今日は、マーリン・キャロザースさんのマンガの続きのストーリーを書いていますが、ポイントの場面です。
マーリンさんが、どんなときにも喜ぶと言うことを神さまから示された所です。
ルカ6章22~23節「人の子のために、人々があなた方を憎むとき、あなたがたを除名し、辱め、あなた方の名をあしざまにけなすとき、あなたかたは幸いです。その日には喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。・・・。」
という御言葉を通して、どんな時にも、喜ぶと言うことを示されるのです。
初めは抵抗していましたが、聖書を調べれば調べるほど「喜ぶ。」ということ示されました。
いよいよ、本題に入ります。
今日の成長クラスは、「聖書」についてお話しします。
今回で、二回目です。
いろんな聖書の訳についても、お話しょうかと考えています。
ユダがイエスさまを、裏切る時の徴に、キスをしますが、当時のユダヤの週間では目下したの者が、目上の者にキスをする時は手にしたと言われています。
映画や絵画ではみな頬にしていますね。
前にイスラエルでユダヤ人のガイドさんに聞いた時、やはり昔は手にしたと言っていらっしらいました。
日本では、キスの習慣がなかったので、1871年(明治4)のゴーブル訳では「われが接吻(しゃぶ)ろうものは、それそのものなり。」
「かつイエスウを接吻(しゃぶりました。」と訳しました。
1838年(天保9)のギュツラフ訳のヨハネ伝では、神をゴクラク、また、ことば(イエスさまのこと)はカシコイモノと訳しています。
こんなおまけの話もします。
第三礼拝後、ぜひ覗いて見てくださいね。
聖書の翻訳は、本当に尊い働きです。
命に至る言葉を、翻訳するわけですから、大変な神経を使うとともに、篤い祈りが必要です。
昔は、コピーなどないわけで、一部しか無いのに、火事で焼けてしまったと言う話もあります。
400年前に、カトリックの司祭が翻訳したものは火事で焼けてしまいました。
明治時代、宣教師のヘボンとブラウンとグリーンと、数人の日本人によって、新約聖書の翻訳がなされました。
そして、1876年(明治9)~1880年(明治13)までの間、次々と新約聖書の各巻の翻訳本が出されました。
路加傳(ルカ伝)・希伯来書(ヘブル書)・馬太傳(マタイ伝)・馬可傳(マルコ伝)・約翰傳(ヨハネ伝)・羅馬書(ロマ書)・加拉太書(ガラテヤ書)・
哥林多前書(コリント第一)・以弗所腓立以書(エペソ・ピリピ書)帖撤羅尼迦前後書(テサロニケ第一・第二)・・・。
読めないですよね。
ある方が、迫害を恐れ、川に捨てた馬太傳(マルコの福音書)がありました。
それを、馬を太らせるための本だと思い、拾い上げて読んで救われたと言う有名な話があります。
ほんとうに、命に至る本ですね。
1886年(明治19)に、赤坂の霊南坂教会を建立して、番町教会の牧師となった小崎弘道は、同志社出身です。
小崎は、「警醒社」から『政教新論』を出していますが、その中で従来の宗教としての儒教に代わって、キリスト教の重要性を説きました。
ところが、1889年(明治22)同志社で行われたYMCAの夏季学校で「聖書のインスピレーション」と言う話をし、その中で
聖書の伝統的な解釈を否定した高等批評を擁護し、聖書信仰を否定したのです。
ここから、日本の自由主義が始まると言われています。
小崎は、「聖書に誤りがあるかないかという窮屈な考えを捨て、自由研究をなさなければならない。自分は、信仰の基礎を聖書に置くことをしないで、聖霊即ち実験に据えなければならない。」と言いました。
翌年の1890年1月に、新島襄が47歳で亡くなりますが、その2年後に、小崎弘道が同志社の社長兼校長になりました。
小崎は、「キリスト教青年会」「宗教」と言う言葉を訳した人でもあります。
キリスト教には、いろんな立場がありますが、私たち多くのクリスチャンは、聖書が翻訳ミスもあるので、「原典において誤りなき神の言葉」だと信じています。
だから、「あなたの信じたとおりになる。」とあるので、問題が起きた時、聖書の御言葉を通して、神からの語りかけを受け解決を見出すのです。第2テモテ3:16「 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練と のために有益です。 」
イリエ・コロアマさんが、天国に行かれた時の証を25年前に聞きました。
聞き従わなかったゆえに、逃した祝福の入った部屋があったそうです。
昨日、ラジオで聞いたお話では、ある牧師の方が見た夢ですが、天国に行ったらある部屋があって、中を見ない方がいいと言われたので、何だろうと思って聞いてみると、求めなかったゆえに与えられなかった物が入った部屋だと教えられたそうです。
がーんですね。
聖書では、「求めなさい。そうすれば与えられます。」と言っています。
原文では、求め続けなさいという意味ですが、私たちは、悪いこと以外はどんなことでも求めていいのです。
神様のみこころの祈りだったら聞かれるのです。
楽しみですね。