井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

空蝉の

2018年09月03日 | 日記

紫式部の素敵なビッチぶり(褒め言葉である)を書いていて
確かBLさえあったなあ、と思いだしたのだがコメント欄で
それが「空蝉の巻」であることを、教えて頂いた。
記憶だけはよいと自惚れていたが、思えばそれを
読んだのが40年前のことである。

手元に原本がないので、ネットで空蝉が読めぬかと渉猟してみたが
いずれも、空蝉がその衣を脱ぎ捨てて姿を消す
くだりまでしか述べていぬような。
BL部分など余計なこととして、関心もないのかもしれぬが
私には、空蝉がさして美人でなく描写されていることと、
光源氏が空蝉の弟と同衾することが、等価に興趣深く
感じられる。

空蝉は美貌ではないが、そのまとう品性に光源氏は
心惹かれ、その品をこそ抱きしめ乱れさせてみたかったのかも
知れぬが、この時光源氏は十七歳、満年齢ではもっと
下であろうし、成熟の早い当時にしても性愛に対しては
天才的に早熟であったのかもしれない。空蝉への
関心など、本来性愛を極めた中年男の感性である。
現代の熟女好きということとは違うような。

と思うのも、その後光源氏が添い寝する空蝉の弟の存在が
あるからで、男女のときと同じく紫式部は性愛の
あれこれをつまびらかには筆にせぬけれど、
40年前に読んだ時、とても官能的な筆致で
描いてあるように感じた。添い寝だけではないのかもしれず、
行間を読んでみたかったのだが、原文が手元にない。
この短いくだりがあることで、源氏物語はより
複雑な光彩を得た。

薄い記憶に頼るなら、ロリコンめくくだりもあったような。

典雅な古語で述べられているので、そうは感じない人も
いるかもしれないが、設定はBL含めて少女漫画である。
そんなに美人というわけでもないしこれといって才能もない私なのに、

学校でも一番人気の彼に愛されてしまった私・・・・的な。
さして美貌もうたわれていなかったらしい紫式部の
妄想的ハーレクィーンなのかも知れず。

といって、ハーレクィーンや少女漫画と一線を画するのは、
文体の品格と、もののあわれが底流に流れている点であろう。
視野は色恋にとどまらず、この浮世の儚さ、宿業の凄まじさをも見据えているから、
深い。

しかし、嫌な女だったろうなあ、と思う。無邪気に自慢ったらしい
清少納言のほうが、飲んだら楽しいかもしれない。

 

 

永ろうべきか空蝉の 儚き影よ わが恋よ

と、「影を慕いて」で絶唱したのは古賀政男である。この方、したたか
片思いのつらさを味わったのだろうと思われる詞と旋律である。
それを見事な歌に昇華した。片恋の辛さがひとかたならぬのは
古賀さんの愛の対象が男性であったからかもしれぬ。
想いが報われぬことのほうが多かったろう。
最初から相手と対等の恋愛のフィールドにさえ上がれぬのである。
お弟子には手をつけられていたようには、聞き及ぶが。

戦前、川端康成、三島由紀夫、森鴎外などが同性との恋愛を
経験している。たまたま紫式部つながりで文豪たちを
上げたが、どの分野にもいる。その日記が書物として出ている
高松宮親王殿下が、海軍兵学校の同級生への強い思慕を綴られたのは
十八歳の時で、隠しもしていらっしゃらない。
窮屈になったのは戦後アメリカがキリスト教ピューリタニズムを
日本に持ち込んで以来であろう。

万葉集にも男同士の相聞歌は珍しくもないが、それにつけても
上流から中流まで、こぞって詩人であった日本というのは
凄いなあ、と改めて思う。その土壌あればこそ、紫式部の
長編小説、清少納言の随筆、和泉式部の詩が芳醇に咲き開いたのであろう。

 

 

 

誤変換他、後ほど。