動画で、自分でウサギの帽子をかぶる猫を見ました。
本当に、ウサギの耳が付いた帽子をちゃんと手で押してかぶるのです。
あごの所まであった顔だけ出す帽子ですが、本当に芸達者な猫がたくさんいますね。
動物を飼うことができないので、動画で時々楽しんでいます。ところで、映画ミッションで拙著「日本キリスト教史 上 国籍は天にあり」をハリウッドでアニメで出すと言うビジョンも今年は期待しています。
なぜなら、映像のコンテストが始まったからです。
昨年、召天した母が、「アニメを出すと言う話は、いったいいつ実現するんだ」とよく言っていましたが、全く動きのない状態でしたが、今年は違うのです。母も、天国でとりなしていてくれると思います。
いよいよ、ハリウッドが近づいてきました。
昨日は、「ビクトリア女王 世紀の恋」を再び見ながら、写真をたくさん取りました。
もちろん衣装に関する資料です。
しかし、ジョージ・ミュラーとビクトリア女王の周りにいる方々では、着る物が違いますよね。
それにしても、男性はピタッとしたズボンなので、手足が長く見えます。
華やかな宮廷生活の裏には、路上で死んでいく孤児たちがたくさんいたのです。ビクトリアと夫のアルバートは、貧しい国民のためにいろいろな改革をしました。
利害関係が渦巻く宮廷で、妨害もたくさんありましたが、ビクトリア女王は、在位60年の長きを全うされたのです。
同じ頃、スポルジョンも講壇から、神のメッセージを語り続けたのですが、多くの批判も受けました。
何かされる方は、必ず批判も受けるのです。
器になるためには、またビジョンを全うするためには打たれ強くなけらばなりませんね。
資料のために前から見たかった「ビクトリア女王 世紀の愛」のDVDを見ました。
王様には、2人の弟がいますが、王位継承者である子供は、弟の子であるビクトリアしかいないのです。
そのビクトリアがまだ成人していないので、彼女が王になったら後ろで操る人物を避けるために、王は早く成人するように祈ります。
そして、王が死にビクトリアが王位につきますが、夫に誰がなるかで後ろに付く人物がまた問題になってくるのです。
結局、大恋愛でアルバートと結婚しますが、多くの無駄な伝統を改善すること貧しい国民のために、福祉などを推進し、政治でも文化でも大きな成果をあげます。
もっとも、宗教的な時代とも言われています。
円満な家庭で、9人の子供が生まれますが、アルバートは、42歳で亡くなるのです。
その後ビクトリアは、40年間喪服で暮らすのです。
こんな中で、ジョージ・ミュラーは、孤児院の働きをしたというのも神様の大きな計画ですね。残念ながらビクトリアが血友病の突然遺伝子を持っていたため、子孫たちに影響が出て男子に発病しますが、ロシア皇太子アレクセイもその一人です。
それの血友病をいやしたというので、怪僧ラスプーチンが皇帝の家族に寵愛され、ロシア革命の切っ掛けにもなって行くわけです。
歴史は、小説よりも奇なりですね。
1949年作「戦場」は、「牢獄から賛美へ」の資料のため何度も見ましたが、さすがにアカデミー賞2部門(撮影賞・脚本賞)を取っただけのことはあるなーと思いました。
最後がすがすがしいし、一人ひとりの個性が生きています。
日本の戦争映画は、規律が厳しく自由がないのを感じますが、クリスチャンや聖書の御言葉などが出てくるし、ユーモアがあって良い映画です。
特に、川谷卓三のような方が出てきますが、うまいです。
本当に見れば見るほどうまいと感じます。
私の父は戦争に行きましたが、良く戦争映画を見ていたし、関係の資料を集めていました。
それが、私のまんがの資料として役に立っています。
どんな映画でも、見た後にいやな思いや不安が残ったりする映画は、見たくはありません。
まんがも、そういった作品が増えて欲しいですね。
私も一生、良い作品を描いていきたいと祈っています。
アズサ街のリバイバルが最初に起きた建物がある日米文化会館の庭を設計したのは、イサム・ノグチさんだそうですが、彼はリバイバルが起きた1906年にはまだ子供でアメリカ人のお母さんとともに、お父さんの住む日本に移住した年でした。
しかし、お父さんは、すでに別の方と結婚していたそうです。
戦争の時は、日本人だと言うことで、アメリカの収容所に入れられましたが、スパイだと疑われて日本人からも迫害されました。
やがて、有名な彫刻家になり岐阜提灯からイメージした丸い和紙のランプシェードをたくさん作りました。
広島の平和記念公園の慰霊碑のデザインが採用されましたが、アメリカ人だと言うので落とされてしまったのです。万博の「太陽の塔」の横の噴水「月の世界」も作りました。
ミュージカルになっている李香蘭(リコーラン)と結婚した時の写真が私の資料の中にたくさんあります。
李香蘭(リコーラン)は、本名の旧姓・山口淑子さんのことですが、中国では歌や映画で大活躍して大スターでした。
戦後は日本に帰りハリウッドの映画にも出たことがありますが、晩年は自民党の参議院議員になり今は引退されています。
思いもかけないところで、人と人との繋がりと言うものがありますね。