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まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

スポルジョン

2014年11月24日 | 歴史

19世紀の神の器スポルジョンの本を、今読んでいます。
ジョージ・ミュラーと同じ時代ですが、少し若い方です。
当時は、イギリス国教会(聖公会)の者しか大学に入ることができませんでした。
スポルジョンの家は、代々独立教会の牧師の家系で、神様のことを語ったため牢に入れられた方もいました。
彼は、牧師であるおじいさんに育てられ、聖書に精通していました。
10代後半から田舎の教師をしながら、巡回伝道師をしていたので、お父さんは、神学校に入れようとしましたが、神様がストップされました。
そして、20歳頃、ロンドンの教会の牧師になって欲しいという要請が来ました。
ロンドンには、有名な牧師たちがたくさんいました。
スポルジョンは、大学も神学校も出ていないし、田舎丸出しの丸顔で、小柄で太っていたし、人間的にはなんの魅力も無い方でした。
しかし、それまでの修飾の多い言葉ではなく、普通の言葉でメッセージをしたのです。
そのため、1200人入るところに200人しかいないガラガラだった教会が、数ヶ月でいっぱいになり、建増しをすることになりました。
それでも、ロンドンの牧師たちは、彼をバカにしていました。
彼の後にメッセージをすることになっていた牧師は、怒って帰ってしまったこともありました。
しかし、スポルジョンは、人を恐れず神様との交わりは、心や揺らぐものだと言いました。
そんな、見栄えのしないスポルジョンを神様は用いられたのです。

残念ですね・・

2014年11月15日 | 歴史

連載漫画「海を越えて」では、NHKの大河ドラマの写真集も参考にしながら、明治時代の衣装などを描いています。
それを見ながら、この方も今は亡くなっていないという方が結構いらっしゃいます。
思いもかけず若くしてお亡くなりになった方の写真を見ながら、ドラマを見ていたときのことを思い出しました。
もっと生きていて、活躍して欲しかったと思うと残念です。
写真は、今も残っている勝海舟家の門です。

19世紀の器たち

2014年11月04日 | 歴史

19世紀の初め頃、イギリスでは、修飾文の多いラテン語も混じった言葉遣いでメッセージをしていたようです。
聴衆は、後で意味を調べないと理解できなかったそうです。
ところが、普段の言葉使いでメッセージをするようになってきました。
その代表が、スポルジョンです。
若干、19歳で神学校も行っていないスポルジョンは、1200人入るロンドンの教会に招かれました。
初めは、200人しかいなかった聴衆が、数週間で立ち見が出るほどになったのです。
同じ頃、ジョージ・ミュラーは、ブリストルで、メッセージをしていました。
聴衆の中には、修飾文もないドイツ語訛りの英語をばかにしていた方もいました。
やはり同じ頃、アメリカでは、下層階級の言葉しか使えないムーデーによるリバイバルが起きていました。
神様の力は、すごいですね!

いつの間にか変わってしまった!

2014年11月01日 | 歴史

昨日は、明治時代の清元や都々逸が今のものとは違うというお話も聞きました。
明治時代の初期、イギリス人が日記の中で都々逸を音符にして書いたそうです。
それが、今の都々逸とは違うというものでした。
また、高杉晋作が「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」を作ったと言われていますが、本当は木戸孝允が作ったそうです。
どういうわけか途中で、高杉晋作が作ったということに入れ替わってしまったそうです。
板垣退助が、暴漢に襲われた時「板垣死すとも自由は死せず」と言ったというのは、本人ではなく他の人が言ったというのを聞いたことがあります。
途中で、いろいろ変わってしまうことがあるのですね。

ここから

2014年10月31日 | 歴史

出世の石段の上から、西郷隆盛と勝海舟が江戸を見下ろして、焼き払うのは惜しいと決めたそうです。
社務所で聞いたら、記念碑はないと言われました。
昔ここから、海が見えたそうですが、今はビルに囲まれています。
下に写真は、女子供用のなだらかな階段ですが、今はエスカレートであっという間に登れます。