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トラベルエッセイ『素顔のベトナム』を書くきっかけ

2011-09-17 20:52:45 | 書評
『素顔のベトナム』は、ボクが残した紀行文=トラベルエッセイの唯一のものである。そのキッカケは、1993年(=平成5年)の11月に、三宅和助氏の「ベトナム産業視察ツアー」に参加したことだった。三宅氏は前年に外務省中近東アフリカ局長を最後に退官したばかりだった。官僚臭のない、人間臭いところが、多くの民間人にファンを形成していた。そのツアーで、ボクはベトナム外務省日本担当の、グエン・ルオンさんを紹介された。「ベトナム全土を取材したいのですが、取材許可をもらえますか」率直に尋ねると「いいですよ。但し、国境警備区域と軍事施設のある所以外になります」という回答に、即座に「お願いします」と申し込んだ。ボクらが滞在中に、有効期間1年の全国の取材許可書が下りた。社会主義国での取材は、思わぬトラブルや事件に巻き込まれかねない。それだけに取材許可は、指定された地域や場所に限られるが、日本外務省OB主宰のツアーに参加した、最大の収穫だった。
 ボクは94年になって、11月までに5回に分けて、ベトナム全土と取材する計画を立てた。公共交通網のある所は、なるべくそれを利用し、ないところはクルマ、バイクをチャーターした。もとより取材を正確にするために、全行程に通訳をアレンジした。こうして。予定通り94年に取材を済ませ、書き上げた書籍が『素顔のベトナム』である。サブタイトルが<越南4000キロ探訪記>である。自国さえすべて回っていないのに、ベトナム全土63プロビンス(=日本の都道府県に相当)を踏破したのである。本著のさわりを少しだけ紹介する。

 ★大学と恋の町・古都フエ
 古都フエは、大学と恋の町でもある。わが国では京都が例にあげられる。しかし、国際的には、なんと言っても、ドイツのハイデルベルクであろう。マイヤー・フェルター作の『アルトハイデルベルク』の舞台にもなり、度々ここを訪れたゲーテは、ネッカー川に架かる橋を、世界一美しい橋と絶賛した。
 私は、まだ学生だったときに、ハイデルベルクを訪ね、油絵の額から飛び出したような景観が、いまでも鮮明に記憶に残っている。そこで、フエとの類似点を列挙してみる。
 イ 町を流れる川が美しく、川によって育まれた町
 ロ ハイデルベルク城とグエン朝王宮が双方の古都を代表する
 ハ 伝統のある大学がある
 ニ 歴史散策する若いカップルが、史跡で恋をささやく姿があとを絶たない
 ホ 両都市は、国際観光都市になっている
 フエを流れる川は、フォン川(香川と漢字表記され、英語ではPerfume River)と言い、ベトナムの川では珍しい、澄んだ水がしっとりとした雰囲気を醸す。一方ハイデルベルクを流れる川は、ネッカー川と言い、下流のルートビヒスアーヘンで、フランス側から流れるローヌ・ライン川と合流してライン川となる。
 フエ城はベトナム戦争の爆撃による傷痕修復作業を、あちこちでしていた。ベトナムはどこへ行っても、ベトナム戦争の破壊跡や、ベトちゃんドクちゃんのような、枯れ葉剤の犠牲者の姿を見る。
 
 ベトナムは西暦後約1000年間は、中国に接収されていた。近代に入っては、フランスに約80年間、隣のカンボジア、ラオスと共に、フランスの植民地になっていた。それが、日本のアジア侵攻により、フランスが一旦は仏印から撤退するも、日本の敗戦によって、再びベトナムに舞い戻る。それに抗したのが、ホーチミン率いるベトナム民族解放戦線(ベトミン)であった。1954年、ラオス国境のディエンビエンフーの丘で、フランス軍を壊滅させる。独立を勝ち取ったと思いきや、ソ連の介入に危機感を持ったアメリカが、フランス軍撤退後の南ベトナムに進行し、約20年間ベトナムに介入し続けた。戦闘を持って決着を図るも、ベトナム軍のゲリラ作戦に根を上げ、ついに1975年4月、ベトナムは南北統一を果たす。
 ベトナムは、中国、フランス、日本(=戦闘はない)、アメリカの大国に支配され続けるも、ついに独立を勝ち取った。それにしても大国の傲慢さは、現代にも随所に力ずくの支配が見られ、人間の際限のない強欲が国家になった場合、手をつけられないほどの、獰猛さを見る思いがする。ベトナムのハノイとホーチミン市にある「戦勝記念館」を見ると、その戦争の最前線の人殺しの凄惨さには、三日間食事がノドを通らなくなるほどだった。北に統一されたアメリカの敵意むき出しの、卑劣な戦争だった。その証拠にベトナム戦争に参加したアメリカ兵は、帰還後、社会復帰できない者が続出して、社会問題化した。それは、ソンミ村焼き打ち事件など、一般市民にむごたらしい死をもたらしたことが、帰還兵の記憶装置から消せないのである。
 旅エッセイでも、このような肝心なテーマからは、眼を背けていない。(『素顔のベトナム』は、1995年2月に同友館から刊行された)

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