居酒屋飛松の後

沖縄で色々な出会いや出来事がありました
これからもずっと青い空、青い海
そして人々の笑顔が溢れます様に

ある一日の飛松

2009-02-17 15:02:57 | Weblog
昨夜は珍しく満席状態になった、一日の客入りは約10名

総数なのでよっぽどの事がない限り満席状態にはならない

なのに昨日は皆が時間を合わせたみたいに入って来た、本当に珍しい事である

昨夜は大阪から出張で和さんが来てくれた

和さんとは知り合って5,6年ぐらいになる、昔の店のお客さんだ

年に2,3度、沖縄に出張にきている、その度に飛松に来てくれる

日本経済界が本当に最近はおかしく狂っている

なのでよく最近は政治の話で熱く討論する時がある

前回、和さんが飛松に来た時は和さんが大阪出身という事で

ほかのお客さんが和さんに大阪府知事の橋本さんについて

大阪府民はどう思っているんですか?っと質問した

前回は和さんが11月に来ていて橋本さんはマスコミに随分攻め込まれていた

でも和さんは橋本知事の言うとおりすべての膿を今出すべきだと言った

それから約4ケ月で大阪府知事の支持率は92%になっていた

この先どうなるか分からないが僕は橋本知事を応援している

そして昨夜も中川さんの話になった

このように数年前までは政治の話にはたまになってもそこまで話さなかった

しかし最近はテレビにニュースになるとよく話す機会が増えた

ようやく政治が自分達の現実味を帯びるようになったのではないだろうか?

