居酒屋飛松の後

沖縄で色々な出会いや出来事がありました
これからもずっと青い空、青い海
そして人々の笑顔が溢れます様に

N.K.O.T.B

2009-02-25 14:03:23 | Weblog
昨夜何気に沖縄ケーブルテレビを見ていたらN.K.O.T.B.の特集番組をしていた

N.K.O.T.B.とは1980年代にアメリカで爆発的に人気があった歌手グループだ

2008年5月18日に15年ぶりに再結成したのである

僕が彼らを知ったのは中学2年生の頃、たまたま友達の持っていた

洋楽の音楽雑誌を見た時からだ、なぜだか僕達は彼らに夢中にさせられた

アメリカではすでに人気があったが日本ではほとんど知られてなかった

僕の友達のせいみは当時皆が日本の歌手に憧れていた頃洋楽にハマっていた

だからせいみに頼みN.K.O.T.B.の資料等を探して貰った

するとアメリカでの人気やどんな歌を歌ってるかという資料を見せてくれた

それからというもの僕達はN.K.O.T.B.の虜になった

僕達だけ知ってちゃダメだっと勝手に思い込み学校の皆にも教えた

昼間の放送に歌を流して貰う事で皆に知って貰おうとした

すると徐々にではあるが飛松中学の当時の生徒に知れ渡るようになった

それと同時に日本のテレビでも取り上げられるようになり益々の加熱ぶりだった

一時期は飛松中ではN.K.O.T.B.を知らない人は居ないとまで言わせた程だ

これは少し大袈裟だが

以前にせいみから再結成したという連絡があったので少し気にはなっていた

なので昨夜の特集番組は久しぶりに中学時代にタイムスリップしたようだった



原辰則、侍ジャパン

2009-02-25 12:32:08 | Weblog
昨夜のWBC、オーストラリアとの強化試合は8-2でJapanが勝った

居酒屋飛松で見てたので所々見れなかったが一番印象的な場面は

3回のイチローのセカンドゴロ内野安打だ、一瞬アウトと思ったがセーフだった

普通のセカンドゴロだと思ったがイチローの走力は予想以上だった

その後、稲葉のライト前ヒットで3塁まで走り、これも間一発の走塁だった

そして村田のピッチャーゴロでホームイン、わずか4球のの出来事

他にも素晴らしいプレーなどはあったが全ては予想内の出来事だ

イチローとしては何も驚かれるプレーではないと思う

そこが超一流選手と言われる所だろう

ホームランを打ったり三振を取ったりするプレーよりもイチローは

語らずこういう走塁でも1点を取れるよと言わんばかりのプレーだと思った

さすがイチローの一言に尽きる


全く関係ないが今朝娘を保育園に送ってる途中にスラリとした男の人が歩いていた

すれ違い様に顔を見るとOTBアナンサーの三好ジェームスだった

テレビで毎日見てるので思わず“おはようございます”と言ってしまった

するとジェームスも会釈してくれた、テレビより実物の方がカッコ良かった


写真は居酒屋飛松の酒の仕入れ先、かなり安いのでぜひ立ち寄ってください

東町の我那覇商店

2009-02-24 13:58:19 | Weblog
昨今、大型スーパー進出による中小店舗の減少が目立ってきた

僕の小さい頃は商店街に行き各専門店での買い物が普通だった

