社会を見る眼、考える眼

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メダカが絶滅危機に瀕して、人間社会は進歩しているのか。

2011-09-05 19:32:53 | 書評
自分の本を書評することが、可能か否かは自分ではわからない。拙著『メダカはどこへ』は、ぼくの著書の中では、トップクラスの出来栄えだと思っている。その理由は、10歳の眼で見た信州・伊那谷の風景と人間の営みを詳細に復元し、その後の50年間の見聞の眼を加えることによって、半世紀の時差のある複眼が、貴重な検証を可能にすることが出来た。例えば、メダカが絶滅危機に瀕していることだけを捉えて、嘆き悲しみ、あるいは政府や社会に憤慨したり、抗議しているだけではない。日本の発展過程で、自然が失われていくことに、国家も、市民も、マスコミも、無関心になっていたのは否定できない。それは発展を優先し、国民の一人びとりが、豊かさを最優先してきたからだった。1970年代は、交通事故死が年間2万人を超え、交通戦争と言われた。また、四日市ぜんそく、東京・環状7号線沿線の環七ぜんそくや、新宿・牛込柳町から始まり、全国化した光化学スモッグなど、日本公害列島と化した時代もあった。
 一方、農業小国と悪魔の飽食のツケ、食料自給率40%未満など、豊かさの中のゆがみが指摘され始めたのが、昭和50年代だった。悪魔の飽食の結果は、小学生からの肥満による成人病予備軍、20代、30代からの成人病の多発と、生活習慣病の大量予備軍。さらに豊かさの最大の復讐は、世界史に類を見ないような、急激な少子化。これに戦中戦後の多子化の反動が加わり、眼を覆いたくなるような高齢社会の復讐に遭遇している。少子化と高齢化が、これほどまでの規模で同時に到来した日本を、世界がかたずをのんで見守っている。
 北欧三国やニュージーランドの豊かさは、人口小国をベースに、一次産業をベースに工業よりもサービス社会を発展させた結果である。これらの地域を取材し、さらに日本をモデルに発展を目指すベトナムなどの発展途上国との比較も適切である。もちろん、本の全体の体裁はエッセーであるから、論文調にならぬよう、専門用語は可能な限り排除している。身近な自分の家庭菜園から、世界の食糧問題や環境問題に視点を拡大する手法を取った。
 「愛犬ハナ物語」では、希薄になる一方の人間関係と、異常なペットブームの背景に潜む人間阻害社会に、それとなく読者を誘導する。
 最後の章では、すべて現地取材をもとに、ベトナム、イギリス、ニュージーランド、オランダ、ドイツ、ロシアの自然と環境とリサイクル技術などを紹介した。10歳の少年が信州の至る所で見たメダカが、まったく見えなくなり、土の川がすべてコンクリートの水路になってしまった。その結果、冬場の水のない水路には、メダカやドジョッコ、フナッコの代わりに、自動販売機の缶やペットボトルが投げ込まれていると嘆く。その無様な視点から、日本や世界各国の、自然と環境への課題と取り組みを紹介している。(『メダカはどこへ』は、2002年5月、展望社より刊行された)


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