『 妙義山の見える夕景 』
森川 由美子さん 撮影
80才までの状態の延長線上で、よりその状況に強さを徐々に加えて、頭は雲をかぶり、
体はまるで自分の体ではないようにだるくて、体中のあちらこちらに不都合や故障だらけ
になって、これが病や大量の薬服用の所為なのか或いはこれがすなわち老いというものの
現実なのだろうかと思ったりしている。
勿論この年齢でも色艶も良く元気な人も結構居られるのを知っているが、これは天が与えた
寿命とか運命というものなのだろうか。そうした方の話を聞くと何で我が身はと悔しく悲しいが、
これが天命というものだろうか。
私より若くして亡くなる方も大勢居られるのだから、これは何と言ったらいいのだろうか。
こうした現実をどう前向きに受け止められるかが、この年代には特に必要なことなのだろう。
これが老いの生きる知恵なのかも知れない。
昔から妥協とか諦めとか、いい加減さとか適当になんていうのは私の得意芸だったから、
(そのくせ内心ではいじいじしていたのだが)大いにそれを発揮して適当に程々に曖昧にそして
ズボラに怠け者で、あまり悩まず考えずに過ごすのが一番なのだろうか。
老いの坂道の例えでいえば、もうほぼ坂を下り切ったという気がする。
本も一寸前迄は10頁は読めたものが5頁に、内容もすぐ忘れてしまう。10歩は歩けたものが5歩に
それでも息が切れ、酒も2合だったのが1合がやっとに、便通も2日に一遍が3~4日になりと、
他にも微妙な所にも様々な変化が表れている。
いずれにしてももうこれからは小さな変化はあるのだろうが、坂は下り切ったような気がする。
坂の上の雲を羨まし気に、懐かし気に見上げるだけである。
昨日はかなり心身共に頑張って一寸ばかり遠出をした。千葉迄、家族皆でだったが女房の両親の
お墓参りだった。
千葉にいる女房の兄妹家族も集まるので迷っていたが煽られる感じで決心した。
外出は何という久し振りだろう。駅の階段に気を付けてゆっくり行動した。グリーン車を使って
何とか無事に帰って来れた。疲れた。帰っても酒の一杯も飲む気もなかった程だった。
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