6日目(3)~7日目
民宿に靴を脱ぐ前に国の重要伝統的建造物群保存地区を歩いて見ました
京極高次は小浜城築城の際、武家と町人が混在した中世の町を整備し
町人地を東、西、中の3組に分けた街づくりを進めたのだそうです
今でも土蔵やガッタリ(折り畳み式の縁台)など往時の面影が色濃く残されておりました
奈良や京都の軒先で良く見られる魔よけのお守り
ルーツを調べてみましたら中国の敦煌の石窟の祭壇に似た物が有ると言う事でした
おそらくシルクロードを経て先ず玄関口である小浜に伝わったのでしょう
この建物は明治期の元料亭を改修した食の館「酔月」
夜毎、粋な和服姿の旦那衆が暖簾を潜ったのでしょうか
「いまあらし」なんて洒落たcafeも町並みに溶け込んでます
町並みの中で見つけた観音菩薩です
ここを歩いただけで幾つの寺を見た事でしょう
寺が多いとは聞いておりましたが対して大きな町でもない小浜で
果たして経営が成り立って行くのか余計な心配をしてしまいます
三味の音が響く横丁から芸妓さんが褄を取り歩いて来そうなそんな雰囲気のする町並みでした
民宿はこの白浜海岸(人魚の浜海水浴場)の真ん前ですがでもう一息いれてからでも遅くは無いでしょう
ここは「夕日の美しい散策ロード」が小浜湾沿いに走っておりますが、この分厚い雲では
今日の夕日を望む事はどうやら出来そうに有りません
翼のテラスモニュメントに腰を下ろし海を眺めていた若い女性二人
立ち上がりざまに頭を翼にしこたま打ち苦笑いすると恥ずかしそうに去って行きました
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民宿「さわ」さんの夕食
朝食
昨夜の事
「群馬のしきらくに親戚が有りましてね 近々主人が行く事になっているんですよ」
色楽と書くのだそうだ
しきらく・・・しきらく・・・しきらく・・・
そんな場所は無いよなと暫く悩みました
「もしかしておうらではありませんか?」
おうらは邑楽と書きますので邑を続け字で書けば色に見えない事も有りません
これで一件落着
落ち着いて食事が取れます
チェックアウトを済ませ9時、お世話になった「さわ」さんを後に
私達は若狭フィッシャーマンズ・ワーフへと車を向けます
40キロの速度で遊覧船は出航いたしました
続く
細かな部分は記憶が薄れておりますので、もう一度読んでみる必要が有りそうです。
ただ、何故か貧しさゆえに体を売って生きる女性が頭に浮かんできました。
「あの頃私も若かった」・・・私も同じです(笑)
越前竹人形も面白そうですね。今度、図書館へ行ったら探してみたいと思います。
越前竹人形…越前の鄙びた土地に生きる若い夫婦の哀 れさが伝わってきます。実物の竹人形に魅 せられましたが金額の張るものであきらめ ざるを得ませんでした。
五番町夕霧楼、金閣炎上、湖北の女など芋でも小説の中のイメージがはっきり残っています。
若狭湾は原発銀座になり、水上勉は変わりゆく故郷を嘆いて、「故郷」という小説を書きましたが、人気はいまいちだったような気がします。
久々に水上勉の小説を思い出しました。あの頃私も若かった。
ありがとうございました。
西組の保存地区は海岸沿いの「翼のテラス」の向かいに在る小浜公園に駐車場が在り、そこから保存地区は目と鼻の先です。
天候が悪かった事と夕暮れ間近だったせいか町並みに静けさが助長され、まさにミステリーゾーン。 不思議な錯覚を起こしてしまいそうでした。
しかし海が在る県と言うのはいいですねぇ。
海とは縁の無い我県ですのでuraccoさんにとってドライブに丁度良い距離と聞きますと憎たらしい程(笑)羨ましくなってしまいます。
私が読んだのは「飢餓海峡」のみですが「越前竹人形」も氏の作でしたよね。
そんな事を意識した訳ではありませんが旅の終盤、竹人形の里を訪れました。
なんでも水上勉のこの小説によって竹人形の存在が世に出たとも言われてますよね。
