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まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

福沢諭吉の子や孫

2014年12月10日 | 歴史

福沢諭吉の姉や妹は、熱心なクリスチャンでした。
妹は、ハリスト正教です。
しかし、福澤本人は、キリスト教排撃に走った時期がありました。
面白いことに、排撃していた時でも、軽井沢を保養地に勧めたショー宣教師を家の横に住まわせて子供たちの教育を任せたのです。
その関係で、娘たちは、ショーの聖アンデレ教会(英国国教会=聖公会)に通いました。
四女の志立滝は、東京YWCAの会長を20年もしています。
お孫さんの中にも、たくさんのクリスチャンがいるそうです。

せせらぎ論争

2014年12月09日 | 歴史

1885年11月に発売された「心と声の讃美歌集せせらぎ」は、トマス・トーク・リンチ牧師が書いたものです。
初めは、評価している雑誌もありました。
しかし、ジェームズ・グラントが「最初から最後まで、生きたキリスト教信仰や、福音主義的な敬神の思いは、ひとかけらも含まれていない。」と酷評をしました。
その後、「せせらぎ論争」が始まり、バッシングされました。
最初は、好評価していた雑誌が急変して、一度も読まないで書いたと言った後「ちっぽけなガラガラ」と書いたのです。
そんな中で、スポルジョンは「ことによると、この賛美歌は、見かけほど麗しくないのかもしれない。・・・人魚のような胴体と蛇のような尾を有しているのではないかと疑っている。しかし、当該の尾を見はしなかった。」と言いました。この、「せせらぎ」を探していますが、どこにもないのです。
写真は、高円寺駅前です。

生涯の友

2014年12月08日 | 歴史

20才で、ロンドンの教会に招かれたスポルジョンは、貧しい労働者の心に直接訴えかかるメッセージをしました。
単純にみ言葉を、分かりやすく語ったのです。
まだ若いので、難点もありましたが、多くの者たちが涙を流して聞いたのです。
その彼に対する、批判中傷はすざまじいものでした。
彼よりも30才年上のスコットランドのある牧師は、初めて彼の説教を書いた小冊子を読んで、「今の時代に出されているどの説教集や信仰書の著者になるよりも、この一編の著者になりたい。」と言いました。
また、パウロも、この地上にいたら彼の説教を聞きたがり、満足し、よしとするだろう。」とも言ったのです。
その牧師が、初めてロンドンのニューパーク街の会堂を訪れた時、1500席のところを立ち見や、廊下や他の小部屋にいる人々を入れて3000人がひしめき合っており、外には入れない者たちが、溢れていました。
彼は、スポルジョンの説教を初めて聞いて涙したのです。
そして、生涯の友となりました。

正しい情報

2014年11月30日 | 歴史

今調べている伝記も、日本で書かれた小雑誌とWikipediaと、当時書かれた本では、かなり年代の誤差があります。
救いが分かり、洗礼を受けた年が1850年が本当らしいのですが、お父さんが書かれた伝記で1848年と1849年というのがあり、これが勘違いだそうです。
また、Wikipedia や他の記事では、1851年になっていました。
伝記を書くときは、どれを信用するかというので、大きく結果に左右します。
26聖人でも細川ガラシャでも、小説家の書いたものは、脚色がかなりあるので
参考程度にしないと、間違えてしまうことがあります。
森有礼の結婚式の時は、ホイットニー一家は、アメリカにいたのに、ある小説では、結婚式を手伝ったことになっています。
また、森の甥はハンサムだったというだけで、同性愛者にも、されています。
盛り上げるためと分からない部分を作ってしまうことがあるからです。
大河ドラマも、かなり事実を変えています。
例えば、資料では、出会った記録のない二人が恋人同士になっているのもあります。
側室のたくさんいたお殿様が、奥方一人になっているという設定になっているものもあります。
裏切り者が、人気がある方というので、裏切っていないという逆になっていることもあります。
なんでも、見分けるためには、正しい情報を知ると言うことが重要です。

スポルジョンの孤児院

2014年11月29日 | 歴史

スポルジョンは、世界中から、説教に来て欲しいと要請がありましたが、ほとんど行く機会がありませんでした。
貧しい学生のための牧師大学や、出版の働きに重点を置いていたからです。
それと、痛風と腎臓病の持病がありました。
ある時、多額の小切手が来て孤児院を作って欲しいと要請がありました。
スポルジョンは、孤児院のような重責のある働きは自分には荷が重いので、ブリストルで孤児院をしているジョージ・ミュラーの方に、この献金をすべきだと言いました。
しかし、献金した女性はロンドンには孤児院がないので、ロンドンに作って欲しいと言ったのです。
そこで、スポルジョンはロンドンに孤児院を作りました。
14才になったら、孤児たちは働きに出ました。
その中には、牧師大学に入り、牧師や宣教師になった者たちもいました。
10年後に、女性たちの孤児院も作ったのです。
スポルジョンは、57才という若さで、療養先のフランスで亡くなったのです。
写真は、スポルジョンのメトロポリタン・タバナクルですが、建て替えられています。