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まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

ヨナ抜き

2014年06月21日 | 歴史

日本の昔の歌には、ファとシがないそうです。
これをヨナ抜き音階と言いますが、雅楽がそうです。
聖書に出てくるヨナという人がいますが、これとは全く関係がありません。
ところで、明治時代西洋の音楽がたくさん入って来ましたが、スコットランドの曲がたくさん用いられました。
スコットランドは、日本と同じでヨナ抜きだそうです。

明治のウェディングドレス

2014年06月20日 | 歴史

今日は、明治8年の森有礼の結婚式を描いています。
この時、ウェディングドレスを着ましたが、色はグレーで頭にベールをかぶっていました。
ウェディングドレスは、昔は黒や暗い色を使っており、家の財力を誇示する物でした。
絹やベルベットに金や銀の刺繍をしたそうです。
19世紀にイギリスのビクトリア女王の結婚式で白が用いらました。
白は、国によっては葬式で使われる色だというので、嫌われていましたが、今では世界中に広まりました。
そのため、ジョージ・ミュラーの結婚式も少し暗めの色の洋服にしました。
日本人で初めてのウェディングドレスを着たのは、森よりも二年早いそうです。
中国人と結婚した長崎の女性が着ました。
明治の初期には、ウェディングドレスはは日本にはないので、外国から取り寄せたのです。
面白いですね。

ムーディーの母親

2014年06月15日 | 歴史

ドワイト・ムーディーは、お父さんが亡くなった後、お母さんが双子を生むと言う貧しい家庭に育ちました。
その為に、学校もあまり行っていません。
言葉も、文法の間違いだらけだったそうです。
そんな彼を神様が、伝道者として大きく用いられました。
イギリスのケンブリッジ大学に行った時、学生たちはブーイングで、集会の妨害をしました。
その後、ムーディーは、祈祷会を開いて集会のため祈りました。
すると、先ほど妨害していた学生たちが次々と悔い改め、そこから宣教師たちがたくさん生まれました。
その中に、日本に来たバックストンがいました。
新神学(自由主義神学)の影響から、崩れていた日本のキリスト教界のために働きました。
ところで、ムーディーのお母さんは、キリストの神性を否定する自由主義のユニテリアンというグループ出身でした。
後に、ムーディーによって、信仰に目が開かれ悔い改めるのです。

講壇の貴公子

2014年06月15日 | 歴史

ここのところ、19世紀に活躍したムーディーやスポルジョンのメッセージを読んでいます。
特に、スポルジョンは、徹底的に聖書から、語った方だったので、いろんな御言葉が出て来ます。
長ーいメッセージを読んでいて、よくこれだけ覚えたなーと思います。
スポルジョンの教会は、周りに会衆がひしめいているようなところで語っていました。
本当に、すごいですね。
さすがわ、講壇の貴公子と言われただけはあります。

紙テープ

2014年06月11日 | 歴史

クララたちが、日本に向けて出港する時、テープを描いていましたが、よく調べたら、明治時代には紙テープ自体がありませんでした。
紙テープは、大正4年(1915)に、日本の商社が作りましたが、さっぱり売れなかったそうです。
その後、サンフランシスコにいた森田と言う人が「テープで別れの握手をしょう」というキャッチフレーズを作って売ったら、爆発的に売れたそうです。
当時は、船しかなかったわけですから、船でのお別れの時に用いられるようになり、現在まで続いているそうです。
歴史物は、細かい物でも全て調べないといけないので、本当に時間がかかります。