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口語訳「武士道」(新渡戸稲造著、岬龍一郎訳、PHP版)を再読して

2013-05-31 11:53:49 | 論壇
今どき「武士道」など、時代錯誤も甚だしいと思っている人たちには、この本には縁がない。読書とは、もっとも手軽な見聞の旅に出ることである。
 「武士道とは、死ぬこととみつけたり」は、あまりにも有名な言葉。故に、一人歩きしてしまっている。鍋島藩の憲法ともいえる「葉隠」(山本常朝著)に、上記の一文が記されている。それ前に、武士の本分、庶民に対する心構え、武士は食わねど高楊枝の精神から、信義の精神、質素節約の精神に至るまで、武士の身だしなみと出処進退を説いたうえで「武士道は、国の一大事においても、自らの道をはずしたときにも、出処進退は死を以って償う」ことを説いているのである。したがって、この精神に違和感はないはずである。あるとすれば、主君に対して命を差し出すと言うところが、中世的と言われるのかもしれないが、お国ために命など差し出してたまるかと言う、現代日本人よりマシであるともいえる。
 武士道の伝統的な考えをまとめたのが、「葉隠」であることから、新渡戸稲造の「武士道」も、読んでいない人には、同類のものと受け取られやすい。新渡戸の書いた「武士道」は、西洋にも通じる武士の国日本人の生きかたから、考え方、身の処し方について、義勇仁礼誠名誉忠義などについて、西洋人にも理解できるように普遍化して書かれている。
 例えば、高き身分に伴う義務について、武士たちには「武士は食わねど高楊枝」を解説したり、庶民より贅沢な生活をしてはならぬと戒める。即ち武士の掟と言うものは、フランス語、英語のnoblesse oblige(ノーブレス・オブリージ=身分の高い者には、それなりの高い行動規範が伴う)とイコールなのだと、東洋の片隅の島国日本人が言うものだから、西洋人は目を剥いたであろう。本著がアメリカで出版されるや、セオドア・ルーズベルト大統領は、自費でまとめ買いして、親戚・友人・知人に贈っている。さらに、アメリカだけでとどまらず、イギリス、ドイツ、フランス、ポーランド、ノルウェー、中国でも出版されたのである。
 この本は、アメリカ人を妻に持つ新渡戸が、妻マリ―(日本名萬里子)の敬虔なキリスト教精神と語学力のサポートがあって、アメリカで「武士道」を、最初から英語で出版することが可能になった。
 更に、新渡戸自身の親や先祖が、武士の出身であったことに加えて、新渡戸は明治の札幌農学校に二期生で入学、クラーク博士の精神を間接的に学んでいる。即ち、クラーク博士の「イエスを信じる者の誓約」にサインしたばかりか、これがきっかけでプロテスタントになった。キリスト教の慈悲の精神と正義と武士道が酷似するところがあり、新渡戸自身が「武士道」を書くきっかけにもなっている。それがnoblesse obligeだったのである。
 明治中期から大正、昭和と活躍した新渡戸稲造の真骨頂は、日本人魂を世界に知らしめながら、国際親善、人間教育に生涯をかけて尽くしたことだった。新渡戸は「日本人最初の国際人」であったことが、「武士道」を書く背景に備わっていたのである。