この時期、いろは坂を抜けるコースは渋滞でどうにもならないだろうと、みどり市経由で向かう事に。どうせこちらを通るなら前から気になっていた忠治の墓を訪れるのも良いかもしれないと養寿寺を目指します。
養寿寺
この立派な笠松を忠治も愛でたでしょうか
ここは長岡一族の菩提寺なのか長岡姓の墓が目立ちます
大戸の処刑場に3日間晒された首を妾のお菊が持ち帰りここ養寿寺に埋めたと言われています。強きをくじき弱きを助ける。侠客の神髄を貫いた忠治の心意気は新国劇の代表作となり一躍その名を世に広めました。当時の代官・簡堂は忠治が飢饉の時に民衆を救ったと言うのに自分は何もできなかったと書き残したそうですが、この覚書は忠治を知る上で、かなり信用が置ける貴重な資料とされているのだとか。
又、萩原朔太郎は❝氷島❞に「国定忠治の墓」と言う詩を載せています。・・・路傍の笹風に吹かれて無頼の眠りたる墓は立てり 朔太郎も忠治の心意気に何か感じるものがあったのでしょうか。
忠治の墓石を煎じて飲むと賭け事に強くなると言う噂が広まり墓石を削って持ち帰る人が現れ長岡院法誉花楽虚子と刻まれた戒名も今では読み取れないほど薄れておりました。
今回、資料館を楽しみにしていたのですが草刈りをしていた住職さんに尋ねましたところ現在は閉館しているとの事でした。忠治モドキの人達の訪問を拒絶しての事なのでしょうか。
忠治の墓を後に日光の神橋を右に見て
杉並木を過ぎ
嘗て登った日光連山を懐かしみ私達は一路、福島へと向かいます。
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