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松江城内で、こんな箸置きを見つけました。土産用に陳列して有ったものですから、そう高額な物では有りませんが愛嬌ある形につい食指が動いてしまいました。
(左) 城山稲荷神社は松江城築城の際、他の寺社が全て移動させられた中で唯 一残された神社。小泉八雲は石狐が気に入り、しばしばこの神社を訪れたという
(右) 小泉八雲旧居(300石扶持の公録士族、根岸家の跡) 八雲が約7年間、新婚生活を送った場所
(塩見縄手)松江城、北側の堀沿いに並ぶ武家屋敷。塩見縄手とは、ここに住んでいた塩見小兵衛の功績を讃えて付けられた通り。 電柱もないこの通りは江戸時代の雰囲気に浸れる所だ。
鳥取、名和町辺りで昼時になりましたので「あんこう」の看板に魅かれここで昼食をとる事にしました。箸袋の右に「あんこう定食 刺身の盛り合わせの中に、たった二切れ」と記して在ると言う事は期待外れだったからだと思います。
又、「大山はここから15kと近い。晴れていれば右にその雄姿が望めるはずなのに今はその片鱗さえも伺えない」や、白兎海岸、砂丘、夢千代の湯村温泉の事など、つらつらと記して有るのは近くに在りながら行くには時間的に厳しく諦めざるを得なかった残念な気持ちが有ったからなのでしょう。 この日は「ふじつ温泉」泊
釣りのメッカ「三方五湖」
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私達はここで津幡の森田氏(彫刻家)を訪ねます
姿を見せた森田氏は作品から受ける印象そのままに、口はそれほど上手くはないが穏やかでどこか兄に似ている様な気がして親しみを覚えた。反面、奥様の明るさはとても好印象で盛んに「初めてお会いする様な気がしない」を連発していた。 「蛇はあまり好きではないので火箸で挟んで水槽に入れ観察している」「トカゲは自分の腕に乗せ観察するが時々肩に這い上がってしまうので又、腕に戻す、そんな事を繰り返している内に可愛くなってくる」のだそうだ。
個展用に私の家にあるトカゲと同じ物を彫ったが胴長になってしまいボツにしたと言うエピソードや手持ちの作品、今までの作品のアルバムなど見せて頂いている内に1時間はアッと言う間に過ぎてしまった。
帰り、奥様お手製のお煎餅、筍ご飯のおにぎり、加賀の和菓子まで戴き小矢部ICの方が戻らなくても済むからと、わざわざインターまで送って下さった。
この作品は白山登山の帰り立ち寄った砺波彫刻展で購入した森田氏の作品です。材料は桜の木を使用したそうですが朽ちた竹の感じが上手く表現されていますね。蛙の作品の裏を返すと蜘蛛が隠れております。
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立山連峰と越後三山
飯士山と大源太山
風格ある南アルプスの山並みを正面に進むうち私は何時の間にか寝てしまい起きた時には関越道に入っていた。小出を過ぎると南アルプスには負けじと肩をいからす越後三山や金城山、巻機山、アップダウンに苦しめられた飯士山、大源太山と次々に現れて、これで長かった旅も終わった事を、しみじみと思った。
九州で戴いた激辛煎餅(罰ゲームに良く使うそうだ)その辛さと言ったら・・・辛い物に強い雄さんも、さすがこの辛さには参った様で加賀の和菓子と交互に食べていた。
夜、さっそく森田氏と九州に電話をいれると平さんは留守だった。カーラジオで博多どんたくは200万人の人出で、これは日本最高だと言ったいたが、もしかしたら「のぼせもん」になっているのかもしれない。
後日、明太子や菓子などが届いた。九州を出る時、そっと「食事でもして下さい」と書いて2万円置いて来たので恐縮しての贈り物の様だ。そしてそれから数日後、安さんから花の株・数種と忘れて来たポットが届いた。
いよいよお別れの朝「玄界灘を見せたい」と女性陣。 「(笑)名残惜しいとみえて中々帰して貰えないですねぇ」と山さんの御主人。と言う事で一路玄界灘へ。
蹲踞に敷く石を幾つか拾っていると、記念なので5~6個で良かったのだが皆も拾いだしビ二ール袋はみるみるイッパイ。 浜には朝鮮の匂いのするペットボトルの残骸やらがたくさん打ち寄せられ地図上でしか考えた事も無かった朝鮮の近さを感じた。
玄界灘を後に交通を司る宗像大社を外からお参り、爽風庵で博多ラーメンを戴いていよいよ今度こそ本当のお別れだ。
若宮ICで見えなくなるまで手を振る姿に涙が止まらず九州を後にする関門橋は涙に霞んだ。右のガラス製の鳩の置物は平さんよりの戴き物(今でも大切に棚に飾って有る)
途中、気が変わって米子道へと入った。追われる様に近づく分厚い雲に「それ逃げろ」と走って来たが雲の流れの方が早くとうとう雨が降り出した。
21時半ころ 何時、行けるか?と思っていた松江についにやって来た。その夜は松江城の駐車場で車中泊
ラジオのニュースで「其処に山があるから」の名言を残したイギリスの登山家、ジョージ・マロリー氏の遺体が75年振りにエベレスト山頂近くで見つかった事が流れた。 この事によって登頂後で有るか前で有るか謎であった事が解明される様だ。 初登頂はマロリーか?ヒラリーか?
