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井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

ウィルス対策

2020年02月10日 | 日記

テレビで ちらっと見かけただけの情報であるということを前提に・・・・鵜呑みにはしていただきたくないのだが。

マスク不足は私の身辺でも同様。薬局の前を通りかかったら、消毒液のたぐいも払底しているようだ。 私は冬はマスクを常用するので 買い置きがありそれを少しずつ使用している、がコロナが長期に及べばどうしようか、と思い始めた時に、テレビで見かけたのが某医師が語っていた「マスク煮沸で再利用」ということである。

調べてみたら、肯定的意見とやや否定派と二通りであるようだ。

マスクのアルコール消毒をしっかりする方がいいという意見もある。が煮沸の効用を全否定もしていないようだ。ただ、煮沸も消毒も今回のような緊急時のみにして、一回ごとの使い捨てが原則ではあろう。

つり革を持つ時は腕をかけて 手は触れぬようにするほうがよいという意見も見た。

ハンカチ越しにつり革を持つというのは、どうなのだろう、とこれは単に私的疑問でしかない。

 

エレベーターのボタンを押す時は手指の腹を使わず、拳で押すとよいという意見も見かけた。咳をする時はハンカチか腕をせめてもの防御壁に唾液の飛沫が飛ばぬよう。

お腹に赤ちゃんのいる人、赤ん坊や幼児のいるご家庭ではさぞ心配なことと気遣われる。立ち話したドラックストアの人が「マスクもアルコールの容器も中国製なんですよね」と苦笑していた。

さてそれにしても、東京五輪を前にマスクや消毒液のストックぐらい国がしていてもいいのにとそれは素朴に思うのだが、ストックしていたところで分配の問題もあるだろうし、 早く収束することを祈るのみである。

お互いささやかでも出来る対策をして、この時期を乗り越えたい。永遠に続くわけではないのだから。過剰反応はせぬよう心しつつ、些細でも出来る用心は重ねたい。自らのためのみならず。

拙文中の不備は後ほど。

 


韓国は誇りと共に東京五輪ボイコットを

2020年02月08日 | 日記

このほど 韓国が東京オリンピック・パラリンピックのポスターに放射能を揶揄する形での政治的プロパガンダを行った。反韓を煽り立てるのは本意ではないのでポスターの画像アップは避けるが、白い防護服姿の人物が聖火とおぼしき炎を掲げて走る人物が描かれている。

このポスターは、ソウルの在韓国日本大使館の建設予定地のフェンスに張り出されたので、悪意は明らかであろう。

ポスターの作成はVANKによる。
vankとは、Voluntary Agency Network of Korea であり 端的に言えば日本貶めをメインの目的に活動する韓国の組織であり 「日本ディスり団体」というほうが分かりやすいかもしれない。

それにしても、日本の食材が危険だとして自国五輪選手たちの安全のために食事はいっさい日本のものは排除、自国製で賄うそうで、そこまで日本を放射能まみれの危険な国と思うなら、選手のみならず五輪をめがけて日本へ押し寄せるであろう 国民の健康をこそ考慮すべきであろう。 数は選手団のそれを遥かに上回るのだから。いっそ 東京五輪への不参加を潔く表明したらどうだろう。嫌がらせの域でしかないポスターや食材よりも世界に向けてきっぱりと韓国の姿勢を表明することになりはしないか。IOCは五輪会場で日本人が旭日旗を使った応援をした場合は状況ごとに判断する」そうだが、「状況」というのが解らない。16条の旭光が意匠化された旭日旗は民間を含めた日本の歴史を担う旗であり現在は海上自衛隊の艦旗である。  旭日旗デザインのティーシャツを日本人が着て 旗を振って・・・その事自体になんの違法性もないのだが、それに対して韓国の方々が騒ぎを起こした場合、それが「状況ごと」という意味なのか。ならば 日本人が 「あっ晴れ、祝い」のめでたい伝統旗でもあれば我が国の海上自衛隊の艦旗である旭日旗を使用するに何の遠慮があろう。胸に「日本海」背中に「竹島」と染め抜いたTシャツを着たとて本来、こちらの自由。 騒ぐのはあちら様のご勝手というものだ。

  戦後この方韓国には言われ放題され放題の日本だが、それには歴史的理由がある。

 その理由の一つである「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」他については次に譲りたい。

  といって、反韓嫌韓を煽る意図は皆無。差別もヘイトも無用である。理を通したいだけのこと。

ただ主張すべきをせず、言いがかりや捏造に対して黙っていると、「これからの日本人」・・・である子どもたちの世代に負の遺産を渡してしまうことになるから。

 拙文中の不備はのちほど。

 

