たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

ムクドリ音楽隊

2019年07月18日 | 野鳥や動物

ミ ミ    ド ミレ ミ ドレ ミ  ド  

久し振りに晴れた~

さぁ、みんな 声高らかに歌おう~ 

真っ赤に燃えた太陽だから~ イエ―

こちらはデュエット 甘く切なく

あ~愛あればこそ世界は一つ~ 

 あぁ、うっとりするわ~私のオスカル~

 涙かくして笑顔を見せる この胸の女心を誰が知る~~~

本当はワタシがスポットライトを浴びる訳だったのよぉ

 この世界は蹴落としっこの世界 メソメソしないで明日に向かって羽ばたこうよ!ネッ元気出して!

トリは私達に任せて!

景気よく八木節と行きますよ

ハァーまたも出ました三角野郎が四角四面の櫓の上で音頭とるとは恐れながら

しばし御免をこうむりまして何か一言 読み上げまする

けいこ不足でおぼつかないが平にその儀はお許し成され

許しなされば文句にかかるでオオイサネー

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蓼科に光徳寺という寺があります(4/21)

2019年07月16日 | 

 

 

 

 

    

 

 

光徳寺は蓼科方面に来た時には何故か車を停めて一服する場所ですが

上の説明にも有ります様に何時も山門は固く閉じられ中の様子を伺う事は叶わない寺なのです

でも檀家さんは居るでしょうから何処かに別の門は有るはずですよね

次に寄った時には一服の為だけでなく庭に入る門を探してみようと思います

 

 

今日は余りにも美しい桜に引き寄せられました

そう言えばこの時期に寄ったのは初めてです

 

 

 

桜の側には未だ梅が咲いておりました

蓼科は桜と梅が一緒に咲くんですね

 

ここに来て再び桜が愛でる事の出来た嬉しさに我を忘れ撮りまくっておりました

   

光徳寺のすぐ横には蓼科神社が在り、その入り口に一本の杉の木があり

主幹は落雷で折れてしまっていますが、それでもシッカリと立つ姿は圧巻です

 

 

桜は佐久に入っても今が盛りでした

家々の庭にも野山にも歌の文句では有りませんが見渡すかぎりでした

さすが内山峠を越え群馬に入りますと桜も影を潜め幾重にも連なる山々は緑が主流となってしまいました

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きせつは進み旅行記を終えてみれば7月も中旬

14日間の旅の記録を約2ヶ月の長い期間を費やして漸く完了致しました

コメントを下さった皆様、立ち寄って下さった皆様、「いいね、頑張れ、続きを期待 」と応援をして下さった皆様

本当に長い間、お付き合い下さいまして深く感謝しております

有難うございました

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いよいよお隣の長野県に入りました~

2019年07月14日 | 

 多治見から先は何度か来ている場所ですし、いささか疲れも出ましたので諏訪まで高速を利用いたします

暫くは車窓に流れる景色を楽しむ事に致しましょうか

この雪を被った山は木曽駒山群でしょうか??

登っている山なのに同定に自信が持てません

2012年9月、私達は山小屋に一泊し涙が出るほどの朝焼けに感動した事が

今でも脳裏に焼き付いております

   

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これは、どの当たりだったでしょうか

単調な高速道を色鮮やかな桃の花が飾っていました

と思えば前方に何やら怪しげな雲の塊が

春霞に霞む八ヶ岳連峰

端整な姿を見せる蓼科山

どれも思い出の詰まった懐かしい山です

4月も中旬を過ぎたと言うのに、この辺りは未だ冬枯れの様相でした

 

遅い春に先駆けてダンコウバイと白木蓮 が見頃を迎えておりました

蓼科山を背景に白樺湖も未だ冬の装いでした

ここを過ぎれば我が故郷の山「浅間山」も視界に入って来る事でしょう

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「虎渓山・永保寺」 多治見市(4/21)

2019年07月12日 | 

 駄知町から多治見市に戻り観光案内所で宿を紹介して下さった時に

教えて頂いた虎渓山、永保寺に向かいました

 

 

永保寺専用駐車場から踏切を渡った左手に在るのは虎渓山・続芳院で玉霄正深禅師により創建され

塔頭寺院として永保寺の輪番をつとめ護持に当たって来た寺院であるとか

続芳院から少し進みますと、いよいよ永保寺の境内となり

前方に国宝の観音堂が見えて参りました

この堂は夢窓国師が来た翌年に建立され中には聖観音菩薩坐像が祀られているそうです

 ↑ ↓ 共、2003年の火災で全焼しましたが2007年の庫裏 2011年に本道が

以前と同じ姿で再建されました

樹齢700年と言われる銀杏の木も半分が焼けてしまった様ですが

今ではその影も無く力強く蘇っていますね

永保寺は虎渓山と号し臨済宗南禅寺派の古刹で鎌倉時代末期に創建され

夢窓国師を開祖、仏徳禅師を開山とします    

正和二年(1313)、夢窓国師と仏徳禅師ほか7・8人が旅の途中「四隣数里 人無き幽境」と言

地の閑静で美しい風景に魅せられ隠棲の地として庵を結んだのが永保寺の開創と言われています

以来700余年 幾変遷を重ねながら天下の名刹として現在に至っています

国宝の観音堂や開山堂、及び名勝の庭園は今もなお当時の姿を保ち続け

また多くの名宝を秘蔵しています   「説明版より」

 

 

心字池に浮かぶアーチ状の無際橋は日本・百名橋の一つで

煩悩にまみれた世界と煩悩から解放された世界を表しているのだそうです

今の政治家さんに絶対、渡って貰いたいですねぇ

 

 池の縁の煩悩巖上部には六角堂が見えてます

六角堂の中には千体地蔵が祀られているそうです

岩間からは一筋の滝が落ちておりますが見えるでしょうか

先にも記しましたが、この庭園は夢窓国師が手掛けられた庭園で

国指定名勝庭園に指定されております

 

 近くから見ても良し離れて見ても良し

 虎渓山の名の由来となった廬山に私は言った事は有りませんが

ジッと眺めておりますと何となくその景色が浮かんで来る様な気が致します

 

 境内を東に向かって歩きますと穏やかな流れの土岐川に出ました

 此処には写っておりませんが丁度 菜の花が縁を彩る静寂の世界が此処にはありました

 

 

 

 

 

ここでは今も雲水たちが魂の成就を目指し禅の修行が行われており観光客は立ち入り禁止の場所ですが

脇を歩くだけでも身の引き締まる禅寺らしい落ち着いた佇まいの一角でした

帰路は黒門を潜り駐車場に向かって歩いて行きますと

丁度、名古屋へ向かう電車が通過して行くところでした

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多治見と言えば思い出しました、私は随分前に訪れております

その時に購入したのがこの織部のお皿です

   

 

   

 

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閑話休題 しっとりと下田邸

2019年07月10日 | 建造物

肌寒い日が続いております

4月中旬という気候に我が家は炬燵のスイッチを入れました

 

 

秋には散り紅葉に敷き詰められた庭園に人影は無く

緑の苔に覆われて静まり返っておりました

引き続きコメント欄を閉じております

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