周囲に車のエンジン音が煩くなり目が覚めた。雨は未だ降り止まない。 「あの白い花は?」まるで雪が降り積もったかの様だ。 説明書によれば昭和15年に植えられたナンジャモンジャの木との事。 料金所で受付を済ませ、いざ松江城へ(松江城400円、小泉八雲記念館200円、武家屋敷200円=共通券300円お得)
350年の時を生きてきた城、力強い存在感が在る
天守閣より雨に煙る宍道湖を望む
松江城は全国に現存する12天守の一つで山陰では唯一の天守閣であり大きさでは2番目、高さでは3番目、古さでは6番目との事。
未だ近辺をウロウロしております。 コメント欄は閉じました。
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「土石流被災家屋保存公園」 この時は未だ笑顔でいられたが土石流で埋まった家屋の前に立ち平成新山を見上げると当時の噴火の凄まじかったテレビ映像がラップし鳥肌が立った。とてもカメラを向ける気にもなれない私にはショックが大きすぎる悲惨な光景だった。
珍しい紅花エニシダが咲く園内のベンチで休憩中、ソフトクリームを分け合って食べてる所を盗撮したのはきっと山さんの御主人。 それに気付いて慌てて逃げる平さんの姿 が滑稽だ。
カモメに餌をやる安さんと雄さん、もう完全に童心に返ってる。フェリーで熊本に渡り日本で一番、気温が高いと言う熊本の市街地を熊本城に向かって車を走らせた。
先ず腹ごしらえに山さん馴染みの(お嬢さんが熊本に嫁いでいる為)関西風お好み焼き屋さん「JyuJyu」で山芋100%と言う蕩ける様な「ちーとろろ」を戴いた。
日本三名城の一つ熊本城
(のろい人形(糸を引くと舌が出、目が開閉する)
時間は既に2時を回り雄さんと私だけの城廻りは駆け足状態、だがやはり来て良かった。地場産工芸の数々も興味深く雄さんはここで「のろい人形」を手に入れ山さんの御主人から「ぐい飲み」を戴いた。このぐい飲み、底が三角形で酒を注がれたら飲むしかないと言うぐい飲みだ。
この後、案内して下さった場所は阿蘇の大観峰 ここからは釈迦涅槃の姿に似た阿蘇五岳を間近に、その左には特徴的な形を逆光にさらしシルエットとなって浮かぶ九重連山、遠く祖母山、体を回すと昨日登った普賢岳が安さんに教えて頂かなかったら見逃してしまいそうな位置に頭を覗かせていた(最初の計画では高岳登山も組み込まれていた様だが)
広々とした草原のウネリを囲む様に九州の名峰があまた居並ぶ。(町や田が在る場所はカルデラの中)このカルデラは世界一なのだそうだ。
とても一枚では写しきれない広大な草原、仕方がないので手描きで追加
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杷木から高速に乗り博多の街を通る頃には日もたっぷり暮れていた。ここで「博多どんたく」の話が出ると山さんが「平さんの奥さんはのぼせもんだ」と言った。九州では夢中になる人の事を、そう呼ぶのだそうだ。それが若さを保つ秘けつに繋がるならば「のぼせもん」大いに結構
続く