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井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

白髪のピーター

2020年01月09日 | 日記

旧年、嵐の諸君が参加したあの「天皇陛下即位記念式典」の役員を仰せつかっていて、どういうものかご指名で末端に名を連ねているだけで実質何をさせて頂いた、ということもないのだが、役員の肩書がある間は自らが不祥事を起こさぬまでも巻き込まれぬよう身を謹んでいようとそれなりに緊張していたのだが式典は無事終了、お役御免でほっとしていたら、いつの間にか年を越していた。

過日、三田佳子さんと銀座の和食店に出かけたのだが店内に入るなり、丁寧に腰をかがめて挨拶をしてくださるやや高齢の女性がいらして、後でふっと気づいたのだが大プロデユーサーの石井ふく子さんだった。

石井さんのお辞儀の丁寧さにつられて、こちらも深々と腰をかがめてよかった。ドラマの世界の大先輩である。
三田さんと個室でゆっくりしている私のもとへひょっこり挨拶に来てくれたのがピーターさんだったのだが、頭髪が白い・・・・

え、もうそんな歳だったかなと驚いていたら、三田さんが「あれ 今流行りなのよ」と。

ところで石井さん、90おいくつとうかがって仰天。現役で今も舞台の演出をなさっているそうだ。

セーターは、三田さんにプレゼントして頂いた、イタリアの手編みである。銀座の高島屋で マフラーも対で頂いたのだが 相変わらず拙宅室内から

いろんなものが昇天していて、マフラーも早々と見当たらなくなった。セーターは幸い手元にあり 普段着によく着て歩いている。

 

 

こちらは久々の藤真利子ちゃんたちと。昔、横綱審議委員の方に「冷えた酒は飲むな」と言われたのがなぜだか耳に残っていて、日本酒のぬる燗を頂くことが多い。

メルボルンに暮らしている頃 暖炉の際にビールを置いて温かいのを飲んでいたことを思い出した。

暮れは紅白をちらっと見たが、若い歌い手たちが鼻濁音ではない「がぎぐげご」と濁音で歌うのが耳障りだった。気にならない人たちが多くなったのかもしれない。

「日本語は響きと調べである」というのがわたくしの持論だが、鼻濁音を置き去りにすると「響き」と共に「調べ」も濁る気がする。そもそも鼻濁音がなぜ誕生したのかを不勉強で知らないが、濁った音を鼻に抜けさせることで、がさつな音にほのかなベールがかかる気がする。

百恵さんが歌い手になった息子さんに、「この曲は鼻濁音で歌ったほうがいいんじゃない?」とアドバイスしたということを何かで読んだ時は嬉しかった。鼻濁音は昭和の響きでもあるかもしれない。

というわけで 遅れ馳せながら あけまして おめでとうございます 

 

 

 


無題

2019年07月30日 | 日記

「徹子の部屋」で岩下志麻さんをお見かけしたので、お元気で何よりと、メールを出したら即座にお返事が来て、「年齢を感じながらがんばっています」と絵文字付きで即座に返信を頂いた。即レスは若者並みである。

その後三田佳子さんから電話を頂戴し、小一時間喋ったのだがふと岩下さんと同じようなことを、おっしゃった。平均値よりは随分若くお元気な大女優さんお二人がそうなのだから、抗えぬものがあるのかもしれない。体操教室に通ったり、なるべく階段を使ったりで元気な私もふと足元がおぼつかない時があり、気を引き締めている。

 

さて京都アニメーションの火災のことであるが、アニメにとりわけ嗜好を持っているわけでもないのだが、日本国の国家財産レベルで大事な文化財であることは承知しているし、自分の原作で連続アニメ化されたものもあるので親近感は持っている。という以前に、私の脳裏では「作品」としての評価が先に来て、ことさらアニメだから実写だからという区分けがない。コンピューターによる作画に頼り切らず手描きの部分を大事に随分、評価の高い作品を作っていた会社のようで、無念なことである。

「京アニ」については、海外を含めて義援金が随分寄せられているようで、それが僅かながら救いであろうか。

事件を時系列で辿ってみると不可解な要素もあり、なんとも割り切れない嫌な気持ちをこの数日間ひきずったまま無言でうち過ごし、遅れ馳せの哀悼の意であるが、志半ばに亡くなられた方々のご冥福を衷心よりお祈りする。

・・・・・・アニメで思い出したが、韓国の衣料メーカーが自称韓国アニメ「ロボット・テコンV」とのコラボレーションで、テコンVをプリントしたTシャツを日本の輸出管理反撃として売り出すという。
テコンVは日本のロボットアニメ「マジンガーZ」のパクリである。何をやっているのだか。このパクリマジンガーを独島(竹島)の守護神にしようという動きも、そう言えばあった。

