居酒屋飛松の後

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雨トーク

2009-02-20 11:41:45 | Weblog
最近一番気になるテレビ番組は雨トークだ、始まった頃から見ている

若手芸人持ち込み企画の頃から面白くなり毎週楽しみにしている

昨夜の雨トークはウド鈴木の持ち込み企画、「あ~農業高校芸人」だった

僕も兵庫県立農業高校の畜産科卒業なのだ

だから昨夜は興味深く、うん、うんと納得出来る企画であった

ちなみに農業高校芸人には山形県ウド鈴木、山口県松村邦洋、大分県ダイノジ大地

東京都前田健、長野県もう中学生の5人である

何か農業高校出身という事で5人を見る目が変わりこれから応援したい

そう言えば僕が高校受験前に僕が農業高校に進学したいと言うと

当時の担任含め校長などに凄く止められ変更を促された事があった

そして母親も学校に呼ばれ話し合いになった事を思い出す

結局僕の熱意に学校側が折れ僕の農業高校の受験という運びになった

なぜかと言うと僕の出身中学では過去2,30年に進学した先輩が居ないからだ

ましてや農業高校に進学するという選択肢が今までなかったからだ

止められたのは今思えば仕方がなかったと思う

でもあの時強引な感じであったが農業高校に進み間違っていなかった

進学しない理由の一つに学校まで遠すぎるという事もある

僕の家から学校まで電車を乗り継ぎ約2時間も時間が掛かる

必然的に起きるのは6時頃、しかも僕は野球部で朝連があった

だから5時過ぎに起きて6時前には家を出るという生活をしていた

今思えばよく頑張れた物だと自我自賛である

母には随分と迷惑を掛けたと思う、朝食とお弁当作りまでアリガトウです

三年間は素晴らしい時間だった、素晴らしい先生方と仲間達との出会い

あと自慢ではないが僕にしか経験させて貰った事が幾つかある

野球部主将、生徒会長、高校二年の夏に兵庫県校長会のオーストラリア訪問

これは兵庫県の公立高校の生徒で各校一人で25名限定という公募だった

メンバーは各地区の進学校や英語コースなど当然僕にはレベルが違い過ぎていた

当時の僕は周りから無理だと言われ英語にも正直自信がなかった

しかも農業高校での英語の授業には限界があったと思う

でも担任とカナダ人英語教師などの助けが僕に力を与えてくれたと思っている

当然まともに戦えばダメなのである作戦で合格を勝ち取るという戦法に切り替えた

農業高校である強みと英語面接での対応をすべて暗記するという方法だ

先生が面接されるであろう質問に対しての答えなど2,300パターンを

考えてくれてとにかく暗記していった

それと同時に日本語禁止令が出され英語のしゃべれる先生達との日々が始まった

確かに約2ケ月のこの生活が英語力アップに繋がったと思う

そして倍率10倍の難関を突破し見事合格、オーストラリア行きを手に入れた

20間の西オーストラリア、パースに日本の交換留学生として滞在した

何もかもの初めての経験で大いに今の人格形成に関わっていると思う

何より24名の仲間は今も大切な僕の宝物だ

いろいろと経験させてもらった農業高校に感謝している、ありがとう

ちなみに写真のボールは兵庫県夏の高校野球予選の時のホームランボールである