のことを薄情な人だと恨んでいました。しかし、今思うと母親にも出て行く理由があった。父は人は良いけれど、どこか頼りないところがあってそんな父に愛想を尽かしたのか...。真相はわかりません。
その母から、私が就職して間もない頃連絡があり一度会ったことがあります。謝罪していたと思いますが、私は気持ちの整理ができないまま、冷ややかな態度をとっていました。その後も何度か便りを寄こしてきましたがそれきりでした。再婚した夫に先立たれ、子供が独立し独り暮らしになった母。今となっては高齢の母親を少し可哀想に思います。
しかし、現在のこの状況となった経緯を辿っていくと、やはり母親に行き着く...。
どこまでいっても気持ちは複雑です。
仰るように、いずれにしても、母親に対する感情が、何らかの形で娘に対する姿勢に反映しているのかもしれません。
ひとつ、先生からのご質問で、娘が私の母親に似てるのではということですが、それはないように思います。娘は自分の考えをしっかりと持っている人間です。その点だけでも全く違います。因みに私にも似ていないと思います。
娘とは相変わらず険悪な雰囲気です。私はまるで腫れ物に触るよう接していますし、娘は私のことを全く信用していません。それでも、私なりに努力を続けようと思います。そしていつか、少しづつでも信頼関係を築くことが出来たら...。
その時は私の生い立ちや母親への思い、また、何故あなたに対して素直に愛情表現ができなかったのかを話したいと思っています。
ふと思ったのですが、私は娘と向きあうと言いつつ、自分の心理状態にばかり気を取られてきたのかもしれません。
娘を見ているようでいて見ていない。それを娘は敏感に察知しているのか...。
娘は今、ひとりぼっちです。友達も1人もいません。辛うじて話ができる相手は両親くらいです。
娘の寂しさや苦しみ悲しみは、私が想像するよりずっと深いものではないかと思います。
幸い、夫は非常に優しく強い人です。包容力があり寛大。娘のことを全力でサポートしています。娘も頼りにしており、かけがえのない存在です。
そんな夫も、実は、かつての私のように娘に辛くあたっていた時期がありました。しかし、娘が受験に失敗したことを契機に、娘の気持ちに気づき、改心し、以後何よりも娘を第一に考えています。その当時まだ娘の気持ちに気付いていない私を説得し続けてくれたのも夫でした。
ここまで書いてきて、また少し気持ちを整理することができたように思います。
今回、このような場を与えていただいたことを心から感謝しています。
ありがとうございます。
自分の中の小さな子を抱きしめて
可愛がってあげましょう。
親がゲスで最低だったんです。
あなたは悪くない。
好きに生きてください。
そう、修羅場は嫌ですが、角張った魂を丸く磨いて
行くのは天国より地獄です。でもそれも程度問題で、修羅場はもういいのではないですか? 残りの人生、少し面白がって楽しみましょう。
虐待非虐待のケースは、概ね親が「私は悪くない」
「この子がいい子ではなかったから」「いいこともしてやったのに、それは言わず私を責めることだけ」この3点で、肝心の親が虐待を認めないのでは解決はありません。
心からなる謝罪、それが最も近道なのですが、多くのケースでは謝罪がないまま、親はこの世を去ってしまい、親子ともにわだかまりを残したままそれぞれの一生を終わります。
コメ欄に書いてくださった自省を機会があれば、娘さんに伝えられたらどうでしょうか。親も欠点のある一人の人間であるということをさらした上で、謝ってみてはどうかなと思いました。
客観的に見て、あなたのは虐待ではないです。
過度の厳しさと、仕事による放置という失点はありましたが、虐待というレベルではありません。
家を出られた母親への潜在的憎悪を、あるいは自らを娘さんに対して悪者にすることで、自己処罰しているような屈折した心理を感じなくもありません。お書きになったことだけでは判断できないのですが・・・
いずれにしても、あなたのお母さんに対する感情が、何らかの形で娘さんに対する姿勢に反映しているかもしれません。こころの中を探ってみてください。自分がこんなに親にひどい目にあったのだから、娘もそうそう良い親を持たせてなるものか・・・と、随分失礼なことを申し上げていますが、人の心は複雑です。表面意識の底に、思わぬものがわだかまっていることがあるので、「たとえば」という形で申し上げました。
お母さんへの憎悪と軽蔑の中身に向き合うことは、辛いかもしれませんが、向き合うというそのことじたいが開放への第一歩です。
娘さんが、お母さんに似ている点などありませんか? それを無意識に嫌悪なさっているようなことは? 単なる質問です、そうだというのではなく。
ふと思ったのですが、あなたとお母さんとの関係・・・またお母さんへの思いを娘さんに語ったことがありますか? いいわけではなく、母親の愛情を知らぬどころか捨てられた悲しみと絶望が、あなたという子供に対しても十分な愛情をかけられぬまま、来てしまったかもしれないと伝えれば、解ってくれるような気もするのですが・・・・
あなたの悲しみと絶望、苦しみを実は最も解ってくれるのは娘さんかも・・・と思ったりもするのです。
何でも吐き出してください。
やっぱり酷いですよね。
