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なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

盤上の向日葵 下   

2021年05月21日 11時15分12秒 | 読書・文学


昭和五十五年、春。棋士への夢を断った上条桂介だったが、駒打つ音に誘われて将棋道場に足を踏み入れる。そこで出会ったのは、自身の運命を大きく狂わせる伝説の真剣師・東明重慶だった―。死体遺棄事件の捜査線上に浮かび上がる、桂介と東明の壮絶すぎる歩み。誰が、誰を、なぜ殺したのか。物語は衝撃の結末を迎える!

昭和五十五年、春。棋士への夢を断った上条桂介だったが、駒打つ音に誘われて将棋道場に足を踏み入れる。そこで出会ったのは、自身の運命を大きく狂わせる伝説の真剣師・東明重慶だった――。死体遺棄事件の捜査線上に浮かび上がる、桂介と東明の壮絶すぎる歩み。誰が、誰を、なぜ殺したのか。物語は衝撃の結末を迎える!    〈解説・羽生善治


あとで知ったが、フィンセント・ファン・ゴッホは生涯、向日葵をモチーフにした絵画を12点制作している。そのうち7点は、花瓶にさしたものだ。

次はどうやっても詰む局面を必至と呼ぶが、必至をかけられた相手は、王手をかけ続けるしかない。

金銀3枚で玉を固め、がっぷり組み合う矢倉は、もっとも歴史ある本格的戦法のひとつで、その格調の高さと正統性から、将棋の純文学とも呼ばれる。戦術も多岐にわたり、本当の実力を測るには、持って来いの戦法といえた。

将棋盤には耐久性がある桂(かつら)が多く使われているが、長く使用していると黒ずんできて目盛りがはっきりしなくなってくる。その点、榧(かや)は使い込むほどにいい飴色になり、指し心地もいい。難点は、榧は桂のおよそ10倍と高価なことだ。

将棋は囲碁ほどではないが、先手が有利であることに変わりはない。
勝率の差はわずか数%だが、先手になれば少なくとも、自分の望む戦法を採用できる。

男に抱かれている母の目には、狂気が滲んでいた。
嬉しいとか悲しいといった感情は一切ない能面のような顔でひたすら喜悦の声をあげている。
が、その瞳は、深い樹洞(うろ)のように黒く濁っていた。

人を騙し、命よりも大事な駒を売り飛ばした男。
殺してやりたいくらい憎いが、それと同じくらい彼に畏敬の念を抱いている。
一手一手、命を削るように指す姿を見ていると、性の絶頂を迎えるときのような昂奮を覚える。腹の底が熱くなり、妙技に陶酔する。そんなとき東明を、人間としては最低だが、将棋指しとしては超のつく一流だと、認めざるを得ない。

「女に向かって泥棒猫って言うことがあるだろう。ありゃあ嘘だ。女は鼠だ。
乗っている船が沈むとわかると、一匹もいなくなっちまう」

「子供のころ親から邪険にされて育つとよ、目が笑わなくなるんだ。目ん玉のなかによう、世間さまへの妬み、嫉み、恨みが、詰まっちまってる。笑おうにも、笑えねえんだよ。愛情ってやつを知らねえから、他人を信用することもできねえ」

自分は奨励会を去るとき、連盟から渡される記念の退会駒を受けとらなかった。
将棋とは一生縁を切ろう、と思ったからだ。

絵画への強い情熱ーー自己を狂気の淵に追い詰めかねないほどの狂熱ーーを抱いていたことから、ゴッホは炎の画家と呼ばれた。彼は自分でも抑えきれない激情と闘いながら、37歳で自ら命を絶った。
ゴッホは理想を求めてアルルで暮らしはじめた。
しかし、夢は叶わず、自らの胸に銃弾を撃ち込んだ。

「癌の治療をするとな、火葬後は骨にそのあとが残るもんなんだ。
人工的な赤や緑の点が、骨にぽつぽつとある」



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