私の田舎は当時も日本の中で最下位から何番目かの年収の地域で、中卒で働いたり、子どもを産んだりする子が普通にいた。
クラスの不良と呼ばれる子たちは、ネグレクトで家にも居場所がないし、スマホもなかったから、引きこもってゲームするとかもないし、とにかく学校へ来て暴れるしかなかった。着崩した制服で現れては、先生を殴ったり、窓を割ったり、トイレを壊したり、廊下を自転車で走ったりしてた。
当然、授業なんか、なりたたない。
おしゃべりと罵声。
私は学校というものは勉強を教えてもらうところだと思っていたので、教科書すら開く余裕のない授業は、苦痛で仕方なかった。勉強は嫌いだったけど、何もしないでただ座って時間が過ぎていくのも、本当に絶望的だった。
暴れるのはクラスの1割くらいだったろうか?
その1割に、全部持っていかれてた。リソースを。先生の関心も、時間も、なにもかも。
「手のかからない普通の子たち」は見えない。
…
私は学校というものは勉強をしに行くところだと思っていたので、授業が成り立たないなら行く意味がないと思い、「行かなくてもいいか?」と母親にまじめに聞いた。きちんとした理由が説明でたし、大人は合理的な判断をしてくれると少し期待していた。
でもだめだった。
大人たちは、合理的な判断ではなく、慣習と世間体に従った。
今日一日