物心ついた時には継父がいましたので、私にとっては父は継父だけです。とても可愛がって貰いましたが、昔の農家の次男の為か尋常小学校のみでほぼ文盲で、社会的なシステムを何処まで理解していたのか未だにわかりません。だから母は苦労もしたでしょう。一回りも歳上で、甘えられると思って見合いを受けたのに、、、と言っていましたから。
高校にあがる時、継父であることを母から聞かされました(薄々分かってましたが。)。驚いたことに独断だったらしく、「(継父であることを)あかねに言ったから!」と母に言われた時「何でそんなこと言うのよ」と泣いていた父が忘れられません。父、可哀想、、、。その頃、お正月出勤で貰ったお手当てを毎年お年玉として私にくれていたのですが、その時もいそいそと私に渡そうとした時の事ですからね、、、。思わず「母さん、酷いね」と非難したら母は心底不思議そうに「何で?」って言ってました。
、、、と、書き出すときりがない程微妙な話があるのですが、やっぱり酷いんだ、そう感じる私は間違ってないんだと信じる事が出来ました。
先生本当に有り難うございます。
私自身は医療系の資格を持ち働いています。今の同僚には、知的な家の出だと思われているフシがあり、人の人生に関わる仕事をしているのに頭の中がお花畑なのかなと思っています。
先生は、凄いです。断片的な情報だけであんなに正確に私の状況を分かって下さるなんて。やはり一流の脚本家のかたの経験や洞察力は凄まじいのだと改めて感じています。
こんな機会を設けて下さり、感謝しています。お忙しい中、本当に本当に有り難うございました。
遠慮無く全部吐き出してくださって、大丈夫。
びくともしませんので。
クソアマ、ぶっ殺したろかぐらい罵っても構わないのですよ。言霊が返ってくるやら言う手合は、人生の修羅場を知らないのです。
そして、修羅場知らない人生って実は薄いんですよ。
修羅場よありがとう。
人はこの世に魂を磨きに来ていますが、磨くのは鋭角の体験、つまり修羅場なんです。
魂、丸に近づけ。
あなたの仰ることは逐一、もっともでありよく解ります。
>何をするにも必ず否定から入る面倒な人で
家貧しく、中学卒ですぐ世の中に出て大人の顔色を見ながら揉まれてきた人特有の、性格です。
語っていると、否定形、人の悪口、愚痴陰口で
楽しくないので、避けたいのではないですか?
すると相手はそれを不満に思って、自分に
原因があるとは思いもしない。
>でも、もうお父さんと二人、自殺してしまおうかと思った事があるの。あかねに怒られると思ってやめたけど
とっとと死ねば、私せいせいしたのに、と出さない手紙で、脳内ででも書いてください。何ならお義父さんだけ残してくれてもいいのよ。あなた以外なら、私面倒を見られる。
・・・・・と酷いことを言って申し訳ないのですが、それほどあなたの母上は酷い!
大体義父を受け入れねばならなかった思春期の娘の心の揺らぎとかも、思いやってないのでしょう?
ざけんじゃねーよ、てめえ、と怒鳴ってください。
声にならない声で。出さない手紙で。
人様の親に対して申し訳ございません。
まあ書かずもがなの、弁護を少々してあげれば母上もそうならざるを得ない人生であったのでしょう。
理解する必要も、許す必要もありませんが。
施設でいいと思います。疲れも加わると、今度はお返ししかねず、スッキリと離れられたほうがいいでしょう。
71歳の母は確かに中学迄ですね。読書も好きで、頭の悪い人ではなかったですが、、、。 先生のご指摘の通り教養に由来するのかも知れません。
何をするにも必ず否定から入る面倒な人で、反面教師なのか私はどうしたら出来るかをまず考えているので本当に合わないと心から感じるのですが、母は全く思っていないようです。正直私に嫌われているとも思っていないので、物凄く謎です。多分実際の私を見ておらず都合の良い見方をしているのでしょう。
母以外の近しい人間はみんな(継父も)私が母に憎悪を持ち、合わないと思っている事とその理由も解っているのですが、指摘されて「そんなことないよね」と涙声で電話をしてきた時がありました。面倒なので大分沈黙した後に「そんなことないんじゃない、、、?」と返事をしました。
普通の感覚だと、長い沈黙の方が答えだなって感じるのではと思いますが、母は「ほら、そんなこと無いって言ってる!本当にろくでもない事言うよね!」と、指摘した相手(継父)を責めていましたね。心の中で継父に謝りました。多分その後、継父は物凄く怒られた事でしょう。
数年前から、継父の認知症発症を機に、約20年ぶりに実家へ戻って同居しています。働いていますし、たいして面倒はみていませんが見捨てる訳にもいきません。父の事はなるべく在宅で看取りたいと思っています。帰って早々に「有り難う、ごめんね。でも、もうお父さんと二人、自殺してしまおうかと思った事があるの。あかねに怒られると思ってやめたけど」と言われ、内心それは私に言う話じゃないだろうとげんなりしましたね。何て答えて欲しいのか、何を目的に話しているのかさっぱりわかりません。と言うか、理解する事を脳が拒否しました(苦笑)。
生まれ変わったら、今度は食卓が楽しい家に生まれたいです。母もそう思っているのでしょうが、原因は自分だったとは露程も解っていないでしょう。(私と継父と二人だけの時は、ほのぼの過ごしてました。)
母の事はいずれ施設にお願いしようと思います。可哀想な気もしますが、そう思います。
心の内を書かせて頂き感謝致します。
大変失礼なことながら・・・・いつも人様の親を批判せざるを得ないので申し訳ないのですが、何というか「あなたのためだ」と堕胎に小6を付き合わせる?