後、スポーツもやる事より見るのも大好きになって来た

昔は相撲なんて何が面白いのかと思っていた

でも今は早く場所が始まらないかと待ち遠しい

野球はWBCが始まりキャンプがあり間もなく開幕する

野球好きの僕にとっては今年は実に面白い一年になりそうだ


新しい仲間達

2009-02-16 14:19:49 | Weblog
ようやく今朝になり水槽の中に移してあげた

また今日も何か肌寒さを感じている

空も曇り模様で今にも雨が降りそうな予感がする

また温度変化による死にはさせたくないと思った

今朝ブログを見ると僕の姉の旦那さんから書き込みがあった

メダカについて、あまりにも急激な温度変化にはメダカも対応出来ないと

確かに僕の水槽には酸素ポンプや温度調整ヒーターも付けていない

だからこそ日々の温度変化にもっと気を使うべきだった

義兄の言葉をしっかりと頭に入れておこう

そう言えばキムタクと工藤静香が結婚した年に姉夫婦も結婚した

そして姉の名前がしずかで旦那の名前はたくやである

だから公共機関等の名前を提出したり書き換えたりした時は

いろいろな方達から祝福を受けたらしい

平成の大カップルと同じ名前夫婦は今も良いネタになるだろう

ベランダの水槽

2009-02-15 18:20:50 | Weblog
2年程前からメダカを飼っている

子供を産んだり死んだりを繰り返して100匹以上にもなった

水草も成長してメダカが見えない時もあった

しかし今年の1月は急に寒くなったり暖かくなったりした

そして急激な温度変化に何匹ものメダカが死んだ

2月の初めには全てのメダカが死に全滅してしまった

小さい頃から生き物は大好きでいろんな生き物を飼った

なのでメダカを飼うのには慣れているつもりだった

しかし全滅させた事はあまり記憶にない

そういえば近藤マッチが最近何かの番組でメダカについて語っていた

メダカは凄く神経質の魚で急激な温度変化や水質調整など

神経質になる程、注意深くやってほしいと言ってたのを思い出した

寒い時は段ボールかタオルで水槽を覆い温度を変化させない事

と言う言葉を思い出した、確かに最近の温度変化は急激だった

無知な僕がメダカを救えなかった、ゴメンナサイ

2週間程そのままの水槽がベランダで泣いているように見えていた

だから今度こそと思いメダカを買いに行った

そして今日、水槽を洗い水草も綺麗にした

1日水槽の水を馴染ませて明日メダカを水槽に入れてあげよう

メダカについても今後調べて行きます

もし何か情報があれば教えてほしい

四月に神戸に帰る

2009-02-14 15:05:58 | Weblog
再来月4月11日~4月13日に約4年ぶりに神戸に帰る

幼馴染の結婚式に出席するために久々なので既に興奮気味だ

それと伝説に近い友達達に会うのも楽しみだ

しかし一人の伝説の男にはもう会うことが出来ない

もう何十年という月日が流れているのに今も色褪せる事がない

幾つもの伝説に笑い泣いた日々、何度話を聞いても

お腹が痛くなる面白さ、テレビに出ている芸人など話にならない

彼とは生まれた時から親同士が知り合いで幼稚園、小学校、中学校と

同じで共に野球部でチームの中心的存在だった

なので生まれて15年はずっと一緒に過ごして来たという事になる

彼のお陰で随分と救われた人は多いはずだ

幾つものエピソードがあるが個人的に大好きな話を聞いてもらいたい

僕達の小学校は駅から校舎に陸橋が繋がっていて駅を通らないと

行けないという珍しい作りなのだ

その駅の売店での話だが確かビンの牛乳が70円か80円だったと思う

だから彼は100円玉をおばちゃんに渡し牛乳を飲みお釣りを貰うという

何もない普通の光景だ、しかし彼に掛かればたちまち面白い事になる

それはと言うと彼は100円玉を渡すと共に一気に牛乳を飲みほし

お釣りを貰うと共に空き瓶をおばちゃんに渡す

5秒程の出来事で颯爽と立ち去って行く

いつもながらおばちゃんは目を丸くしていたものだ

僕達は何度も何度も挑戦したが誰も出来なかった

なので彼のすご技を見るため100円を彼に渡しよくやってもらっていた

何度見ても圧巻である、今思えばなぜ彼は出来たのか不思議でしょうがない

この伝説は小学校6年間軽い街の噂になっていた

この出来事は今でも忘れられない程僕の脳裏に焼き付いている

彼は高校を卒業後社会人となり19歳という短い人生にピリオドを打った

当時突然の訃報に愕然とし何が何だか理解が出来なかった

彼はバイク事故で亡くなってしまった

彼の葬儀には彼との別れを惜しむたくさんの人々が訪れた

なのでいつも神戸に帰れば彼の御両親に会いに行くのだ

彼にはお兄さんがおり今は東京に住んでいる

彼のお兄さんは絵に書いたような方だ

頭がよくスポーツ万能、生徒会でのスピーチではいつも笑わされていた

