フツーなら─────。
女将が飲み物を瓶で運んできた時点で、注ぐだとか酌しねーとっつーことを思いそうなんだが…。
目の前のこいつは、そんなことなんて全く思いもしねーみたいで、モリモリ食っている。
女だから酒を注ぐべきだなんて、俺は思っていない。
どうでもいい女に酒を勧められても飲みたくもない。
でも、こいつにだけは注いでもらいてーって思うんだ。
こいつが俺の隣で微笑みながら、ビールを注いでくれたらっつー俺の妄想が止まらねー。
こんな風に俺が思うのは初めてだ。
気付けよ…。
お前にビールを注いでもらうことだけを、俺は期待して待っているんだぞ。
ビールを注ぐっつー事に気付かねーっつーことは、こいつは社会人じゃねーってことか?
高校生に見えねーこともねーが…。
大学生か専門学生か?
俺や女将、料理長に対応していた時、社会人ぽさはあった。
どこの会社に勤めているんだなんてことを、頭の片隅で記憶した。
俺の期待も虚しく、食うことに集中しているこいつ。
諦めた俺が、グラスにビールを注ごうとした時…。
「気が付かないで、すみませんっ!」
っつー声と同時に、こいつが急いで俺の隣にやって来た。
と、同時にさっきまで下がっていた俺のテンションが上がる。
俺からビールを受け取ると、はにかんだように笑うこいつ。
そうだよ。
こいつのこんな顔を隣で見たかったんだ。
こんなことを思いながら、グラスを差し出した。
と、同時に、こいつの顔に緊張が走ったような気がした。
なんだ?
今の一瞬の表情。
こう思った時には、こいつの顔は困った顔になっていた。
こいつの目線の先は、俺の持っているグラス。
俺もつられて、自分の手にしているグラスに目を走らせた─────。
瞬間!!
俺の目が見開いた。
・・・・・。
どう注いだらこんなことになるんだ?
っつーくらいの見るも無残なビールが、俺のグラスに注がれている。
隣のこいつは首を傾げながら
「あれ?あれ?ビールって泡立たないの?高いビールは泡立たないのかな?」
こんな訳のわからねーことを呟いたんだ。
泡立たねービールなんてないだろっ!
お前の注ぎ方だっ!
値段なんで関係ねー。
どうしたらこんなに下手に注げるんだ?
正直こんな不味そうなビールを、見るのは初めてだ。
もちろん飲めたものじゃねーんだろう。
心配そうな顔をしたこいつが、
グラスのビールを見て、俺をチラって上目使いで見てくるのがスゲー可愛くて堪んねー。
そんなこいつを見ると、このマズそうなビールも飲んでやるかって思えてくるから不思議だ。
初めて注いでもらった泡無のビールが底をつく頃、こいつの顔が引き攣りだした。
俺が顔を引き攣らせてーっつんだ。
なんて思いながら、顔には出さず喉の奥で笑っていると…。
目の前のこいつが、
「あのぉ…。すみません。注がないといけないっていうか、注ぐのが嫌とかでなくって…。私が注いでしまうと、美味しいビールが美味しくなさそうになってしまうと思うんです。せっかくのビールなので…。」
こんなことを、歯切れ悪そうに話し出したんだ。
そして、
「なので、注ぎ方を教えて下さい。よろしくお願いしますっ!」
こう言って、頭をガバって下げた。
今までに『一緒に酒を飲みたい』っつー誘いは、嫌っつー程あった。
が、『酒の注ぎ方を教えて下さい。』っつーのは初めてだ。
呆気にとられている俺に、
「ごめんなさい。私、お酒飲めないんです。」
なんて、申し訳なさそうに言ってくるこいつ。
こいつ、酒飲めねーのか。
しかも、酒の注ぎ方も知らねーってことは、誰にも酌をしてねーってことだろ?
なんて思いながら、どこかでホッとしている俺。
こいつと一緒に飲んでみたい。
飲むとどうなるんだ?
頬やうなじは赤くなるのか?
話し方は?
甘えてきたりするのか?
なんて余計なことまで、一瞬の内に考える。
そして、こいつが言ってきた『ごめんなさい。』っつー言葉。
今さっきまでの『すみません。』だとか『申し訳ございません。』より、スゲー距離が近く感じられる。
「おう。いいぞ。」
無意識の内に出た俺の言葉に、
一瞬で嬉しそうな顔になったこいつは、
「じゃ、今からお願いします!」
なんて、気合い十分に言ってきた。
俺の思考は一瞬、こいつとさしで飲むになってしまっていたが…。
こいつを見ると、ビール瓶を持って注ぐタイミングを待っている。
いや。
俺が教えるのを待っている。
この俺が、女にビールの注ぎ方を教えるなんてな。
今夜は久しぶりに、美味いビールを楽しめそうだ。
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