自らの罪悪感をあなたに転嫁したのか、それは解りませんが恐ろしく常識はずれ・・・・で、お母様はちゃんと教育を受けたお方ですか?
もっと以前は、中学だけの卒業という人も多かったのです。頭は悪くないのに語彙が乏しく考え方がちょっと? という方は聞いてみると教育歴が浅いということが割りにあります。現在、80前後の方にいらっしゃいますが、あなたのお母様なら70歳ぐらいでしょうか。
>三十年の時を経てもその事が分からない母の思考回路に強い疑問を感じます。
思考回路というより、教養の範疇に属することかと思います。貧しいご家庭の出のようなので、たとえば中学を出たらもう働きに出ていた、といようなことはございませんか?
>死んでしまったら優しくしてあげられない今の葛藤を激しく後悔するのでしょうか。とてつもない寂寥に襲われるのでしょうか。
どうでしょうね。葛藤の後悔はないと思いますが、寂寥感は、あるかもしれません。
今からこころの中でシミュレーションしておくといいかもしれません。
優しくしよう、誠実であろうとしてもまあ無理なんですよ、親子関係で幼少期から傷ついてきた人たちを拝見していると。無理。
無理を承知でやることはないです。気が向いた時にちょこっと出来ればよろしいですよ。
悪いのは親なんだから、もっと気をお楽にどうぞ。
あかねさん
お一人になった時は、おもいっきり罵ってください。心の中でもいいですが、出来れば声に出して。
感情を封じ込めれば、人生や体調への不調としていずれ噴出するのですから。
ここでもいい、非公開でもいいので、思いっきり喚いて罵ればよろしいと思います。
人の人生台無しにしやがってこのクソアマ、はったおしてやるぞ、ぐらい言っていいですよ。
非常に教養のある社会的にもある地位に上り詰めた女性ですが、「亡くなった母を今でも打擲したい」とおっしゃってました。「打擲したい」は随分、品が良い言葉ですが、要は「あのクソアマ、死にやがったがまだゆるさねえぞ、娘の気持ちをズタズタにしやがって」ってことですね。
食事しながらうかがったその方のお母様への感情、今にして思えばもっと掘り下げて聞いて差し上げればよかった・・・・・・もう80に手の届きそうな美しい方なのですが。
出来れば、体験は他の辛い思いをした人々と
共有していただきたいのと・・・・・感情は
大勢の目に晒したほうが、解放も大きいと
思われ・・・・
もし、やはり非公開で、と思われるならお知らせください。
お返事は改めてたぶん別の日に。
出来なかったら、ごめんなさい。
母を「憎む」という言葉に反応してコメントしたのに、返信とも言える記事を読んで、「ああ、私は母を憎んでいるんだ。自分は虐待されてきたんだ」と、初めて心から納得出来たように思います。そして、憎んで許せない気持ちを持っている自分を許しましょう、という言葉に気持ちが緩んだのか、仕事中も涙が出そうになったり大声で叫びたくなったり、感情のコントロールに苦労しました。同時に、燃えたぎるような憎しみの感情が蠢いています。社会に出て、他人に批判されたり、否定されるような言動をされた様々な事が思い出されました。その原因の大元に、母の精神的虐待があると分かった今、自分を責め続けて悩んだあの時間、二度と戻ってこない時間を返して欲しいと思いました。
いつも真綿で首を絞められてような感覚、蜘蛛の巣に覆われて自分も世間もボンヤリとしか見れない…。そんな状態でしか生きて来られなかったことが悔しいです。人生50年の昔ならば、晩年と言える年齢の今、残りの人生は自分を責めずに、普通の感覚で生きて行きたいと、心から思います。アダルトチルドレンの母の犠牲となったままでは、もし今死ぬようなことになったら悔やんでも悔み切れません。母から生まれて、その母に人生を破壊されるなんて、何の為に生まれてきたんだろう?とも思います。
肉体的な虐待はクローズアップされますが、精神的虐待の破壊力も本当に凄まじいです。
スピリチュアリズムを少し齧ると、全部きれいごとにされてしまうのは実感しています。悪い感情を持つことは自分にマイナスになるから許せ、とか言うんですよね…。出来ないから皆さん藁にもすがる思いで相談しているのに。私が相談した方は、私よりひどい精神的虐待されてた方なので、ただ「辛かったね」と黙って聞いてくれたのは幸いでした。