 


「二人」のこれからを外野席でお節介にも考えてみた夜更け

2019年07月21日 | 日記

例の闇営業であげつらわれた芸人さんたちお二人の会見を後追いで見ているうち、気の毒になり胸が痛んだ、というのも彼らの言葉が今回は嘘も隠しもない真実を語っているのを感じたからであり、だから彼らのやらかしたこととその直後の保身に走った言動を擁護は出来ないのだが・・・・凡人ならあの程度の魔が差し方も保身もあるだろう、一体どれだけの人たちが彼らに石を投げられるのだろうか、と自分を含めての思いもあり。

こういう文章を書く時は道徳家であらねばならず、そこも厄介なのだが・・・・闇社会とは表から見えぬところで通底した芸能は昔からで、昨今のコンプライアンスとやらで芸人に通常一般の常識を求めても、と思う一方、テレビという凡人相手の凡人コンセンサスが求められるメディアではその論調も無理・・・・

彼らの行く手が厳しいのは会社という大きな後ろ盾を失ったこと以上に、あれだけ素顔の涙を人に晒した後でお笑いは痛々しく無理。

場を小さなライブ会場に移したとしても当分は自虐ネタを余儀なくされ、その禊の日々が明けたらテレビではやれない、本音の毒をこめたお笑いに移行するのはどうだろう。単なる飲食店経営に走るぐらいなら、ここはいっそあの二人がコンビを組んで自分たちの店を持ったらどうなのだろう。
当分、客は来る。罵声的なヤジも浴びるかもしれないが、それも禊である。
家庭もあるし、食わせねばなるまい。共同で小さなステージのある店を持ち、従業員は一人、自分たちも酒を作り配って、それで暮らしを支えながら笑いの感性を鈍らせないように毎晩短いコントでも一年中やり続ければ、そのうち出る芽もあるのではないか。
一人は映画で役者の声が、いずれかかりそうでもある。修羅場を経た時の役者こそ実は使い時であったりもする。

・・・・・とこのところ日韓話題ばかりでたまには他の話題をと考えてみたのだが、この程度のことしか書けない。


そもそもなぜ韓国が「ホワイト国」だったのか、という素朴な疑問

2019年07月17日 | 日記

最初から韓国を「ホワイト国」指定などしていなければ、そもそもこの度の騒動はなかった。
問題の基本は、実はそこにこそあるのではないか。

ということで経産省が「ホワイト国」に指定するための要件を調べてみた。

「 大量破壊兵器等に関する条約に加盟し 、輸出管理レジームに全て参加し 、キャッチオール制度を導入している国については 、これらの国から大量破壊兵器の拡散が行われるおそれがないことが明白であること」

これに添えて、「国際的安全保障に関する輸出レジーム」として、以下の4つの枠組みを満たしていること。

 

1 原子力供給国グループ( NSG )

2 オーストラリア・グループ( AG )

3 ミサイル技術管理レジーム( MTCR )

4 ワッセナー・アレンジメント( WA )

上記4つ全てに参加している国のほとんどを日本は「ホワイト国」に指定している。

韓国はいずれにも参加。この点では、韓国は条件を満たしている。しかし、あくまでも素人の感覚レベルでしかないのだが、同じく条件をクリアした親日国トルコを外し、明らかな反日国である韓国をなぜホワイト国扱いしたのか、と疑問が残る。

(トルコを挙げたのは、親日と反日を対比させる意図であり、トルコがなぜホワイト認定されていないのかに突っ込む気は今はないので置いておくとして)我が国の領土竹島を奪って返さない国がなぜ「白」なのだ? という心情レベルの割り切れなさである。韓国の国防白書の表紙に竹島(独島)が載せられた事があって、要するにここを侵すものは(つまり日本だ)武力攻撃するぞという威嚇であった。EUが韓国をホワイト国扱いしていないものを、なぜ日本がやすやすと認定してしまったのか。

VANKと称する日本毀損広報隊(日本ディスカウント作戦隊)がいて、芸能人メンバーである彼らも折りに触れ海外に「日本=悪」を広めて来た。彼らを日本の企業はCMに起用して来たどころか、竹島(独島)は韓国の領土であると海外で運動を繰り広げている女優をドラマの主演に据え、かたわら化粧品のCMに起用、盛大に円を渡し、ということは要するにこの女優の反日運動への喜捨に等しい。
何とも奇怪な構造を日本は有してきた、それが戦後74年間の日韓関係のいびつさである。

