N ’ DA ”

なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

戦火と死の島に生きる 太平洋戦・サイパン島全滅の記録 菅野静子/著

2021年03月27日 12時04分29秒 | 読書・文学


太平洋戦争、激戦の地サイパン島。家族とともに移民し、やがて戦いにまきこまれた少女は野戦病院の志願看護婦となり、そこで戦争の惨禍をまのあたりにする。戦争と平和を考えるための傑作ノンフィクション新装版にて待望の復刊!中学以上向き。

1926年、山形県に生まれる。テニアン島カーヒ高等小学校を卒業後、南洋貿易株式会社に入社。その後サイパン島にわたり、特志看護婦として野戦病院で働く。1944年、将兵とともに自決するが、アメリカ軍にすくわれる。2011年没

このテニアン島という島はどんな島なのか?・・・
どこを見てもおそろしいジャングル地帯で、家らしいものは一軒も見あたらなかった。
テニアン島は無人島だった。

どんぶりの上に盛り上がった黒いものはごま塩ではなく、なんと真っ黒いハエであった。
目玉がきょろきょろ飛び出したハエ。
「さあ、どうぞ食べてください」
と言ったが、ハエで真っ黒くなったご飯を食べる勇気のある開拓者は、ひとりもいなかった。

ほとんど全部が艦砲射撃の破片による負傷者であった。
破片をとりだす仕事が、いちばん困難でまたつらい。
焼けただれた肉のからみついている破片を力任せに引き抜くのだから、そのまま気を失って死んでしまう兵隊さんも幾人かはいた。

夜、林の中には、一面にぼーっと青白い光が燃え上がっていた。
みんな捨てられた死体から放つ燐光なのだ。
私にとっていちばん嫌なことは、自分が看護した兵隊さんの死体を見ることであった。
日に日に腐って崩れていく。怖いというより憐れで情けなかった。

~~「九段坂」の歌~~
あごをやられた兵隊さんがいた。
下あごのところが全部もぎとられているので、舌がだらりとたれ、よだれが絶えず流れていた。

「カンゴフサン、クダンザカノ、ウタ、シッテイル?」
「ええ、知っているわ。私の大好きな歌よ」
「ウタエル?」
「ええ、歌えるわ。歌ってあげましょうか?」
若い将校は、歌ってくれとまで言う気力はないようであった。
それを察して、わたしは、小さな声で歌った。

上野の駅から 九段まで
かって知らない じれったさ
杖をたよりに 一日がかり
あいにきたぞよ 九段坂

若い将校は、じっと月を見ている。

空を見るよな 大とりい
こんなりっぱな 御社(みやしろ)に
神と祀られ もったいなさよ
母は泣けます うれしさに

鳶が鷹の子 生んだよに
いまじゃかほうが 身にあまる
金鵄(きんし)勲章が 見せたいばかり
母は来たぞえ 九段坂


あたりからすすり泣きの声がおこった。
「おれたちは靖国に行くんだな」
「そうだ、みんなで靖国に行こうよ」
そんな声が兵隊さんたちのあいだから聞こえた。みんな泣いている。

「さあ、行こう」といった、そのときである。
バーン、バーンと手榴弾の炸裂する音が、すり鉢の中のあちこちでおこった。
同時に、わが子の名を叫ぶ声、「おかあさん、さよらなーっ」と叫ぶ声・・・
それが炸裂音にまじっていっせいにおこった。
ぱっぱっと火花が散る。すり鉢の中が一面に火花で明るくなった。

ちらちらと動いているものは、まさしく人間であった。
人間ではあるが、真っ黒い顔をしている。それが夥しい数だ。
ゴリラ?・・・わたしはそう思った。
というのは、アメリカ軍は、最前線にゴリラを使っているという話を、いつか聞いたことがあるからである。

海は、月光を映してきらきらと輝いている。
高さ50mほどの断崖。
波打ちぎわに、たくさんの死体が浮いていた。
■マッピー岬のノコギリ岩。
多くの婦女子が降伏をこばんで、この絶壁から身を投げた

女ばかりである。
しかしどういうわけか、若い女性の姿は見あたらなかった。
背中と胸に、子供を一人ずつ縛りつけたおばさんの死体もあった。
大きな波がくるごとに、その死体は岩にぶつかり、波の中に飲まれ、また浮いてくる。
わたしは、もう涙も出なかった。
「日本の人は、なぜ、こんなに死ぬのでしょうね。かわいそうに・・・」
わたしが涙をださないのに、そのアメリカ将校も黒人兵も涙を流している。
わたしはただ、うつろな心でながめていた。

すると、その母親の死体から少し離れたところに、ひとつだけ小さなものが、ぷかりぷかり浮いたり沈んだりしている。

~~サイパン島の両軍兵力~~
アメリカ軍・・・艦船644隻:地上兵力12万8,000名
日本軍・・・陸海軍3万2,000名:非戦闘員2万5,000名
投降後の収容人数・・・
日本人10,258名
朝鮮人1,173名
島民3,000名
軍人・軍属1,780名
計16,211名

「彼女のにいさんが、この中にいるんだ」
アメリカ兵たちは、深刻な顔をしてうなずくと、めいめいが戦車の上に乗り、ハンマーでたたき、たたき、30分もかかって、やっと蓋をあけてくれた。
真っ先にわたしがのぞきこんだ。
とたんに猛烈な異臭!
鼻も目も刺激するガスのために、わたしはくらくらとめまいがした。しばらく顔を横にそらしてから、またのぞくと、すぐ目の下にふたりの日本兵の死体があった。
前にいるのが兄であった。
顔が腐って、もう生前のおもかげをしのぶよすがもなかった。
ぼろぼろの軍服に「三浦」という字がはっきり残っていた。
二人のあいだにピストルがころがっていた。
「ああ、自決したんだわ」
わたしは涙がぽろぽろとこぼれ、それが兄の死体の上へおちた。
アメリカ兵のなかには涙を浮かべている兵隊もいた。

暗い洞窟の中に懐中電灯をつけて入ると、入り口のところから、まだ白骨にならない腐った遺体が、いくつもいくつも照らしだされたとき、さすがのわたしもおそろしかったが、民間人の大勢の人々が、洞窟の中で家族とともに自決をしたことを知って、やはりかわいそうでならなかった。
わたしが、毎日毎日ひとりで山の中に入るのを見て、同僚の看護婦たちは、はじめは不思議がっていたが、わたしが日本人の遺体を片付けていることを知って、一緒に山の中に入って手伝ってくれる人も出てきた。

あの日本語の上手な将校は、「自分は日本人を助けるために軍人になったのだ。
殺すためではない。それなのに、なぜ、日本人はみんな自分で死ぬのだろう」と言った。

読者登録

読者登録