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まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

ポイントのみ言葉

2014年08月03日 | 歴史

杉原千畝さんのお話を、調べていたら、今まで知りたかったことが載っていました。
第二次世界大戦が始まったころ、リトアニアの領事館の周りに、日本を通過してアメリカに逃げるために、日本のビザを発給して欲しいと言ってユダヤ人たちが集まっていました。
日本の外務省からは、ダメだという連絡が入っています。
杉原夫妻は、ロシア正教のクリスチャンです。
ご主人が悩んでいる時、奥さんにこんな神様の語りかけがありました。
「町のかどで、飢えて息も絶えようとする幼な子の命のために、主にむかって両手をあげよ。」エレミヤ哀歌2:19
その時、ご主人も、自分の将来はどうなっても構わない。」と言って、ビザの発給の決断をしていたのです。
こうして、6000人のユダヤ人の命が助かったのです。
ポイントのみ言葉が、やっと分かりました。

壺屋の最中

2014年07月03日 | 歴史

歴史の番組を見ていたら、東大のある本郷の壺屋という和菓子屋が出て来ました。
ここには、勝海舟の書がかけてあります。
このお店は、380年も歴史がありますが、明治維新の時に、「長い間、徳川様にお世話になっていたから」と言って大店が、店を閉めた時、壺屋もやめようと思ったそうです。
その時に、甘いものが大好きな勝海舟が市民が食べたいと思っているから辞めることはないと言って止めたそうです。
なんだか、嬉しい話です。
雲の間にある虹出版の近くなので、今度行って見たいと思います。

祈り聞き従いが前提

2014年06月29日 | 歴史

最近は、寝る前に中国に宣教師として行ったハドソン・テーラーの伝記を読んでいます。
生まれた時から、神様に捧げられていた子でしたが、まっすぐな信仰に感動しています。
顔は、私の好きなキアヌ・リーブスに少し似ています。
外科医でもあり、かなりハンサムです。
ここの所、読んでいたムーディーやスポルジョンのように、太っていて、余り学校と縁のなかったタイプとは逆です。
神様は、いろんなタイプを用いられますが、神様に祈り聞き従う方という前提があります。

不可解な明治8年の木挽町

2014年06月26日 | 歴史

明治8年にスタートした商法講習所に関しては、いろいろややこしい問題があり、資料によっては、違いがあるのでよく分からない部分が多いです。
ホイットニー先生が、来日した時は、官立の学校の許可がおりなかったので、森有礼もいろいろ奔走しましたが、結局、森の施設学校として東京府知事の許可が下りたのです。
そのため、銀座木挽町に建設地を払い下げてもらいましたが、そこに森は自分用の西洋館を建てたのです。
そこで、新聞記者なども入れて200人の招待客を招いて結婚式をしました。
その時、東京府知事の大久保一翁は、結婚式の立会人なのに、一人だけ正装しないで、チョッキに半ズボンの漁師のような格好をしていたそうです。
その意味は誰も、分からないままです。
不可解なことの多い明治8年の木挽町あたりのお話です。
写真は、不可解なことの多い木挽町にあった采女(うねめ)橋です。
右に行くと写真のように新橋演舞場があり、その道路を挟んだ横が商法講習所のあった所です。

商法講習所跡地

2014年06月25日 | 歴史

やっと謎が解けました。
旧森有礼邸であり、商法講習所跡地が、新橋演舞場だという本があったので、長い間、明治時代の地図と今の地図を見比べていました。
おかしいと思っていましたが、やっと謎がわかりました。
つまり、江戸時代は広い大名屋敷でしたが、それを半分に区切ったのです。
商法講習所は、旧日産自動車本館で、今はリパーク銀座東駐車場のビルになっている所で、新橋演舞場の南横だったのです。
実際に歩いた時は、新橋演舞場の写真を中心に撮りましたが、1枚だけこの写真を撮っていました。
右が新橋演舞場で、左の青い建物がリパーク銀座東駐車場です。
今は、行かなくても、ストリートビューで映像を見ることができるので、感謝ですね。
でも、近いうちにまた、行って見たいと思っています。