N ’ DA ”

なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

神風特攻隊の遺書

2021年03月10日 16時09分32秒 | 読書・戦争兵器
「俺は俺たちの運命を知っている。俺達の運命は1つの悲劇であった。然し、俺達に対してそれほども悲観もしていない俺達の寂しさは祖国に向けられた寂しさだ。たとえどの様に見苦しくあがいても、俺達は宿命を離れることはできない。・・・俺はその日の幸福を祈っている。本当に幸福な日を迎えてくれ。再びいう、俺達は冷酷な1つの意志に支配されて運命の彼岸へ到着する日を待たねばならない。俺はそして最後の誇りを失わない。実に燃え上がる情熱と希望と夢とを最後まで失わない。」

「身にあびる歓呼の中に母一人
旗をも振らず涙ぬぐい居り

人混みに笑みつつ送る妻よ子よ
切なさすぎて吾も笑みつつ

面たれて涙かくせる吾が妻の
心くみてぞいざたち征かん

帰らじと思う心の強ければ
いよいよなつかし故郷の山

武夫の妻にしあれば夕空の
鳥が渡れば恋しきものを

人前に吾見せざりし涙なれば
夜は思うままに泣きて明かしぬ」

待機中、指揮所にて
「諸共と思えばいとし此のしらみ
体当たりさぞ痛かろうと友は征き
死ぬ事に馴れて特攻苦にならず
アメリカと戦う奴がジャズを聞き
ジャズ恋し早く平和が来れば良い
一人前成った処で特攻機」

出撃の命令下る
「夕食は貴様にたると友は征き
特攻へ新聞記者の美辞麗句
特攻隊神よ神よとおだてられ
特攻のまずい時世を記者はほめ
神様が野糞たれたり手鼻かみ
不精者死際までも垢だらけ
いざさらば小さな借りを思い出し
万歳が此の世の声の出しおさめ
必勝論、必敗論と手を握り
勝敗はわれらの知った事でなし
慌て者小便したいままで征き
父母恋し彼女恋しと雲に告げ
あの野郎、行きやがったと眼に涙
童貞のままで行ったか損な奴」

及川肇;盛岡高校、20年4月6日、南西諸島で戦死、23歳
遠山善雄:米沢高校、20年4月6日、南西諸島で戦死、23歳
福知貴;東京薬専、島根県、20年4月11日、南西諸島で戦死、23歳
伊熊二郎;日本大学、静岡県、20年4月11日、南西諸島で戦死、23歳
川柳合作
昭和20年3月25日、静岡県碧海郡明治基地に於いて神風特攻隊第3御楯隊として編成される。
同3月30日、沖縄県攻撃菊水一号作戦の為、鹿児島県出水基地へ進出。
沖縄県国分基地に集結、4月20日まで3回の出撃あり、
全機消滅の為解散、その当時前記4名にて合作せしもの。

安達卓也;東京大学法学部、兵庫県、20年4月28日、沖縄方面で戦死、23歳
「われわれは死に到ったとき、大きな苦悩を味わうに違いない。それは死が恐ろしいからではなく、如何に死ぬかが我々の心に常に迫り、凡ゆる価値判断を迫られるからだ。故にその苦悩は我々の必然である。ただ天皇陛下万歳を唱えて一種の悲壮感に酔って死んだ人は美しいといえ、我々のとり得ない態度だ。我々は常に死そのものを見つめつつ、而(しか)も常に如何に死ねるかの苦痛を荷いつつ死んで行くのだ。「なんだ、これが死か」という感情を死の瞬間にも持つ冷静さだ。
しかし、この苦悩があればこそ、我々には我々の死に方が出来る。それは断じて敵に対する逡巡ではなく、最も勇敢なる「死」であらねばならない。我々はむしろこの苦痛を誇りとするものである。この苦悩を越えて「死」そのものを見つめる時、我々は真の世界が開ける。・・・
勿論、我々は消耗品に過ぎない。波の如く寄せ来る敵の物資の前に、単なる防波堤の一塊の石となるのだ。然しそれは大きな世界を内に築くための重要な礎石だ。
我々は喜んで死のう。新しい世界を導くために第一に死に赴くものは、インテリゲンツィアの誇りであらねばならない。

私はこの美しい父母の心、暖かい愛あるが故に君の為に殉ずることが出来る。死すともこの心の世界に眠ることが出来るからだ。僅かに口にした母の心づくしは、私の生涯で最高の味だった。涙と共にのみ込んだ心のこもった寿司の一片は、母の愛を口うつしに伝えてくれた。
母上、私のために作って下さったこの愛の結晶をたとえ充分いただかなくても、それ以上の心の糧を得ることが出来ました。父上の沈黙の言葉は、私の心にしっかり刻みつけられています。これで父母と共に戦うことが出来ます。死すとも心の安住の世界を持つことが出来ます。私は心からそう叫びつづけた。戦の場、それはこの美しい感情の試練の場だ。死はこの美しい愛の世界への復帰を意味するが故に、私は死を恐れる必要はない。ただ義務の完遂へ邁進するのみだ。

1600、面会時間は切れた。
私は凝然として挙手の礼を送った。父母の姿は夕日を背にして、その影が地上にひっそりと長く落ちていた。その瞬間に静けさをしみじみと感じ、振り返りつつ立去って行く父母の瞳にじっと見入った。

古河敬生;桐生高校、滋賀県、20年4月21日、鹿児島県出水沖にて戦死、25歳
俺はパイロットとして猛訓練をうけている。
訓練は絶えず死の危険を伴う作業である。
心に悩み心配ある者に限って事故を起こすという。
清明な一点の曇もなき心にて、訓練に従事したい。

この頃少し心に余裕が出来ると、お前の事、生まれ来る子供のことが気になってならない。
最初九州の某基地に来た時、予定が急変して全員特攻隊を命ぜられ、今日か明日かと、出撃の日を待っていたが、・・・最初にして最後の死の出撃を待っていた。然し、自分でも驚く程、俺の心は澄み渡り、もう一人の俺がその澄み切った心の俺をしみじみと眺め直す感じだった。
人の命の儚なさは、今更ながら唖然とするものがあるが、この頃は大分神経も太くなってきた。お前も心を太く持って、待っていてくれ、必ず帰る。お前が子供を安産する迄はそう簡単には死なないつもりだ。



読者登録

読者登録