確かに大型スーパーの出現で楽になった事もある

しかし個人商店の良さを最近見直した事も確かだ

でも見直したからと言って今では後の祭りである、大好きだった店はもうない

そんな中、数少なくなった地域密着型の商店が東町にはある

それが我那覇商店だ、沖縄には少なくなったがそんな商店がまだあるのだ

今でいうコンビニみたいなものだろう、しかしコンビニとは違う点がある

それは店主が誰がどこの子という事を知っている事だ

これが一番大切な事だと思っている

これこそ地域社会におけるコミニティだと思う

駄菓子などを見ると小さい頃を思い出す、そしてよくアイスの当たりが当たる

時代は違え今に合う地域社会でのコミニティとは何なのか考えて行きたい

我那覇商店の前を通る度そんな事を考えてしまう

工事中の公園

2009-02-23 14:56:39 | Weblog
前に話した東町の二つ目の新しくなる工事中の公園だ

今は芝生の養成中で工事は一時中断している

東町には会社や学校があるためたくさんの人達が公園にやってくる

昼時は弁当を公園で食べている人をよく見かける

一昔前は弁当を食べた物であろうゴミが溢れていた

しかし地域の人々や学校の生徒さん達が積極的にゴミ拾いして

随分とゴミは減ったがたまに前を通るとゴミが落ちている

新しい公園になるとゴミ問題は解決し綺麗な公園にしてほしい

余談だが昨夜野球のナイターでの試合があった

しかし照明が付かないという事で中止になった

やり場のない怒りのまま寂しい想いで家に帰った、初めての出来事だった

飛松の場所

2009-02-23 12:40:05 | Weblog
飛松の場所は沖縄県那覇市東町24-14の一階にある

場所が場所なので土地勘がない人は見つけるのが難しいはずだ

大まかに言えば東町郵政管理事務所の大きい方の駐車場の奥側にある

地図もまだ手書きなので分かりにくいと思いますが見つけてください

近くに来た時にはどうぞ御来店ください

ポップサーカス

2009-02-23 10:38:14 | Weblog
昨日豊崎で行われている沖縄テレビ開局50周年記念ポップサーカスに行きました

僕自身サーカスを生で見るのは初めてでどんな感じなのかと期待していました

ちなみに昨日が最終日で12月27日からの期間で大盛況だったらしいです

たまたま土曜日にお客さんが二枚チケットがあるから行ってお出でと。

娘と二人で行ってきました

1時間30分の公演で犬の曲芸、ピエロ、中国雑技団みたいな物、

トランポリン、空中ブランコ、驚異のバランス感覚などの出し物でした

ラストの空中ブランコは一番興奮しました

生の迫力には演者の最高峰の技術に感動を貰いました

テレビも良いのだけどやはり生ライブは素晴らしいです

終わって豊崎タウンをブラブラしてると三越前の店頭販売で野菜を

売っており“安い”と思い結構買ってしまいました

それから沖縄ブルーシールに行きアイスを食べました、相変わらずの満員状態

ふと周りを見渡すとカップル、家族連れ、観光客達が楽しそうにしています

僕は娘を見て周りから離婚して月に1回の会える日みたいに見られてるのかな?

