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たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

臨江閣(国の重文)

2019年09月22日 | 建造物

 友人と会食後臨江閣を訪れました

仕事で東京生活が長かった、はるみちゃんのリクエストです

お茶会や今年の雛飾りなど私は何度も訪れその都度、写真を載せて参りましたので

今日は視点を変えて写してみました

 ウイークデーでしたが団体客が数組、市から派遣された職員さんも大わらわでした

この建物は明治43年、安中杉並木の巨木30本を払い下げ迎賓館として建てられた別館です

 

   

2階、150畳の大広間にある床の間は奥行き一間、天井は杉の一枚板が使用されております

軸は妙義の石門が描かれておりますが不覚にも作者を確認するのを忘れました

 

市の職員さんの説明にお付き合いのK子さん

少しも離してはくれない事に堪りかねたはるみちゃん

「有難うございました~」と言うや・・・・・・上手い事 逃げ出しました

 漸く解放された私達は本館へとやって参りました

当時の県令・楫取素彦氏の提案で明治17年に建てられた迎賓館です

余談・・県庁が一時的に高崎から前橋に移された訳ですが

終に県庁は高崎に戻って来る事は有りませんでした

高崎市民の怒りは相当なものだったと聞きますが今思えばお蔭で戦災を免れたと言う利点も有った訳です

この御所人形 は大正13年、昭和天皇御成婚時の引き出物だそうです

当時の前橋工業学校(現・県立前橋工業高校)の2代校長であった塚越万平氏が所蔵していたものを

平成20年に万平氏の御息女・恵子さんが市に寄付されたと説明書きされておりました

皇室の引き出物となると凄いものなのですね

ここ臨江閣は明治天皇はじめ大正天皇や多くの皇族も滞在され

大正天皇が滞在時、詠まれたのが上の漢詩です(自筆では無さそうです)

暖・桜・白雪・利根川の文字が読めましたが後は・・・

(畏れ多くも写真が斜めってしまいました)

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臨江閣西側に建つ侘びに徹したお茶室「畊堂庵」

    

 

少々疲れましたね、ちょっと給水タイム

私達が坐っている場所も池も当時は利根川 でした

今は川の半分が埋め立てられドームに遮られて臨む事は出来ませんが

ユッタリと流れる利根川河畔に建つ臨江閣はさぞかしだった事でしょう

この池は当時から存在していた「ひょうたん池」

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今、この面影はなく立派な(?)ビルとなって利根川河畔に聳えております

一府十四県連合共進会会場の絵図 奥に赤城山が聳えております

前橋、桐生と言えば生糸の街

この様な立派な蚕糸館が建っていたのですね 

残されていないのは先の大戦で空襲に遭い悉く歴史的建造物は破壊されてしまったからです

臨江閣が残ったのは奇跡的だったのですね