好きでやってる人もいる
という反論が、あふれている
mの性的満足を通してのみfの性的満足は成り立つのだ、とでもいわんばかりのこの言説
思い出した
唇がきもちいいんやろ?って言われた
気持ちくない自分が間違っているんだと感じたし、だから自分をだまして、そうだと思い込むようにした
いまならわかる
相手は自分で罪悪感を感じないように、私に「良き主体」であることを求めただけだ
いまならわかる
いっかいも、自分からそれをしたいと思わなかったし、嫌だったし、それで興奮したこともなかったんだな
目から鱗だ
あー、たいへんな時間になってしまった
でも頭がさえていてつらい
今日一日