思い出しました。確か「五番町夕霧楼」も水上勉の作品でしたね。
ツアーでは、花街は組み込まれていなかった様ですね。
私は名物の「鯖の押しずし」が頭に浮かんで来ませんでした。パンフの隅から隅まで目を通すべきでした。これでは何しに小浜に行ったんだと言われそうです。
勿論、栄えた当時の面影は有りませんでしたが、それでも江戸時代にタイムスリップした様な感覚に酔いしれながらの散策が出来でしたよ。
予約が遅かったのに夕食付だなんて、さすが漁港小浜ですよね。お蔭でこの日はカロリーの摂り過ぎでした。 何よりもアットホーム的な民宿でしたので、ゆったり過ごせましたので疲れも此処に来て一気に取れました。
次回は遊覧船でスリリングな経験をいたします。
また此処は日本列島の中央に位置する事から古来より大陸や朝鮮半島と深い繋がりを持ち文化面においても時代の先端を担った町で有ったのだと思います。
勿論、北前船も寄港したでしょうから活気ある町として増々発展したのでしょうね。
そこに花街が作られたのも必然的な事だった様な気も致します。
たった2日間では小浜を把握するに至りませんでしたが隅々まで歩いてみたら未だまだ興味深い事がたくさん有る様に思えました。
小浜と言う所は通りに面した部分は近代的な建物が並んでおりますが少し入れば一昔前の其れほど大きいとは言えない家屋が軒を連ね、その先はもう田畑も目立つ郊外です、そうした中に大小100以上の寺が、それこそ歩けば寺に当たると言う程、散在しているのですから何とも不思議な街だと思いました。
そうした中に何処か色っぽい町並みが不釣り合いの様に軒を連ねているのですから歴史を把握せずに踏み込んだ私は戸惑うばかりでした。
鯖を糠漬けにした「へしこ」なるものは越前大野を訪れた時に初めて知りましたが、どうも私は手が出せず主人が食しただけでした。
ルーツは小浜なのですね。 未だ「通好みの漬物」と言う感から抜け出せませんが食べてみれば案外、行けるのかもしれませんね。
小浜辺りがドライブにはちょうどいい距離なんで、
何度行ったことやらわかりませんが..
この保存地区に行ったこともないし、蘇洞門巡りに乗ったこともありません。
ただただ、のんびり行って帰って..
西組の保存地区辺りに車を止めることができましたか??
一度時間があれば行ってみたいところです..
一度ツアーで訪れただけなので、花街には行くことができませんでした。人情細やかというのでしょうか、皆やさしく物静かな人たちの多い土地だったように記憶しています。大好きな鯖の押し寿司の味も忘れられません。
今から20年も前のことでした。
懐かしい思い出がよみがえってきました。
ありがとうございました。
京都の街並みみたい
ガッタリいいですね 夏場は夕涼みお姉さんさん浴衣で座ってるのかな
4時に予約したのに豪華な料理いいとこ紹介してもらってよかったですね
遊覧船乗って海から見学ですね
楽しみです
小浜の花街、重要伝統的建造物群保存地区は、昔、北国船の往来などで反映した街なのでしょうか。
この小浜で、北国船は荷を下ろし、馬などで京都や大阪に運んだのでしょううか。あるいはさらに、西側や東側の港に進む中継点だったのしょうか。
明治時代の元料亭があることから、何らかの産業が活発で旦那衆が遊んだようです。それだけ何かで繁栄していたようです。
街の道路幅は、大正時代ぐらいの荷車が行き来する程度です。このままの方が、車は入れません。保存に効果的です。
お宿は日本海の海の幸がふんだんに出た感じです。
千本格子が軒を連ねる小浜の花街は情緒がありますね。
江戸時代に栄えた面影は今はないのでしょうが 、こうして建物が現存しているところが素晴らしいです。
民宿では直前の予約にもかかわらず、数々のご馳走が並びお酒も美味しくいただけたことでしょう。
至福のひと時を過ごされましたね。
小浜といえば、鯖をぬか漬けした「へしこ」ともに、鯖を焼いて売っている店の匂いに誘われて
買い求めたことが思い出されます。