井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

やっぱり胡散臭い森喜朗会長

2017年01月09日 | 日記

今更、何を言い出してるのだろうと思われるのが、五輪組織委員会の森喜朗会長です。

ゴルフ会場として決まっていた「霞ケ関カンツリー倶楽部」が、選手村と同クラブが約70キロも離れているとかで、何を今更・・・・最初から分かっていたことを。

「首都高、関越道に五輪専用レーンを設置できるかも含めて輸送計画を作る必要がある」とくれば、新たな土建利権ですか、とこの人の場合には疑心暗鬼。

「霞ケ関カンツリー倶楽部」が、内陸部にあるので気温が40度になるとおっしゃるのだが、そもそも盛夏開催の五輪自体が問題なのに。

東京の8月は、アスリートに最も快適だ、という恥知らずな大嘘を招致書に書いた人物をいずれ特定せねばならないだろうに、むろん開催が決定した今となっては、誰もやりません。

慣れた東京人がバタバタ倒れ、死者が出る酷暑の8月。海外からの客人に死者が出たら、招致書に「快適な季節」と嘘を書いた人物は、せめて恥じなさい。五輪というお祭りで人が死ねば価値半減です。

開催場所の変更と予算削減で戦う小池氏を擁護したら、コメント欄に「いったん決まったものの変更はよろしくない」とご意見を賜りましたが約束事をあげつらうなら、そもそも招致書での大嘘が発端の招致であり、道徳めくことをあげつらうごとき、きれいな状況にはありません。戦ったからこそ、利権の闇が暴き出されたのであり、それに決めたものを変える、どころか今この時期に会場変更を言い立てているのが、組織委の長です。

何度も書いていますが、五輪は汚れ過ぎました。各都市が敬遠し始めている状況です。

いったん決まったからには、成功してほしいとは思いますが、トラブル続き利権まみれの今回で気づいてほしいのです。こんなものを、再び呼び寄せようと
都民のお金を勝手に使うことを許してはなりません。

レガシーという言葉が頻用されますが、「二度と招致と開催に無駄な大金を投じるべきではない」という教訓を次代の大人たちである子供たちにレガシーとして残したいものです。

唯一、五輪開催が許容されるとしたら、候補に手を上げている米国ロサンジェルスのごとく、新施設はいっさい作らない、という条件のもとでしょう。
五輪がいまだ国威発揚になるのは、後進国です。

 

誤変換その他、後ほど推敲致します。

 


初笑い

2017年01月09日 | 日記

イッセーのリュックを背中に、有楽町はitocia内の店に有機野菜を買いに
行きました。

方向音痴の私が降り口を間違えて、どうしたものかと思ったとたん、
「itociaってこの方向だよ」と、カップルが話しながら通り過ぎていき、
やれありがたや、と彼らに付き従い、実はこの手のシンクロは
割に、私には起こります。

自然食品の店「ナチュラルハウス」に向かいながらカフェ内にひどく不可思議なオーラを発散している女性を発見。

派手目の着物に、キンキラ系の髪飾りで、ひさしの前に突き出した準日本髪。
年齢の頃、六十代前後・・・・

しかし、全身から漂うこの、不可思議なオーラは何? と足を
止め観察した私も、好奇心が過ぎると申しますか、失礼と申しますか・・・

佇んで観察すること40秒。その女性の喉仏に、突起があるのを発見して
納得。昼日中の有楽町のカフェに和服でいらしたお方のお商売は何?
と思いつつ、その方が召し上がっていらっしゃるのが「寒ブリのぶぶ漬け」で
思わず笑ったのでした。

これが「鯛の茶漬け」ならなんとも思わないのですが「寒ブリのぶぶ漬け」というのが、そして絢爛豪華な和服の初老男性だったというのがツボだったのですが、こういう独りよがりの感性、分かってくださる方いらっしゃいますか?
普通の女性や、美しい女装の男性が「寒ブリのぶぶ漬け」でも面白くないのですが・・・・浸かりすぎた梅干しにお粉をはたいた具合の、女装初老男子のが「寒ブリのぶぶ漬け」だから、私には面白いのです。

笑いはそれにとどまらず、違和感の正体が解って満足して、カフェのガラスからナチュラルハウスのほうへ顔を向けたその瞬間、なんと見るも歴然としたカツラの、これも60歳前後の男性で、その前に張り出したひさしのヘアスタイルが、カフェ内の女装おじさんと、寸部違わずというくらいにそっくりで、私が失礼ながらついニヤリとしたら、そのおじさんも愛想よくニヤリ、泡食った私は慌てて視線をカフェ店内に戻したら、女装おじさんと目があって、浸かりすぎた梅干し顔の女装おじさん私にニヤリ。

