ボクがサラリーマンを辞めたのが、平成元年末。社会に出たのが、いきなりフリーカメラマン。食べられるわけもなく、サラリーマンのカメラマンになった。それから、書けるカメラマンとなり、後にライター専属になった。
そこで、フリーになって最初に書いた本が、この『いま企業は、何をなすべきか』である。サブタイトルが<21世紀型経営の岐路と選択>となっている。目次を開くと、序章が、哲学がなければ、生き残れない。以下Ⅰ章から5章まで、時代に求められていること、地球にやさしく、ひとにやさしく、何を企業理念とするか、日本人としての国際人、志が経営を変える。終章は、21世紀に向けてなすべきこと、となっている。まだバブルが弾ける前から、少しずつ書きダメしてきた原稿だった。
国民すべてが、バブルに踊り、地価と株が暴騰して、東京・銀座の土地1平方メーターが1億円に乗り、日経平均が4万円まで跳ね上がっていた。日本人の95%が中産階級と自他ともに認識していた。銀座の高級クラブに取り巻きを連れて、一晩数百万円も散在して平気な経営者がいた。そして、バブル経済は弾けたのは良かったが、そこからの10年は、“失われた10年”と言われている。しかし、10年で終わらなかった。バブル崩壊から今日まで、政治・経済だけでなく、教育・福祉、医療・年金、文化・スポーツまで、何から何まで低迷が続いている。
その理由は何か。志を持たず、手練手管か、もしくは、MBAや弁護士・公認会計士などの、その道の達人=職人に頼り過ぎている。もっと、無資格の大人物で、大きな志を持った、“現代の坂本竜馬”のようなリーダーが出ないと、日本の未来は切り開けない。
バブル経済までの財界人、経営者には、スケールの大きな器量のある経営者が、あらゆる業種に存在した。経団連会長の土光敏夫から、ビール最下位からトップに押し上げた、アサヒビールの樋口廣太郎、SONYの盛田昭夫・大賀典夫コンビ、二流の家電メーカーからNECをIT企業に引き上げた関本忠弘など、現代の経営者に比べ、スケールの大きさを感じた。これらの財界人・経営者に取材を重ねて、執筆したのが拙著である。
土光敏夫の「荷掛け論」のさわりを紹介する。
教育とは、企業単位でも、部署単位でも、これはという人材を探し出し、その人材を教育する方法として、絶えず課題を与える。簡単にできるものではなく、足腰を鍛えなければ、持ち上がらないほどの荷物を背負わせる。強くなっていく人材は、次々に新たな課題をこなしていく。こうなればしめたものだ。ころ合いを見て、会社や部署の命運を懸ける課題を託してみる。さすがに、これまでのようにスムースに運ばないだろう。そこで、荷掛け役の自分の手を貸すのである。手を貸すときには、自分の人脈・情報・スキルを惜しみなく注ぎ込む。これで最後の課題もクリアできる。こうして、会社も、部署も、後継者を育成していくのである。
経済用語も、マネージメント用語もない、非常に分かりやすい、土光敏夫人材育成法である。(本著は1992年2月、大和出版より刊行された)
そこで、フリーになって最初に書いた本が、この『いま企業は、何をなすべきか』である。サブタイトルが<21世紀型経営の岐路と選択>となっている。目次を開くと、序章が、哲学がなければ、生き残れない。以下Ⅰ章から5章まで、時代に求められていること、地球にやさしく、ひとにやさしく、何を企業理念とするか、日本人としての国際人、志が経営を変える。終章は、21世紀に向けてなすべきこと、となっている。まだバブルが弾ける前から、少しずつ書きダメしてきた原稿だった。
国民すべてが、バブルに踊り、地価と株が暴騰して、東京・銀座の土地1平方メーターが1億円に乗り、日経平均が4万円まで跳ね上がっていた。日本人の95%が中産階級と自他ともに認識していた。銀座の高級クラブに取り巻きを連れて、一晩数百万円も散在して平気な経営者がいた。そして、バブル経済は弾けたのは良かったが、そこからの10年は、“失われた10年”と言われている。しかし、10年で終わらなかった。バブル崩壊から今日まで、政治・経済だけでなく、教育・福祉、医療・年金、文化・スポーツまで、何から何まで低迷が続いている。
その理由は何か。志を持たず、手練手管か、もしくは、MBAや弁護士・公認会計士などの、その道の達人=職人に頼り過ぎている。もっと、無資格の大人物で、大きな志を持った、“現代の坂本竜馬”のようなリーダーが出ないと、日本の未来は切り開けない。
バブル経済までの財界人、経営者には、スケールの大きな器量のある経営者が、あらゆる業種に存在した。経団連会長の土光敏夫から、ビール最下位からトップに押し上げた、アサヒビールの樋口廣太郎、SONYの盛田昭夫・大賀典夫コンビ、二流の家電メーカーからNECをIT企業に引き上げた関本忠弘など、現代の経営者に比べ、スケールの大きさを感じた。これらの財界人・経営者に取材を重ねて、執筆したのが拙著である。
土光敏夫の「荷掛け論」のさわりを紹介する。
教育とは、企業単位でも、部署単位でも、これはという人材を探し出し、その人材を教育する方法として、絶えず課題を与える。簡単にできるものではなく、足腰を鍛えなければ、持ち上がらないほどの荷物を背負わせる。強くなっていく人材は、次々に新たな課題をこなしていく。こうなればしめたものだ。ころ合いを見て、会社や部署の命運を懸ける課題を託してみる。さすがに、これまでのようにスムースに運ばないだろう。そこで、荷掛け役の自分の手を貸すのである。手を貸すときには、自分の人脈・情報・スキルを惜しみなく注ぎ込む。これで最後の課題もクリアできる。こうして、会社も、部署も、後継者を育成していくのである。
経済用語も、マネージメント用語もない、非常に分かりやすい、土光敏夫人材育成法である。(本著は1992年2月、大和出版より刊行された)