宮内庁御用達 2015年01月27日 | 歴史 クララたちが明治時代に通った築地の教会が、今では塩瀬総本家のお饅頭屋さんになっています。 今日そのお店が、勝海舟の愛したお店の紹介の後に出てきました。 なんと、600年の歴史があり、足利将軍に愛され、徳川家康が江戸に呼んだお饅頭屋さんで、宮内庁ご用達でした。 すごいお店ですね。
殉教地 2015年01月26日 | 歴史 19世紀、世界最大の福音派の教会だったメトロポリタン・タバナクルは、5000人入れる大きさでした。 立ち見や別の部屋でメッセージを聞く人も入れると、8000人入ったこともあるそうです。 マイクのない時代、スポルジョンの声は、隅々にまで聞こえました。 毎回入場券を発行していましたが、それが発行されるまでは、席を取ろうとして多くの人々が一気になだれ込んだのです。 今では、ロンドンの中心部になりますが、当時は、不便なところだったようです。 もともと、その地は、三人のクリスチャンが殉教した所だったのです。
自分のために 2015年01月19日 | 歴史 スポルジョンが、神学校に入るのを止められた時「あなたは自分のために大きなことを求めるな」ということばが与えられました。 それ以来彼は、神様のご栄光と魂の救いだけを考えるようになりました。 そのへりくだりが、彼が大きく用いられた元になっていると言われています。
殉教 2015年01月15日 | 歴史 2月5日の殉教聖会の前に、「日本キリスト教史 上 国籍は天にあり」の最終的な手直しをしています。 祈って頂いた時、この手直しをした版が、大きく用いられると語られました。 読んでいて思うのですが、宣教師の中に自己中心で動いた人たちがいたために、この26聖人の殉教があったのだなーと思いました。 いつの時代でも、神様の御心を捉えて行っていかないと、大きな悲劇を生むことになるのです。 しかし、その悲劇さえ神様は、益に変えられるのです。
福沢諭吉と宣教師たち 2015年01月14日 | 歴史 いま、福沢諭吉の子供たちの絵を描いています。 彼らや孫たちの中から、熱心なクリスチャンになる者たちがいます。 福沢諭吉は、キリスト教を攻撃した時期がありましたが、その間も子供たちは、宣教師から学んでいたのです。 命を助けてくれた元宣教医のシモンズや、軽井沢を保養地として広めたショーなども、慶応の中に家を作って住まわせていました。 その後は、自由主義の宣教師たちとの関わりが続きました。 生涯、宣教師たちとの関わりがあったのです。