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巨大市場アジアを狙って成功した会社、失敗した会社。

2011-09-15 20:38:39 | 論壇
 「巨大市場アジアを狙え」は20世紀末に、市場経済化に成功した中国をはじめ、アジアの優等生シンガポール、さらにシンガポールの母国だったマレーシア、中国と同じように、社会主義市場経済化に踏み切ったベトナムなどに進出した日本企業を検証したものである。取り上げた10社は、すべて創業オーナー企業ばかり。国内、進出先をすべて取材してから、構成・執筆した。
 いまでは常識になっているアジアへの進出が、日本企業の場合、なかなか踏ん切りがつかなかった。いま話題のユニクロを展開するファーストリテーリングさえ、当時は安い生産コストによる生産基地として、中国を活用しても、市場としての展開はなかった。それが今では日本国内よりも、中国をトップに欧米も含めた海外市場の方が、はるかに巨大化している。それは、世界に通じる商品開発に成功しても、世界をマーケティングできなければ、世界的商品にならないということである。そういう意味で、今後のユニクロの展開は、SONYやCANONに続くような世界ブランドになるか、興味津々である。
 「巨大市場アジアを狙え」は、いまから16年前に書かかれたもので、発行は1997の2月である。アジアへの日本企業の進出は、ドルショックによる円の大幅な切り上げと、2度のオイルショックにより、国内生産では耐えきれなくなった企業が、止むを得ず進出に踏み切ったというのが、多くの企業の実態である。それ以前に、大企業は都市近郊より安い土地と人材を求めて、信越や東北に工場を移転したり、新設していった。その結果、1960年代まで、日本の主力工業地帯だった、京浜と阪神の2大工業地帯が、社会科の教科書からも消えた。それでも、都市部と地方の格差がなくって来ると、もはや国内に見切りをつけてアジアに出ていくのであった。これをボクはトコロテン的進出と言っていた。本来は海外に出て行きたくないのに、採算が合わなくなり、競争他社にコスト競争で負けることが判明して、押し出されるように海外に出て行ったのである。
 ところが、20世紀末に執筆した拙著のトップを飾ったマブチモーターは、アジア進出企業の元祖であり、優等生だった。それも、財閥系やそれに準じるような大企業ではなく、中小企業のうちに進出したのである。進出が東京オリンピックのあった1964年である。当時、香港は世界一の玩具輸出地域だった。マブチは香港に玩具用小型モーターを輸出していたのであるが、部品メーカーは生産地に近いところでつくるのが、最も効率が上がると考えたのである。アッセンブリーメーカーの意向に従ったり、追随したりしたわけではなかった。玩具での香港での製造ノウハウが、マブチモーターのその後の「生き方」を決定した。松戸の本社工場は新製品の開発と実験場と化し、製造はアッセンブリーメーカの林立する中国全域、アジア全域に生産基地を置いた。これに依って、年間60億個(当時)もの小型モーターの生産を可能にした。当時、同社では「カップラーメンのように、世界一高性能の小型モーターを供給する」がモットーになっていた。その結果、小型モーター部門で、マブチモーターは世界シェア50%を獲得したのである。
 その他、高野山を下りて仏門から還俗して企業を興したネミックラムダの斑目力廣の、起伏に富んだ半生にも触れている。創業間もない時期から、シンガポールをアジアのヘッドクォーターとして、アジア全域に生産基地を広げていった。反対に鳴り物入りで、返還前の香港、中国・上海に進出したスーパーのヤオハンは、日本のローカルスーパーを脱し切れず、再編にも乗り遅れて倒産。アジアの中国、シンガポール、その他の拠点も失ってしまった。
 いま、日本は中国よりベトナムかインドに進出を急ぐ傾向がある。中小企業ではもっと生産コストの安いバングラディッシュやパキスタンまで触手を伸ばしているが、そこまで行くと単に経済効率だけでなく、政情不安やテロにさえ巻き込まれかねない。こうしてアジアは西へ西へと発展の波が浸食していき、最終的にはイスラム圏の中東をもアジアの一部と捉えて上陸していくのか、宗教上の慣習とも絡んで来るため、さすがにその動きは今のところ皆無ではある。
 企業の海外進出は、欧米から始まり、いま、インドから東のアジアが、世界の工場地帯になっている。京浜工業地帯、阪神工業地帯が日本から消え、さらに日本中から工場が消えていくと、日本はアメリカ化して、国内生産を諦めて、第二次産業の国内空洞化国家になってしまわないか。そして、日本初の金融工学商品を、世界に売り飛ばすのだろうか。まさか!しかし、拙著をいま読み返すと、アジアでも、世界でも、日本の産業全体が地盤沈下しているのが、つぶさに読みとれる。その原因は、シンガポールや韓国のように、政治主導の産業構造の転換を推し進めなかったことに尽きる。この落とし前は、21世紀全体の日本に重くのしかかるだろう。バブル経済崩壊後、失われた10年と言われたが、21世紀初頭の10年も、日本の進路を構築出来なかった失われた10年である。(『巨大市場アジアを狙え』は、1996年2月、廣済堂出版から刊行された)

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