3人で意味もなくニヤリとしていた、有楽町の1月7日なのでした。

 

誤変換その他後ほど、推敲致します。


日本に溢れかえるハングルと中文

2017年01月09日 | 日記

駅の表示名に、英文に添えて韓国文字(いや朝鮮文字というべきか、
北も使っているので)と、中文文字が併記されているのが見苦しく、
また占領されたような気分になるので、見かけるたび不快なのだが、
この間は地下鉄の電光掲示板でハングルが流れ、
まことに心楽しくないことではあった。

爆買いの店舗なら解る。商売だと理解もする。しかし、駅の表示は
英語だけで十分ではないか。

狭量だと言われるのだろうか。
しかし、韓国や中国の駅に日本語が書かれているだろうか。
もし書かれたら、その瞬間猛然たる非難を浴び、おそらく
実力行使で消されるだろう。

日本だけが、なぜ媚びる?

地方のバス停にすら今や韓国語。もとい朝鮮語。

自国の領土を不法占拠されている相手国の文字を駅に表示してあげる、
などと、日本以外のどの国がやろう? 国際常識からしたら、ほとんど気が狂っているレベルであろうかと思われる。

不法占拠されている上に、いもしなかった強制慰安婦で貶められても
「遺憾の意」で終わり。せいぜいが大使の呼び戻し程度。
相手は痛くも痒くもない。
せめて、大使館をクローズにして出先事務所程度に規模を縮小したら
いかがか。すると、大使館前の慰安婦が、宙に浮く。

売春婦の像を世界に拡散していることの恥ずかしさ。
今も昔も、大きな外貨の収入源であるのなら、いっそ
お祭りにして華やかに騒いだらいかがか。

ハングルと中文の氾濫に私が神経を尖らせるのは、
侵略というものが常に、文化破壊と共にその国の言葉追放から
始まるからである。

かつて日本を占領した連合軍が行った日本弱体化政策の1つは
日本文字の廃棄だった。識字率を上げるために(文盲の多い
自国を棚に上げ!)、ローマ字に置き換えようという阿呆極まりない
政策だった。

それに同調したのが、志賀直哉、湯川秀樹。

GHQに文句を言われ、当用漢字というかたちで余計な制限をやむなく
かけたのが吉田茂。それまで4000字以上使用されていた漢字の数を、
1850字までに削り、日本人の語彙は一気に半減以下にさせられた。
言葉の貧弱化は文化の衰退にほかならない。

使う漢字を制限したから、日本文字の使用を許してくれと言うも、
GHQ側は納得せず、日本人の識字率を知りたいと主張、
試験問題が出された。

ところが、これがアメリカ側が仰天したことには、高得点。

そりゃそうだ、身分制度がはっきりしていた江戸時代でさえ、
庶民は読み書きが出来ていた。それが日本人なんだ。

豊葦原の瑞穂の国は言霊のさきわう国だ、ってのご存じないか、
ヤンキーめ。たかが青少年レベルの文化度、成熟度で
大人の日本を測るな、っての。

漢字を廃止した韓国では、同音異義の朝鮮語で不自由を味わい、
漢字の簡素化を試みた中国では、漢詩を読めず、今や
返り点を駆使、読み下せるのは日本人のほう。

漢字ひらがな、かたかなの混在で、筆書きすれば視覚的にも
日本語はアートとなる。

子供の頭脳は柔軟で、漢字くらいいくつでも覚えられる。
気色の悪い交ぜ書きは、止めて欲しい。旧字体に戻せとまでは
言わないが、当用漢字の狭量枠はGHQの差配下にあっての
強制でしかない。

憲法と同じくで、言葉はその国のものであり権利でもある。
日本語の復権を、そして要らざる中韓文字の廃絶を、と主張したい。
英語で十分であろうに。

いかに日本からソウルに観光客が訪れお金を落とそうと、駅に日本語は書かれてはいない。

中国の「国防動員法」をご存知だろうか。いざ有事となった時、人民解放軍のいい道標となるのが、駅名の中国語表記なのだ。

言葉への侵略行為は、国家への侵略と同等であるという感覚を持ちたい。

 

誤変換その他、後ほど推敲いたします。