貴重な場を設けてくださって、心から感謝しています。まだまだ自分を解放するには時間がかかりそうです。またお邪魔させて下さい。
冷静に考えて、子供に言うべき話ではないのですが、三十年の時を経てもその事が分からない母の思考回路に強い疑問を感じます。
継父は優しく辛抱強い人ですが、激しく受身で母にとっては頼りにならなかったので、厳しく私を躾ながらも都合のいい時は甘えてきたのだと思います。、、、私は、しっかりしなければ、心をクールにしなければ乗り切れなかった。
だから、今でも反射的に母の手を払いのけてしまいます。時々、母が死んだら私の事は忘れてほしいとすら思います。間違っても私の守護霊になったりしないで欲しい。
でも、死んでしまったら優しくしてあげられない今の葛藤を激しく後悔するのでしょうか。とてつもない寂寥に襲われるのでしょうか。
あまり人に話せない話をお言葉に甘えて書いてみました。乱文すみません。
あなたのコメントはとりわけ差し障りないかと、公開させて頂きました。
僅かながら念のため、申し上げたいこともあったので。
>それが本当のことなのかはわかりませんが
重々心得ていらっしゃると思いますが、これはご主人には絶対おっしゃらないでくださいね。
話し始めたら、批判抜きに黙って頷いて聴いて差し上げてください。
そうです。仰るようにその当時の子供の心の中で全ては起こったことですから、真実なのです。
普通に育った子は絶対にそういうことは言いません。
ただお子さんたちの前での母親そしりがもしあれば、それは後でそっと注意してあげたほうがいいかと思います。子供たちに身内不信は刺激がまだ強すぎるとでも言って・・・・
>また、そんな風に思わせることは 傷を深くするのではないかと心配していたのですが
いいえ。まったく。傷ついて孤独だった子がやっと辿り着いた安住の地がとろろさんであり、お子さんたちであり現在の家庭です。
私はご主人のために、ほっとしています。よかった。
片付けなんか家庭にとって必須条件でもなし、二の次三の次です。
包んで差し上げてください。ある意味ご主人の一部はあなたの、子供でもあるような。
私の主人が被虐待児だったと思われまして、今回のお話しも大変興味深く読ませていただきました。
母子家庭と父子家庭の両方を経験しています。最終的に家出をした母親が再度引き取りに来たそうですが、ずっとトイレに隠れていたそうです。
母親のことはボロクソに言います。それが本当のことなのかはわかりませんが、子供がそう感じたということが 問題だと思っています。
主人は、私が母親だったら良かった、(私達の)子供たちは恵まれてる、と言います。実際の私は 片付けが苦手なワーキングマザーなので、決して褒められるような母親でも嫁でもないのですが、そんなふうに言うところを 不憫に思います。
また、そんな風に思わせることは 傷を深くするのではないかと心配していたのですが、今回の記事を読んで 少し安心しました。
長々とまとまりのない文で申し訳ありません。
少しでも多くの人が、少しでも多く安心や幸せを感じながら 生活していけるよう祈っています。
この問題を提起して、このような場を与えていただき、ありがとうございます。
先生の益々のご活躍を祈っております。
非公開にさせていただいてます。
全部、頂戴するのはきちんと拝読しています。
>ご多分に漏れずセラピー系やスピ系もやってみたんですが今あるのは親のおかげみたいな話になってしまいそうで
そういうことです。
親からの精神的虐待を受けた経験のあるセラピスト以外は、似たり寄ったりの結論に持って行くと思います。
癒されはしません。その程度でお金を取ることに、私は少々理不尽を感じています。藁をもすがる思いでお金と時間を使って出かけるのに、得るのは結局「お説教」なので。
あの親の葬式にすら出たくないという人が、世の中にはいます。
他人の死を惜しめても、親の死には無表情でしかいられない人たち。中にはしみじみ解放の喜びを噛みしめる人もいます。
そういう自分を許しましょう。原因を作ったのは、あなたではありません。