  

 

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ありがとう梓みちよさん

2020年02月03日 | 日記

突然の訃報に今接して驚いている。どうなさっているかと思っている矢先だった。寂しい。

私の書くドラマを好いてくださって突然腰軽く拙宅を訪れてくださり、すっぴんであることに驚いたがきれいだった。その後ご自宅に招いてくださったこともあり、食事を共にしたこともある。

自分の曲のために書いて、と頼まれ「書きます」と言ったらタイトルは「どんでん」にしてとおっしゃる。突飛なタイトルだなと一瞬ひるんだが、みちよさんのあの歌い方と個性を頭において書き始めたら意外にさらさらと書けて送ったら「鳥肌が立つぐらい好き」と言っていただいた。結局、曲としては実らぬままだったのだが、気に入っていただけ詞をプレゼントできてよかった。

  共通の知人に電話して突然のさびしさを分かち合おうかと思ったが、さっぱりした人で、じめじめしたことはお嫌かもしれない。1人暮らしのマンションで倒れているのをマネージャーさんが見つけたという。長患いの果てのご逝去でなかったのをせめてものこと・・・と思わせていただく。

 みちよさん、あっちの世界で、またね。「どんでん」第二弾目を私、書かせてもらうから、今度は歌ってね。


宍戸錠さん

2020年01月22日 | 日記

思わぬ訃報に接して・・・・仕事でご一緒した方の訃報にはとりわけ寂莫の感あり。 錠さんとは西伊豆の宿の一室で酌み交わしたことがあり、なぜだかそこに山口達也くんと国分太一くんがいた。

錠さんがお酒が強く長引きそうなので、山口くんと国分くんには先に寝てなさいと部屋に引き上げさせた。 同じ宿には、稲垣吾郎くんとも朝ドラのロケで同宿したことがある。15歳だったそうで 少年たちは大人になり、錠さんは旅立たれた。歳月の足取りはわたしたちをこともなく追い越し置き去りにしてとどまることがない。 吾郎ちゃんは、30年ぶりの朝ドラ出演らしい。

一回目の朝ドラの時は、SMAP結成間もない頃で、打ち上げの席で吾郎くんが顔を両手で覆い、華奢な背中を震わせて泣いていたその姿を思い出す。

同じ宿で、橋爪功さんやいしだあゆみさんともご一緒だったことがある

私が宿のある町の名誉町民で 私が書く作品のロケには、その町と宿を使うことが多かった。私の名をかぶせたゴルフコンペもかつてあり、役者さんたちが参集していた、陣内孝則さんの姿もあった ゴルフとは関係なく松村達雄さんもいらして 黒澤明監督への愚痴を聞いて飲んでいたりもした。

賑わいの季節だった。当時の登場人物たちがふっっとかき消え、その時の座敷だけが、がらんとしたスタジオのように網膜にぼんやり残っている。

 

宍戸錠さんのご冥福を祈りつつ。

「井沢満はオレを使わねえな」と 盃を手に少しからまれたが 駄々っ子のようで嫌な感じではなく、今はひたすらなつかしい。


昔の自著 「英雄伝説 HARIMAO」

2020年01月17日 | 日記

必要があって 「英雄伝説 HARIMAO」という昔の拙著を取り寄せようとAmazonを検索したら文庫本なのに、2万5千円の値がついていて

仰天した。

招待枠でアカデミー賞の授賞式に行った時、ハリウッドのホテルの一室で書き始めた作品であるが、たをやめぶりの作品が多い私には唯一の

ますらおぶりの小説で朝日新聞の書評欄で珍しく激賞を受け、松竹で映画化された。ざっと読み返してみたのだが、時間がない中の執筆だったにもかかわらず

文章も構成もみずみずしく張りがあり、これは若さゆえの特権であったかと感慨を抱いた。推敲もなくすっ飛ばして書いたのが、かえって勢いがあり
おそらく集中度もピークだった頃。自分で書いたような気がせず、これは要するに「降りて来て」書かせてもらっている恩寵の中にあったのだろう。まれに

そういう作品がある。自著を買いためておく習慣がないために、いくつかの本が稀覯本になってしまっているらしい。それでも手に入ればいいほうで いくつかの本はもう

永遠に手に入らない。 10冊程度は手元に置いて置くのだったと悔やんでも遅い。「英雄伝説」に関しては読んで頂きたい人が、いくたりかいらっしゃるのだが。それでも電波の空間に消え果ててしまうドラマと異なり活字は残る。この年令となっては墓碑銘に等しい。