そんなスーパーお兄さんなのだ

11月が命日なので毎年今でも僕達の同級生が彼の家を訪れている

なので誰が今何してるだとか誰に何人目の子供が生まれたとかの

話は彼の家に行けばすぐに分かる

今回もどんな情報があるか楽しみだ

いつまでも僕達の心の中にいる彼にはいつまでも僕達を見守ってほしい

死んでもなお輝き続けている彼の人生には凄ささえ感じている

同じ時間を彼と過ごせた僕は自慢出来る友と出会った事に感謝している







今住んでいる東町について

2009-02-13 12:51:35 | Weblog
今僕が住んでいる東町について紹介しよう

東町は昔那覇港の近くという事で随分と栄えていた

空港へも車で5分程、国際通りも歩いて5分程

新都心にも車で5分程と那覇の中でも随分とアクセスが良いと思う

昔ながらの家々と最近の建物が見事に融合している

東町にはホテル、消防署、県立郷土劇場、郵便局、那覇医師会、パチンコ

などなど意外に近場に何もかもが集中している

ホテルもあるのでよく観光客も歩いている

専門学校も3校あるので昼時は学生、会社員達が昼食を求め溢れている

この時間帯は祭りのような大騒ぎになり物の15分程で建物へと消えて行く

僕の居酒屋飛松も東町、昔働いていた店も東町にあった

なので知らない内に東町という場所に吸い込まれている

あと東町には公園が二つある、去年までは古い古い公園だった

夜通りかかるとオバケでも出るんじゃないかという不陰気だ

電灯も薄暗く木々達も成長しすぎて気持ち悪かった

しかし公園建て替え事業が始まり今は一つの公園は見違える程

綺麗で真新しい、後の一つも来月完成予定だ

公園が綺麗だとなぜか気持の良いものだ、那覇市長ありがとう

完成したら一人缶ビールを持って祝杯を挙げよう

周りから見れば危ない光景だろう

これからも東町ヨロシク、東町のため生きて行きます

家の下に住んでいる人

2009-02-12 14:17:44 | Weblog
約一年前に下の階に引っ越して来た人の事を紹介しよう

見るからにスポーツマンというすらりとした体型で凄く礼儀正しい

よく仕事の行き帰り出会い挨拶する程度の付き合いだった

階段でよくサーキットトレーニングをしていた

サッカーをやってるようで玄関先にサッカーシューズを何足も

置いてあったのをよく見かけていた

ただ本当にサッカーが大好きな人で仲間内でサッカーチームを

やっているのかと思っていた

そんなこんなでよく見かける日常の光景が半年以上過ぎていた

僕は野球が大好きなのでサッカーは日本代表戦しか見た事がない

だからJリーグにはほとんど興味がなかった

しかし去年の天皇杯を何気にテレビで見ていると

沖縄のかりゆしFCとFC横浜の試合を放送していた

当時なぜか普段サッカーの試合など見ないのにこの試合は

見入っていた、何分か見ていると釘付けになる出来事が起こった

なんと下に住んでいる人が画面に映っているじゃないか

ビックリ、そのまま見続けていると何回も画面に映っていた

そう言えばたまに二、三日家を留守にしていたの思い出した

そうか、県外に遠征に行っていたのかと辻褄が合った

結局後半ロスタイムに点を入れられかりゆしFCは負けてしまった

数日後かりゆしFCの選手だった事と試合を見ていた事を

伝えると随分と丁寧に挨拶されて応援していますと言った

それからかりゆしFC関連の広告等を見るようになった

人は全く気付かない事もあるものだとも思った

正に灯台もと暗し状態だ

そして昨日の事玄関先に段ボールが何個か出されていた

出て来そうな雰囲気だったので待っていると

その人が出てきた、挨拶し何気に引っ越しですかっと聞くと

岩手の方に移籍するという、何か寂しい気持ちになった

せっかく正体も分かり応援していたのにプロの世界は厳しいなあ

っと思った。またテレビで出てきてくれる事を祈って

たまにはサッカーを見るようにしようっと思います

もしテレビを見ていて出て来た時には昔僕の家の下の階に住んでいたと

事を自慢させてもらいたい

飛松メニュー

2009-02-10 12:19:53 | Weblog
飛松のメニューは基本300円380円480円である

冬場はお一人様の鍋が580円である

鍋は意外に好評で広島産カキ鍋、チゲ、ちゃんこ鍋、坦々ゴマ鍋

プラス200円で雑炊かラーメンを出している

鍋は三月中旬頃までなので宜しくお願いします

ドリンクはオリオン生300円チューハイ300円

梅酒、焼酎、コーヒー泡盛、日本酒380円、ソフトドリンク200円

お勧め泡盛は一升瓶より4合瓶に入れたのが1000円である

ぜひおいしいお酒と共に食事も楽しんで頂きたい

居酒屋飛松への想い

2009-02-10 11:20:56 | Weblog
