社会を見る眼、考える眼

 新しいmakoworldブログを開設いたしました。SNS全盛時代ですが、愚直に互いの意見を掲げましょう。

『破天荒で生きられたら、それだけで幸せだ』

2012-01-08 23:25:23 | 論壇
松尾雄治という一人のラガーマンがいた。(故人ではないが今は引退してスポーツコメンテーターになっている)
昭和29年、東京・目黒生まれの55歳。ぼくのように高校時代だけでもラグビーをやった者は、社会人になっても、余程のことがない限り、高校選手権の花園ラグビー、大学選手権、社会人選手権(現トップリーグ決勝)、それに大学トップチームと社会人トップチームが激突するラグビー日本選手権を国立競技に行くか、最悪チケットが取れなかった場合でも、TV観戦を50年続けています。
昭和50年代から60年代にかけての名ラガーマンが松尾雄治である。
目黒高校から頭角を表し、花園では奈良・天理高校に敗れて準優勝にとどまった。ラグビーの名門明治大学に入り、1年からレギュラーを取った。大学2年まで高校から培ったハーフバックを務め、3年から司令塔のスタンドオフを張った。明大時代のラグビーは、早明戦が花であり、実力伯仲だった。今のように関東学院大や大東文化大、帝京大などの新興勢力ではなく、早大、明大、法大、中大、慶大、それに関西の同志社大などの老舗チームが覇権争いをしていた。中でもスクラムの明大、バックスの早大が、雌雄を争っていた。松尾の時代はスクラムの明治が、バックスの早大を凌駕して、大学選手権で2回日本一になり、社会人との日本選手権でも1回日本一になっている。学生が社会人を破るのはめったにないことである。
明大卒業後、社会人の新日鉄釜石ラブビー部に入部した。勤務時間は運輸部に配属され、重い荷物を手作業で運び、勤務中から足腰を鍛えた。松尾が新日鉄釜石に入ったころは、同社のラグビー部は強くはなかった。しかし、入社2年目で社会人ラグビーの優勝を勝ち取ると、なんと8年連続日本一を獲得した。これはプロ野球読売ジャイアンツの9連覇に次ぐような、スポーツ界の破格の連覇だった。松尾は8連覇中スタンドオフを務め、変芸自在かつ華麗なパス回し、ステップ、キックと、なにをとっても日本一のスタンドオフをこなし続けた。
松尾は運送業を自営していた両親の下に誕生する。その父親は立教大学のラクビー部の元ラガーマンだった影響をもろに受けた。松尾は最初成城高校に通い、ラグビーを始めていた。父親から「勉強はしなくていい。その代わりラグビーの超一流プレーヤーになれ」と言われていた。その言葉を鵜呑みにして、ラグビーに明け暮れる一方、授業にはまったく顔を出さなかった。それが成城高校の規則に触れ、1年で退学を言い渡された。そこで父親は、明大の北島監督を訪ね、ぜひラグビーをやらせてほしいと直談判すると、なんと北島監督はOKを出してしまった。しかし、一つだけ条件があった。「どこの高校でもいいから、高校を卒業していないと採用できない」
そこで松尾の父親は、明大八幡山グラウンドにいつも練習に来ていた、目黒高校のラグビー部監督に頼み込む。「勉強は嫌いだから、出ても意味がないので、その分ラグビーに専念させる」と、単刀直入に破天荒な頼みをすると、これまた即座でOKになってしまった。それも成城高校1年の授業は、まったく出ていないにもかかわらずで、目黒高校2年に編入を認められた。
当時の目黒高校は、保善高校とともに東京都の雌雄を決する名門ラグビー高校だった。松尾は目黒高校でスクラムハーフを務め、花園大会で見事準優勝を収めた。優勝校は奈良の名門天理高校だった。そして、目黒高校を晴れて卒業して、明大ラグビー部に推薦入学した。明大では授業に出なくても、期末試験を受けなければならない。高校3年間まったく勉強をしていなかった松尾は、すべてチンプンカンプン。仕方がないので、授業の代行役を立てて、すべての授業のノートを取ってもらった。その上で、一夜漬けの試験勉強をして、4年間のすべての受講科目をクリアした。この献身的な代行役をしたのは、明大女子大生で、後に松尾の伴侶に収まった。
佐倉一高から立教大学野球部に進んだ、プロ野球のスーパースター長嶋茂雄選手にも似た軌跡を、松尾にも見ることができる。日本がほとばしるような活力があった時代には、松尾や長嶋のような日本人が、各界に横溢していた。出来上がってしまった現代社会は、規則にがんじがらめにされた既製品の人間ばかり。それが高度に発展した社会のスマートな決まりなんだそうだ。しかし、いまの日本は成熟社会が爛熟から乱熟になっていないだろうか。あらゆる分野に活力がないばかりか、政党政治に機能不全がみられたり、オリンパス、大王製紙に見られる、大企業の経営トップの不正と公私混同。それに政治不信。規則の無力とモラルの退廃が、いっそう嘆かわしくのしかかる。
破天荒の時代が、妙に懐かしく感じられる。(本稿は「新潮45」2012年新年号、<達人対談>松尾雄治VSビートたけしの「ラグビーの天才の〝とんでも伝説”」を精読し、河野が論考を加えたものです。(文責/河野 實)


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5 コメント

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マコさんお久しぶりです。 (麻男)
2012-01-13 21:46:26
遅ればせですが、明けましておめでとう御座います。しばらくごぶ沙汰してしまいました。昨年11月ミコさんのお兄様忠弘さんより、お父様が亡くなった旨の葉書を頂きました。98歳の大往生だったとのことで、私のところまで連絡いただけるとは恐縮するとともに、大嶋家の人々の人柄が偲ばれます。ご冥福をお祈りしたいと思います。 ところで松尾雄治と言う方は29年生まれならば私と同級生なので57歳になっていると思います。実は私今日13日が誕生日で57歳になりました。早いですね月日が経つのは、還暦まであと3年しかないかと思うと寂しいやらわびしいやら、今までの人生は何だったんだろうと悔いの多い今日この頃です。
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Unknown (CYPRESS)
2012-01-15 02:40:16
>昨年11月ミコさんのお兄様忠弘さんより、お父様が亡くなった旨の葉書を頂きました。
→ん~、言葉が出ません。
ご冥福を祈ります。
合掌。
requiescat in pace
死者の魂、安らかに憩わんことを
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Unknown (タケ)
2012-01-15 06:12:22
ミコさんとお父様は天国で久々の再会を喜んでおられることでしょうね。
ご冥福をお祈りいたします。
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お久しぶりです。 (SHIZUKA)
2012-01-20 15:18:42
ご無沙汰しております。mako world gooを読んでおりましたら、麻男さんのコメントで、大嶋みち子さんのお父様が逝去されたことを知り、心痛んでおります。今年の8月のみち子さんの50回忌を前にしてお亡くなりになったというのは、なんと申してよいのか言いようがありません。ただただお父様の冥福をお祈り致しております。
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Unknown (タケ)
2012-02-03 20:31:45
今日2/3はミコさんの誕生日でしたね。
おいくつになられたんでしょうか・・
ミコさんは歳を取らなくていいなあ。
あの若い頃のお写真のまんま(笑)。
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