人間には、いろんな問題が起こり解決が遅れることがあります。
祈っているのに、どんどん悪くなるのです。
ある目の手術は、見えなくなった時にすると聞きましたが、少しでも見えると出来ないのです。
それと一緒で、少しでも人間の可能性のある時には、神様の手が動かないのです。
可能性がなくなり、人間的には不可能と言う時になって初めて、奇蹟が起きます。
ラザロという人が病気になった時、イエス様は、あえて行くのを遅らせたのです。そして、ヨハネ11:4「・・・『この病気は死で終るだけのものではなく、神の栄光のためです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。』」と言われました。
すぐに行っていたら、ラザは癒されていましたが、死んで3日目になるまでほっておかれたのは、もっとすごいよみがえりという奇蹟が起きるためでした。ただの癒しではなく、死人のよみがえりである奇蹟はイエス様の神性を表すためでもありました。
解決が遅くなるのは神様の栄光がもっと表れるためなのです。