私は、摂食障害で、アルコール依存症者です。
摂食とアルコールの大きな違いは、なんといっても「断つ」があるかどうかです。
白黒思考の私にとって、アルコール依存症という病気は、定義がシンプルで馴染み良いものです。
重症か軽症かって、ないんです。
アル中はアル中。
「ちょっとだけ妊娠してます」が、ないのと同じように。
だから、回復も、摂食にくらべると、よりシンプルだと感じています。
「飲まないで生きる」なんです。
ビールだけに限る、飲む杯数を決める…などなどの、「ほどほど」を、暗中模索、七転八倒して探すという、苦しみの必要がないんです。
そのかわり、というか
探す苦しみがないかわりに
選択肢はありません。
飲まないこと以外。
選択肢はありません。
無力を認める以外。
選択肢はありません。
信じる以外。
選択肢はありません。
ゆだねる以外。
「あくまでも提案ですが…」と、仲間やスポンサーはいいます。
だから私は、「このやり方はメリットがあるからやる」「このやり方はデメリットがあるからやらない」と、最初、自分が選んで決めようとしました。
でもできなかった。
そもそも
どれほどデメリットがあるとわかっていても
酒は絶対にとまらなかったんですから。
私はこの、「選択肢がない」ことは
神からの恵みだったと思っています。
私が選んで
私が決める
を
手放すことが
摂食障害の回復の道具にもなるなんて、思いもしませんでした。
あくまで私の経験ですヨ。
今日一日。