つまるところ、韓国のホワイト国認定は日本の「別格の好意」ではなかったか。
日本人の教科書内容から靖国参拝にすら介入して来て、明けても暮れても嫌日、侮日三昧の韓国をあくまでもかばい、そして助けたい勢力が日本の政治圏内にいた、ということなのではないのか。そこにこそ国民は目を向けないとまたぞろ反日国是を他ならぬ日本が肯定してしまうという、病的な構造に引き戻されかねない。

国家としての反日と、韓国人個々とは違うという言い方にはまやかしがある。国家は国民の意志の総体なのだから。互いの観光での往き交いや、芸能面での「交流」とやらを称して「民間は親密な交流がある」などと言うのも、本質を覆い隠す言い方であろう。旅して歌って踊って友好が成立するなら苦労はしない。
歌いに来るのは、韓国が音楽市場として狭いからであり、日本が好きで彼らがやって来るわけではない。少数、本当に日本が好きな人たちがいて、しかし国柄ポーズとしての反日姿勢を強いられているのは事実だが、総体として今は述べている。彼らの微笑みの先にあるのは、日本のファンではなく彼らが持っている財布である。円が好きなだけ、日本への原爆投下を祝うような連中なのである。文化と政治は違うというのもきれいごと。韓国は芸能人をずっと反日工作員として使って来ている。

芸能と政治は別という言葉の欺瞞については、以前韓国のスターを主役にしてのドラマの企画を打診されたことがあり、その間の経緯を記せば具体的に分かろうかと思うが、紙幅が尽きるし今回の拙分の主旨からは逸れるのでそれはいずれかの機会に委ねたい。

今回のことを一過性の通過点で終わらせてはならない。
相手は反日国是、そのためにつく嘘は彼らには罪ではない。嘘を恥じないのは国民性なのか、相手が「戦犯国」日本であるからなのか解らないのだが、ここへ来て潮目が変わりつつあるように思う。国内外のある層には悪役であるトランプ大統領の登場が、潮目を変える大きな役割を果たしていると思う。

安倍さんとトランプ大統領とのタッグが千載一遇の好機であろう。この際、韓国を叩き潰せというごとき荒々しい論ではない。長く引きずり、この先もそうであろう日韓の軋轢の、何が真実でそうでないのかを両国民共に冷静に見極める時が来た、とそのように思う。

拙稿ですでに記したことであるが、「徴用工」問題は問題の噴出の単なるきっかけにすぎない。近くはレーダー照射問題など、過去に累々たる歴史を踏まえての日本側のこのたびの爆発である。というごときことを、日本人の私が言うのはまずく、あくまでも外交上は「半導体材料の輸出規制を巡る措置は安全保障上の理由」である。だからそれまでの優遇を廃して通常の貿易相手としての待遇に戻した、ということである。輸出管理が結果的に輸出規制になった。日本にはどっちでもいいことだ。

「日本が単純に徴用労働者判決問題一件だけでこのような措置に踏み切ったとは考えない」

「過去数年間、韓日間で積み重なった問題が爆発したもの」

「韓国と日本は2年間、輸出優遇国(ホワイトリスト)間の実務級定例協議さえしなかった。相互不信と疑念がすでに相当なものになっていたということ」

という意見は、日韓問題を知悉したカーネギー国際平和財団のジェームズ・ショフ上級研究員が『ボイス・オブ・アメリカ』に語った内容であるが、私もそのように思う。付け加えれば、定例会議拒否は韓国側であり日本ではない。だからこの文脈での「相互不信・疑念」という言葉は不正確であろう。

徴用工問題が仮にとりあえず解決したとしても、それは日韓問題の根本的突破口にはなり得ない。韓国の教育から含めての、日韓の歴史問題の何が事実で事実ではないのか、という見極めが互いになされなければ、同じことの繰り返しであろう。否、ことここに至っては「同じこと」でもあるまい。
日本はこれ以降、言われっぱなしで黙っていることはないだろう。

日韓基本条約と日韓請求権協定の存在すら知らぬまま、日本に無理やり徴用工として引っ張って来られたと言い張り、訴え出て泣いてみせた韓国の一老人の嘘が、はからずも日韓の正確な力関係と韓国側の歴史の虚偽まで明るみに引きずり出したことに、なにがしかの感慨をおぼえる。慰安婦を自称する人たちの場によってくるくる変わる証言にもかかわらず、強制の慰安婦がいたという虚言はあたかも事実のように国際社会に定着しつつあるが、徴用工はそうは行かないだろう。徴用工の嘘がばれれば、それはいつしか慰安婦の嘘に辿り着く。かなり希望的観測も含めて、そのように願っている。
繰り返すが韓国を叩く材料としての事実ではない、捻じ曲げられ捏造された歴史を外交問題とするのは、韓国のためにもよくないので言う。
幼い頃より、日本への憎しみと反感を植え付けられる韓国の子たちは不幸である。同じく、手を変え品を変え自虐史観を刷り込まれる日本の子供たちも。
なぜそうなのか解らないまま、日本は韓国に対して負い目を持っていると漠然とした罪悪感を持っている大人は多いのだ。