って思い帰りの途に着きました

再確認の高良食堂

2009-02-21 13:57:12 | Weblog
今日の昼食は久しぶりに高良食堂に行った、家から車で2,3分の距離だ

去年店舗建て替え工事を車で通り掛かった時に見た事があった

今日行ってみると随分と立派な建物になっていた

前の店舗は昔ながらの食堂という感じでそれはそれで確かに良い雰囲気だった

店内に入ると前は注文していたが今は食券を購入するようになっていた

かなりの人気店なので食券の方が確実で便利である

店員の女の人3人居たが皆丁寧で元気があり愛想が良かった

そしてお客さんも笑顔で美味しそうに食べていた

そんな店内の様子を見ていると僕まで随分と気持ちの良い感覚になっていた

今日は沖縄そば300円と豚キムチ定食600円を注文した

合計900円でこのポリュームは凄く得をした気分だ

さらに娘にはサービスですと小さい沖縄そばまで出してくれた

久しぶりに来てやっぱり美味しいなっと再確認した瞬間だった

帰る間際には娘にアメまで貰い更に心を鷲掴みされたような感じだった

確かにここまでされると人はまた行こうと思うだろう

これぞ客を引き付けリピーターにさせる極意だと思った

僕もまた今度も高良食堂に行こうと思う

雨トーク

2009-02-20 11:41:45 | Weblog
最近一番気になるテレビ番組は雨トークだ、始まった頃から見ている

若手芸人持ち込み企画の頃から面白くなり毎週楽しみにしている

昨夜の雨トークはウド鈴木の持ち込み企画、「あ~農業高校芸人」だった

僕も兵庫県立農業高校の畜産科卒業なのだ

だから昨夜は興味深く、うん、うんと納得出来る企画であった

ちなみに農業高校芸人には山形県ウド鈴木、山口県松村邦洋、大分県ダイノジ大地

東京都前田健、長野県もう中学生の5人である

何か農業高校出身という事で5人を見る目が変わりこれから応援したい

そう言えば僕が高校受験前に僕が農業高校に進学したいと言うと

当時の担任含め校長などに凄く止められ変更を促された事があった

そして母親も学校に呼ばれ話し合いになった事を思い出す

結局僕の熱意に学校側が折れ僕の農業高校の受験という運びになった

なぜかと言うと僕の出身中学では過去2,30年に進学した先輩が居ないからだ

ましてや農業高校に進学するという選択肢が今までなかったからだ

止められたのは今思えば仕方がなかったと思う

でもあの時強引な感じであったが農業高校に進み間違っていなかった

進学しない理由の一つに学校まで遠すぎるという事もある

僕の家から学校まで電車を乗り継ぎ約2時間も時間が掛かる

必然的に起きるのは6時頃、しかも僕は野球部で朝連があった

だから5時過ぎに起きて6時前には家を出るという生活をしていた

今思えばよく頑張れた物だと自我自賛である

母には随分と迷惑を掛けたと思う、朝食とお弁当作りまでアリガトウです

三年間は素晴らしい時間だった、素晴らしい先生方と仲間達との出会い

あと自慢ではないが僕にしか経験させて貰った事が幾つかある

野球部主将、生徒会長、高校二年の夏に兵庫県校長会のオーストラリア訪問

これは兵庫県の公立高校の生徒で各校一人で25名限定という公募だった

メンバーは各地区の進学校や英語コースなど当然僕にはレベルが違い過ぎていた

当時の僕は周りから無理だと言われ英語にも正直自信がなかった

しかも農業高校での英語の授業には限界があったと思う

でも担任とカナダ人英語教師などの助けが僕に力を与えてくれたと思っている

当然まともに戦えばダメなのである作戦で合格を勝ち取るという戦法に切り替えた

農業高校である強みと英語面接での対応をすべて暗記するという方法だ

先生が面接されるであろう質問に対しての答えなど2,300パターンを

考えてくれてとにかく暗記していった

それと同時に日本語禁止令が出され英語のしゃべれる先生達との日々が始まった

確かに約2ケ月のこの生活が英語力アップに繋がったと思う

そして倍率10倍の難関を突破し見事合格、オーストラリア行きを手に入れた

20間の西オーストラリア、パースに日本の交換留学生として滞在した

何もかもの初めての経験で大いに今の人格形成に関わっていると思う

何より24名の仲間は今も大切な僕の宝物だ

いろいろと経験させてもらった農業高校に感謝している、ありがとう

ちなみに写真のボールは兵庫県夏の高校野球予選の時のホームランボールである












昨夜の飛松

2009-02-19 14:06:29 | Weblog
2年程前に火傷をした、実際の話、アロエなど使った事はない

でもその時は妙にアロエを使いたくなったのである

たまたま行ったホームセンターにアロエがあり買ってしまった

一度使ってからは火傷はしていないのでアロエは見事に4倍程に大きくなった

隣は二十日大根、生命保険の封筒と共に入っていて何気に植えてみた

最近花や植物が育って行く過程を見るのが何だか嬉しい

ただ歳を取って行っているのだろうか?

