大瀧神社の帰り道、大塩の村の散策を試みました
平らな土地が無いこの地区は土砂の流出を食い止める為に家の敷地や畑、護岸、墓地に至るまで全てに石が積み上げられています
通りすがりの者にとっては独特の景観美に目を見張り写真の被写体バッチリと指を鳴らしたくなるところですが
ここまでするには並大抵の苦労では無かった事でしょう
個数僅かな建物も風雨に強い重厚な民家造りばかりでした
群馬のチベットと言えば聞こえはいいですが
現在、住民の殆どが年金者であり若者は皆、町に下りてしまい
村の存続の危機に晒されていると言う大きな問題を抱えていると言うのが現状です
実際、半分が空家であり半分以上が放置された畑が目立ちました
その限られた畑で特産物の蒟蒻(下の写真)を造り細々と暮す生活となれば若者離れも猶更の事でしょう
空を見上げれば未だ青く山々に当たる陽の光は木々の赤い葉をより赤く染め上げているのに陽も山に隠れた午後3時
集落はスッポリ薄墨に沈んでしまいました
そしてここ菅原地区の菅原神社
数えきれないほど通る道ですが気になりながら立ち寄った事は有りませんでした
総建950年と言う古い神社ですが
今ある建造物は落雷による焼失で時の領主 松平氏(江戸時代)が再建したものだそうです
祭神は学問の神様 菅原道真公で奥社内に本人25歳の時に彫った像が安置されている由が掛かれていましたが
御開帳の折りでなければ、それを拝む事は出来ないのでしょう
これは何かと思いきや道真公7歳の時の足跡だそうですが
どうですか?信じてみますか?
と、その時「おーい、誰か来てくれーぇ」と子供の声
山村の子供は母親が夕餉の支度に取り掛かるこんな時間まで元気に遊んでいるのねと思いながら下りていきますと
目を据え刀を翳した男の子が仁王立ちしているでは有りませんか
「カッコイイ~、 何しているの?」と問いかけると
「女どもがアッチに居るんです、男どもは向こうに居るんです」と意味不明な答えが返ってきました
もしかして仲裁役?なのでしょうか
それとも・・・・・道真公の・・・・・化身?
楽しい一日は瞬く間に一日が終わってしまいます
菅原神社を後に秋間近くを走る頃には、すっかり陽が落ち妙義山が美しいシルエットを描いていました
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