もうご承知かと思うが、「韓日協定で、日本から受けた無償資金3億ドルに強制徴用補償金が含まれていた」というのは盧武鉉政権下の結論であり、その席に文在寅大統領が政府委員としていたのである。


慰安婦問題についてはいったん発した言葉であるし、外交上はもはや引き返せないことなのだが(韓国並みに前言を覆せるなら楽であろうが)、河野洋平、村山富市、小渕恵三氏らの非を私達は、知らねばならない。彼らに代表されるある勢力のことである。それが韓国のホワイト国認定にも結びついている。

 余談だが、文在寅大統領と鳩山由紀夫氏を並べるのは私のみではないらしく、海外の報道でも見かけて、少し笑った。


ホワイト芸人と、ホワイト国家

2019年07月05日 | 日記

ホワイト芸人のほうは、もうさんざん意見は出尽くしているし、今更私が何かを言うべきこともないのだが、このほど日本が韓国を「ホワイト国家」から外し、要するに優遇措置を廃したその後の成り行きを見ていると今後の展開からも目が離せず、さながらよく練られたドラマを見ているようだ。

成り行きを観察していると、これはおそらく米国も承知のストーリー展開だな、と「作者」安倍官邸の作劇術が透けて見えて来るようだ。

参院選目当ての一時しのぎのパーフォーマンスだと、たかをくくる向きが日韓共にあるようだが、私はそうは思わない。トランプ大統領とすり合わせ済みの措置ならなおのこと、選挙前の打ち上げ花火だけで終わろうとは思えない。韓国にとっては過酷なドラマ展開が予想される。サムスンやLG他の企業だけをターゲットの措置ではなかろう。韓国という国家を的に弓矢はキリリと引かれた。

青瓦台では強気の発言を繰り出しているが、内心の悲鳴が聞こえてくる。
高官の中には、「日本の対抗措置など、前もって読めていた」と吹く者までいるが、読めていて備えをしておかなかったのなら、なお政府の評価は下がろうに。

ことここに及んで日韓通貨スワップを願う声が韓国から聞こえてきて、ここまで日本はお人好しだと見くびられているのだな、と慨嘆せざるを得ない。
日本が感謝もされない、どころか急場を救ったとたん罵りで返してくる韓国の通貨スワップ要請に応じることはないだろうが、韓国はそれでもまだ「日本から願ってくる形にするのがよい」などと、居丈高なさまは相変わらず。
まるで「暴れん坊将軍」の悪徳商人のように、善人を見くびり見下したイケ図々しいセリフである。

悪がいっとき栄え、しかし大団円では正義の刃に滅ぼされるのが勧善懲悪時代劇のお約束であり心地よさなのだが、こと日韓関係では道理がうやむやにされたまま、自民党内の悪徳商人と結びついた悪大名により、かえって貢がされるというバッドエンディングで、後味の悪いドラマが戦後延々と続いて来た。

しかし、どうやら今回は今までの日韓連続ドラマとは趣きを異にして、「上様」がついに葵の紋どころの剣をカチリと鍔に鳴らし、スラリと白羽を抜いた。
私の耳にはラストで流れる「暴れん坊将軍」のテーマ曲が鳴り響くのである。
よきところで上様の助っ人に現れるお庭番と「くノ一」は、さしずめトランプ大統領と・・・さあ「くノ一」は誰だろう。案外、実は韓国内の理不尽な侮日に明け暮れる人々であったりして。

「ええい、このような所に上様がいらっしゃるわけがない、であえ、であえ、斬り捨てい!」と呼ばわるも、アメリカと中国はいっかな駆けつけてはくれぬ。

「潔くせい!」と上様に一喝された悪人は、自ら腹をかっさばくか、あるいは見苦しく取り乱したところを、助っ人の御庭番にバッサリ袈裟懸けに斬られて虚空を拳で握りしめ、パタリと息絶えるのである。

 

日韓ドラマは、そう単純な筋書きではなかろうが積年我慢に我慢を重ねていた人物がついに、もはやこれまで! と意を決して太刀をひっつかみ立ち上がったその姿、何やら日本を思わせて、お主がんばられよ、最後までやり通しみんごと本懐を遂げられよ、と私はエールを送るのである。

払暁までややしばし、「暴れん坊将軍」の再放送が30分後には始まる。