社会を見る眼、考える眼

 新しいmakoworldブログを開設いたしました。SNS全盛時代ですが、愚直に互いの意見を掲げましょう。

安保反対とTPP反対は、双子の兄弟か

2011-12-24 00:11:47 | 論壇

 日本が高度成長の入り口にさしかかった1960年、わが国は日米安全保障条約の更新をめぐって、国論を二分していた。いや、反安保一色に染まっていた。岸首相は与党自民党をバックに、衆参ともに強行採決を敢行して、新安保条約を成立させた。しかし、国会議事堂へのデモで圧死した、東大女学生樺美智子さんの命は還るものではなかった。岸首相は自ら退陣を選び、政界の表舞台から身を引いて行った。
新安保条約というのは、アメリカ製憲法で日本が自ら軍備を持てない弱点を、日本駐留の米軍がカバーするもので、誕生して間もない自衛隊と米軍の有事における、双方の役割分担を決めたものである。当時の日本を取り巻く環境は、中国とソ連の二大共産主義大国に睥睨され、朝鮮半島は中ソが支援した北朝鮮の誕生で分断国家になっていた。革新・左翼の社会党や共産党の政治家をはじめ、いわゆる進歩的文化人は、そろって反安保を唱えていた。それを支援・先導したのは新聞、TVなどのメディアだった。その論旨は<新日米安保条約は、将来、米ソ、米中が衝突した場合、日本はアメリカの前線基地と化し、再び戦火に見舞われる>というものだった。更に反安保勢力は「わが国は平和憲法の下に、未来永劫戦争を放棄しているのであるから、日米安保条約を破棄して、スイスのように永世中立宣言をすべきだ」と気勢を上げていた。その通りにしていたら、中ソは日本を八つ裂きにして、中ソと北朝鮮で山分けしたのではないだろうか。日本人の幼児的平和主義に、喝采を浴びせるのはどこの国かぐらい理解できなかったのだろうか。
 日本に前線基地を置いた米軍の威力で、中ソは日本に指一本触れることができなかった。北朝鮮は拉致をする必要もなく、日本の世論を手玉に取った。日本のメディアをピョンヤンに招き、社会主義国の順調な建国ぶりを取材させた。帰国した朝日新聞ほかメディアは揃って「北朝鮮はこの世の楽園で、まるで桃源郷のようであった」と、最高の褒め言葉を並べた。ころ合いを見て、金日成は「地上の楽園北朝鮮に帰国したい在日朝鮮人およびその配偶者と子供を、無制限に引き受ける」と呼びかけた。われ先争って多くの在日とその家族(多くの配偶者に日本人が含まれていた)は、希望に胸を膨らませて北朝鮮に渡って行った。それ以後の悲劇は、筆舌に尽くせない。一部の権力に擦り寄る者を除き、最悪の労働環境の炭坑や農業、林業などに強制就労させられていった。多くの日本人配偶者が過労や栄養失調で亡くなっていった。
一方、わが国は快進撃を続ける高度成長の波にのって、東京オリンピックと大阪万博を開催し、ついに平和時において、欧米先進国の仲間入りを遂げたばかりか、アメリカに次ぐGDP世界2位に上り詰めてしまった。反安保を指導した幹部たちは、うっ屈した日々を送り、捲土重来を期していたが、一部の過激派が榛名山の内ゲバ殺人事件、浅間山荘事件、よど号ハイジャック事件などを起こすも、一般国民に火をつけるどころか、冷ややかな視線を送られるだけだった。あの反安保の熱気は、一体いずこへ行ってしまったのだろうか。学生たちの挫折感を描いた東大生だった柴田翔の「されど我らが日々」は、芥川賞を受賞した。反安保闘争でステップアップを遂げたのは、彼ぐらいしかいなかった。
 新安保条約は日本にとって、平和憲法下でのベストの安全保障システムだった。あの反対闘争は、一体なんだったのだろうか。日教組、総評、自治労などの指導者はその後の人生を、教育現場や職場を通して、日本を社会主義国に替える洗脳活動していったが、もう多くの日本人は騙されなかった。
さて、いまTPP(環太平洋経済連携協定)が、多くの学識経験者(大学教授、エコノミスト、一部のジャーナリスト)と野党および与党の一部が、声高に反対を叫んでいる。民主主義国家なのだから、大いに議論をするために、いろいろな意見が出ることは良いことである。しかし、交渉に入る前から、「TPPはアメリカの陰謀であり、沈みゆくアメリカに抱きつかれて心中するなどもってのほか」など、過激な言質は必ずしも的を射ていない。「交渉して反対派の言う通りのヒドイものなら、途中で降りればいい。あるいは、国会で批准を否決すればよい」と、賛成派が言おうものなら「そんなことをしたら、世界の笑いものになり、国際信用を著しく失う。危ない者には近寄らない、相手にしないことこそが最高の戦略である」とのたまう。アメリカの言うとおりにしたら、大変なことになる分野があることは分かるが、だからと言って、交渉もせずに拒否したり、国内の日本的やり方に固執していていいのか。競争力を失っている農業の再編に、まったく手をつけないで、今後も補助金まみれのままで済まそうとするのは、果たして日本にとってプラスになるか。TPP を新安保に置き換えて、冷静に深慮遠謀すべきではないのか。
 羹(あつもの)にりて鱠(なます)を吹くような、事なかれ主義ばかりやっているのでは、日本の未来を希望のある将来にすることはできない。また、シンガポール、ブルネイ、チリなど小国ばかりで、日本のような大国は損するばかりというが、メキシコも日本の交渉開始表明で手を上げた。1億人以上の人口大国である。更にベトナムはすでに加盟しているが、人口9000万人に迫っている。決して小国ばかりではない。また、日米安保にわが国の防衛を頼っている現状では、TPPにも積極的に関与していくべきという意見には、反対者はこう反撃する。「日米安保など、日本が有事の時、どこまでアメリカが本気で日本のために戦うか、分かったものではないのだから、そんなものを当てにして、TPPを押しつけられたら目も当てられない」と威勢がいい。だったら、憲法を改正して自主防衛をするべきだというのかと思いきや、平和憲法のままでいいという。徹底的に逃げられるものは、どこまでも逃げようとするのである。戦後日本人の典型的な振る舞いである。その結果が、いまの日本の体たらくだと、夢にも気付いていない。
 ボクらのように責任と義務を調和させ、世界の中で生きて行こうとする者は、「やらずぶったくり」のような、独りよがりのTPP反対者のようには振る舞えない。また、先人たちが明治の開国から今日まで、如何に白人諸国の人種差別、治外法権と血のにじむような闘いして、今日まで積み上げてきたかを、しっかり受け止めれば、戦わずして(=交渉せず)日本の外交・通商力を鍛えようとしないのは、これまた「羹に懲りて鱠を吹く」類の所作ではないだろうか。民主主義のいいとこどりだけしてきた、戦後日本人の真価が問われる時代の到来である。日本のインテリジェント外交の真価を問われ、また発揮すべき時でもある。
 TPPは安保反対と違い、マスメディアが賛成に回っているところが、決定的に違う。これも「羹に懲りて鱠を吹く」の類なのだろうか。