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「たまかな暮らし」を読んでーー。

2012-10-07 12:05:31 | 論壇
 良質なエッセーを読んだ。
 常盤新平の「たまかな暮らし」である。
 これは、普通のエッセーではない。月刊「四季の味」に連載した随筆を、単行本化したものである。
 ただ、この連載エッセーには、工夫が凝らされている。普通のエッセーは、まさに随時に筆をとって書き留めたものであるから、すべてが独立した、小品の読み物になっている。しかし、「たまかな暮らし」は違うのである。連載を依頼した編集者が、このように依頼したに違いない。「『四季の味』の読者に、四季折々の料理、食べ物、食材などを話題にしたエッセーを書いて頂けませんか」
 筆者の常盤新平は、1986年「遠いアメリカ」で、第96回直木賞を受賞している。作家になる前は、早川書房でミステリーマガジンの編集長をしていた。ミステリーの本を中心に翻訳家としても名をなしている。
 作家本人と思われる悠三は、出版社勤務のしがないサラリーマンである。その父啓吾は、翻訳出版社を定年で退社して、悠三と二人暮らし。妻とは10年以上前に離婚している。性格の不一致らしいが、それにしては、結婚20年以上もよく持ったものである。
 悠三は、渋谷の出版社を出て、三軒茶屋の母娘で自営している小さな小料理屋に、ときどき顔を見せる。父とふたりだけの食事が会話も弾まず、暗くなりがちだからである。どうやら、こちらの母娘も、母が夫と離婚して始めた小料理屋だ。その娘はやよいという。鼻筋が通り、おちょぼ口が可愛い上に、色白であるから、店の人気者になっているようではあるが、カウンター8席しかない小さな店に若者の常連はいない。26歳の雄三が一番若い。悠三はやよい目当てで、この店に出入りしているわけではない。
 しかし、父親も年々年取っていき、病院で精密検査を受けることもある。この父息子の共通の趣味は、俳句の季語別に解説をした歳時記を読むこと。だから、食べ物と俳句の関わりを、折に触れて書いている。連載雑誌が「四季の味」だからである。もちろん、四季を表すイチョウの実、穴子の蒸し焼きなど、季節の美味しさがふんだんに登場するが、男女の絡みと一流ホテルや有名料亭の食べ物などは皆無である。それは、それを得意にする作家が、別に受け持っているではないか。
 タイトルの「たまかな暮らし」とは、慎ましい暮らしという意味である。悠三と弥生の絡みも、悠三は他に呼びようがないので「やよいさん」と呼ぶが、やよいは悠三を「お兄ちゃん」と呼んでいる。どうみても、常盤新平の自伝と絡めて書いているフシがあるが、読者にはそんなことを感じさせない、端正で品のいい文体で読ませる。本当の意味の文筆家・作家の香り高い文章である。成り行きというか、悠三家も、やよい家も、離婚同士の家4人の男女が、暗黙の了解で悠三とやよいが結婚することになる。
 婚前旅行に行ったり、父親啓吾が気分転換の旅に出るときには、やよいは啓吾と悠三のマンションで一夜を共にする。そんな時の、二人のクライマックスは、「悠三は弥生の白い肌を二期寄せた」あるいは、「やよいの程よい胸のふくらみが悠三の胸に触れた」。これ以上も、これ以下も書かないで、二人の恋愛が正常に発展していることが、つぶさに読者に伝わる。ここの部分だけを、これでもかと微に入り細を穿ち書く作家とその読者は、デリカシーもなければ、想像力もない、でくの坊の関係である。
 二人はめでたく結婚して、伊豆の温泉旅館に二泊の新婚旅行に行ったり、父啓吾の友人で金持ちの一人暮らしの友達が、悠三とやよいのために、熱海の温泉付き豪邸を2泊分貸切で貸し与える話など、「たまかな暮らし」の粋な人間関係を浮き彫りにする。
 読んだ後、とても心が爽やかになる一冊である。(2012年6月発行/白水社、2000円プラス税)

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