Mamy diary★☆

南国ミクロネシアからインド、そしてマレーシアへと。
学生との出会いにときめきながら、念願の東南アジアへ・・・

国内旅行~2日目②~

2007-05-10 07:53:16 | ☆きまぐれ日記☆
さかのぼって書きます。
イースター休みに訪れた隣の州、チュークの旅日記

チューク2日目午後

チュークの陽射しは強い。
容赦なく肌に突き刺さる太陽光線は、痛さを感じるほど。
ポンペイの多量に水分を含んだ空気は「体感陽射し」を和らげてくれているんじゃないかと自己分析、勝手に納得。

そして午後、郊外?にあるザビエル高校に行ってきました。

ザビエル高校(Xavier High School)はカトリック・イエズス会修道会の修道士の方々が教鞭を取る学校である。戦後始まったこの高校は、50年以上の歴史を持つ伝統のある学校だ。
ここにはミクロネシア各国・各州から国籍・民族を超えた生徒たちが集い、寮で共同生活をしながら勉強している。(女子はホームステイ)

ザビエル高校へは車で行く。
街中の舗装道路は交通量のせいか、割れていたりなくなっていたり、とにかくでこぼこ、がたがた、砂埃という3拍子揃っているわけだが、しばらく走ると逆に滑らかな道を進むことができる。
走ること20分くらいだろうか、車は未舗装のジャングルへ向かって右折。
木々が涼しい木陰のトンネルを作ってくれている中、ここからは街中の比ではない剥き出し土と石のでこぼこ道を上っていくことになる。
てすりを握り締め、左右に揺れる体を極力固定。
レンタカーの車、おなかを擦るんじゃないかと不安・・・。
しばらく走ると視界が開け、立派な校章や建物に迎えられ、ザビエル高校に到着することができた。

高校では校舎は日本統治時代に建設されたものを利用している。
中を歩くと大戦時の名残を今も感じることができる
頑丈に作られたコンクリートの壁、分厚い分厚い鉄の扉、そして天井に残る空爆の爪あと
また戦時中の日本のものが展示されていたり、壁には戦争を伝えるような画が描かれている。
そして、日本の会社が作ったからだろうか、なぜか「しっくり」くる慣れ親しんだ建物構造を感じた。階段の距離感とか天井の高さとか間取り取り方とか・・・。

校内はきれいに手入れされた芝生と、熱帯のココナッツや鮮やかな花に覆われた素晴らしいものだった。高台にあるので、生い茂る木々の間からは青く広がるチュークの海が見える。
校舎の屋上に上がればそれはもっと広く見渡せるし、今回は逃したけれど、ここの夕日は絶景だと聞いた。
青い海と、カラッとした緑、刻々と変わる空の色に包まれて過ごすここの一日はどんなものなのだろう。

ここには知り合いのボランティアがひとりいる。

彼はここに住み、生徒や他の先生と寝食を共にしながら生活してきた。
彼は夏にここを去る。2年の任期が終わりに近づいている。

ジャングルの奥である、ここでの生活は大変なことも多かったと思う。
電気や水の供給も安定していない。
生活の全てはここでおさまるのだから、つまりは逆に言えば逃げられるところもない。
日本からやってきて、ここにほぼ缶詰の生活

だが、彼はここが大好きだ。
彼のここへの愛は優しさに溢れているといつも、いつも思う。
生徒や同僚の先生、学校の話をしてくれる彼は本当に優しい、やわらかい顔をしていた。

彼の性格もあるのかもしれない。
大きな、大きな人だと思う。
自分なりの在り方を見つけ、培い、育て、かけがえのない存在になっていた。
尊敬する先輩の一人である。

彼と私の共通の知り合いがいるのだが、その知り合いがここを訪れ、滞在したことがあった。
すると、夜になって停電。
慌てた上に、少し落ち込んでしまったらしいが、そのとき

「停電になるとね、本当に星がきれいなんだよねー」

と、外に連れ出してくれたと言う。

こんな考え方は簡単にはできないと思った。
だからすごく印象に残っている。
出来事を素直に受け入れる
なじむ 親しむ

見習いたい考え方

訪問した日は休日ということもあって、みんなおもいおもいの時間を過ごしていた。
海の見えるテラスでギターを弾き歌っている先生や、食堂でおしゃべりを楽しむ人、木陰に添えつけられたベンチとテーブルでくつろぐ生徒

のどかな 平和な お休みの日だった。