居酒屋飛松は2005年7月11日オープンである

今の場所は誰もが反対だった、なぜなら裏道すぎるからだ

確かに電話で教えても分かりにくい、なので店の近くの

目印を言ってもらい僕が迎えに行った方が早い。

それ程初めてなら分かりにくい場所なのだ

一度契約を断っている、だけど何かずっと気になっていた

1ヶ月程探したがどの場所も何か物足りなさを感じていた

そしてやはりこの場所で勝負したいという気持ちに固まり

再度不動産屋に連絡を入れ契約に踏み切った

今思えばあの時の決断は間違ってなかったと思っている

最初の一年は苦しかった、隠れ屋的に行こうとすると本当に隠れたままだった

でも沖縄で出会った友達や数々の先輩たちに助けられ

苦しい中を楽しく過ごせたと思っている

今もだけど本当にありがたい事で感謝しています

たくさんの先輩からのアドバイスは今の飛松に十分生かされている

沖縄ならではの居酒屋での流れ的な教えは一番ありがたい言葉であった

そんなこんなで4年目を迎えている、感謝、感謝の日々である

お客さんは近くの会社の人々、沖縄で出会った友人達である

あと沖縄に来た当時沖縄ゲストハウスに随分とお世話になった

沖ゲスにはトータル4年ほど住んでいた

なので沖ゲスからの観光客の紹介は随分助かっています、ありがとう

こんな感じのお客様達である、そして男性率95%なのだ

大して料理は出来ないので2000円代の料金設定で

お腹一杯になって貰うのが目標です

一人のお客様も多く意外な話や地元ネタ、お偉いさんの話も聞けて

勉強になる、後なぜか飛松には年配のお偉いさんがよく来店してくれる

その人たちの話は店主を通り越し聞き入ってしまう。実に面白い

日々の努力と感謝の気持ちを忘れずに今後も東町のために

思う存分楽しく自分らしく生きて行きたい

近くに来たらぜひ店に来て色々とお話しましょうヨロシクね

夜5時から11時まで日曜日休みです

沖伊良部島の先輩

2009-02-09 14:04:16 | Weblog
去る2/7土曜日に沖伊良部島の先輩栄さんが店に来てくれた

栄さんと初めて会ったのは約8年前

僕が昔働いていた沖縄料理店に来たのがきっかけだ

当時は沖伊良部でダンプの運転手をしていた

なので年に何回か沖縄に遊びに来ていたらしい

そして栄さんのお兄さんは沖縄でカメラマンをしていた

その業界では知らない人はいないという

名の売れたカメラマンである

そのお兄さんが入院し栄さんが看病するということで

長期的に沖縄に滞在するということになった

それからよく店にも顔を出してくれる事が多くなった

沖縄で仕事を探そうということになり

栄さんは沖縄でタクシー運転手になった

そして僕も店を独立し居酒屋飛松を開店する

栄さんは沢山の友達を連れて来てくれた

確かに栄さん程こんなに知り合いが多い人は久しぶりだった

約一年前から故郷の沖伊良部で暮らしている

今回は地元中学校の同窓会で沖縄に集まったらしい

県外に居る人と沖伊良部に居る人が集合しやすい

ということで沖縄の那覇らしい

栄さんと会うのは去年の大晦日以来だ

久々に飲み上原正吉館まで連れて行ってもらった

栄さんとの思い出は多々あるが二つのビックリ話を聞いてほしい

一つは二年前の冬、栄さんが飛松で女の幽霊を見た話

カウンターに栄さん一人ふと隣に向かってしゃべってる。

僕が誰と話してるんですか?っ一瞬時間が止まり

髪の毛が長い女の人がいたがね?、、、っうん?

数ヶ月後、霊感のある友達に何も言わず店に来てもらい霊的な何か感じる?

っと聞くと長い髪の毛の女の人がいるって言った

でも悪い霊じゃないよ。でもやはり怖いです。

そして二つ目は僕と栄さんが夜歩いていると

僕の目の前で僕が一瞬空を見上げると

ドンッという音と共に栄さんが車に跳ねられ倒れている

あの時は死んでしまったのかと思った。全く動かない

周りの助けで救急車を呼び病院に運ばれた

僕は警察に現場検証等ののち病院に到着

多少のかすり傷でそのまま家まで送り帰った。なぜ何もなかったのだろう

未だに不思議で仕方無い。栄さんは霊感はないという。

数ある二つの忘れられない思い出だ

よく行く八百屋

2009-02-09 12:43:24 | Weblog
僕のよく行く八百屋を紹介します

場所は太平通り商店街の中にある

朝から晩まで人が溢れ活気に満ち溢れている

うちなんちゅも観光客も業者も外国の方々も

あらゆる人々が買いに来る

スーパーもいいが八百屋ならではの利点もある

やはり安い、量もあるので普通に買ってもまとめ買いである

顔を覚えてもらえば本日のサービス品や

何気ない会話でさえも凄く得をした気分にさせてくれる

商売とは対面で何気ない会話でさえお客さんが

喜びや愛を感じれば締めたものなのだろう

いつも勉強になる八百屋である