昨夜の飛松は5時過ぎから途切れる事無く1時までお客さんが入ってくれた

昨夜は子育てについて大いに大先輩からのお言葉を貰い清々しい気持ちになった

先輩とは去年の10月に出会った

飛松の常連さんの友達という事で紹介してくれた

先輩は福岡に居るのでたまに沖縄に出張の時、飛松に寄ってくれる

昨日は先輩と話していると和さんも来てくれて和さんの部下と4人で飲んだ

その時にいろいろと話した中の一番興味深かったのが子育ての話だった

先輩は40代で僕と和さんは30代、部下は20代

自分達が過ごした子供時代は多少の違いはあれ今ほどではない

最近のニュースは本当にそんな事があるのかと疑いたくなる

先輩には20,18,17のお子さんがおり子供達の父兄として

3人の同級生達を見てるとニュースのような事もあると言われビックリした

ただ自分の子供を信じ自分の伝えたいと思う事はしっかりと伝えなさい

子供の友達は自分の子供と同じ感覚で接してほしいと言っていた

確かにそれぞれの子育て論はある、何が正しいかは分からない

ただ自分が数十年生きて来て何が正しくて何がダメなのかは分かるはずだ

だから周りのご機嫌を取るような感じで意見を変えず

ダメなものはダメとはっきり誰が居ようと子供達には言わなければ行けない

自分達が周りのおじさんおばさん達に言われたように

今度は僕達が未来を背負う子供達にしっかりと伝えて行くようにしなければ

なかなか簡単のようで難しいがこの事をしっかりと胸に刻み

近所の子供達に伝えて行ければ良いなと思ったひと時だった

思い出のトミオ

2009-02-18 14:04:49 | Weblog
初めて沖縄に来たのは10年前神戸から船に乗って安謝新港に着いた日だ

神戸からは何箇所かの港に立ち寄るので約2日もかかる

初めての沖縄に2日も船に乗るのも初めてで興奮と緊張で何か変だった

船の中で知り合った、同じ神戸の男の子は小浜島に行くという

彼は小浜島のサトウキビの季節労働に行くとの事だ

なので那覇で一泊してから石垣島に行って小浜島に行く計画だった

何もホテルなど予約してない僕に彼は安い宿があるから君も行くか?

僕は取りあえず行ってみるよ、訳も分からず彼に付いて行った

結果、今僕は那覇に住んでいる、彼は僕を導いてくれた一人目の人だ

その後、彼は小浜島に旅立った、何の連絡先も聞かなかったので

彼とはそれっきりだ、ありがとうと今でも言いたいと思ってる

その安宿は沖縄ゲストハウス、ここでの話は次回やりましょう

初めて着いて宿のスタッフに会う前にトミオと会った

彼は東京出身の19歳でちょうど弁当を食べていた

いつもスタッフはこんなんだからと言っていろいろと説明してくれた

それから事ある毎にトミオにはお世話になった

だけどトミオはそれから寝込んでしまい熱が上がったりしていた

よく外国人から彼は寝てるか体温計を計ってる男と言われてた

トミオは2ケ月程寝込み東京へと帰って行った

周りも随分と心配していた、一度トミオの20歳の誕生日に数人で

誕生日を祝うのとトミオの体調回復を祈り三重城に行った

当時三重城という場所をお祈りの場と聞いた僕達はトミオを無理やり連れ出し

何とかならないかとの想いでの行動であった

その後トミオとサッカーをして遊んだがまた次の日から寝込んでいた

三重城に行った日は元気だったが結局その日だけ元気だった

僕はあの日は何だったんだろう?三重城のお陰なのかな?っと今でも不思議である

たまに散歩などで三重城を訪れるが妙に空気が張り詰めているように思う

三重城の場所は那覇市西のロワジールホテル裏の海側

鳥居もあるので階段を上がって広々とした海の景色を見てほしい

ただ地元の人々がたまにお祈りをしてるので邪魔にならないように

決してゴミなど捨てないように、ゴミがあれば拾ってほしい

いつまでも皆の力で綺麗に残していかなければいけない場所なのだ

そしてトミオとはそれから何回か沖縄で会った

ずっと絵の勉強をしていて一度トミオの個展にも行った

居酒屋飛松のフライヤーの僕の似顔絵はトミオに描いてもらった物だ

またトミオと会える機会があるのを楽しみにしている

お互い更に大きくなりましょうね、トミオ元気でね