さっき、大昔の缶の箱を整理していたら…
なんと

kayoのうちが加代だったときのマッチが出てきました

すごーい
ちょう…超レアです
17の夏に閉めたから、かれこれ20年以上前
閉める時も大変なことがあったんだった
それは後ほど
「季節料理 おでん 焼き鳥」って看板だったけど。
マッチは『串かつ おでん』だったんだなぁ
出汁もちゃんと鶏がらから作ってたし、
山菜とかきのこも山に採りに行ってたし
そういえば毎日市民市場に買い出しに行ってたなぁ。
通路が、もう歩かれないくらいの人ごみでkayoなんかは両手挙げて歩いてたくらい。
両手挙げて体を手の分でも細くしないと歩かれないくらいの人ごみだった
やばい、いろいろ思い出す
懐かしいマッチでした
なんと


kayoのうちが加代だったときのマッチが出てきました


すごーい

ちょう…超レアです

17の夏に閉めたから、かれこれ20年以上前

閉める時も大変なことがあったんだった

それは後ほど

「季節料理 おでん 焼き鳥」って看板だったけど。
マッチは『串かつ おでん』だったんだなぁ

出汁もちゃんと鶏がらから作ってたし、
山菜とかきのこも山に採りに行ってたし

そういえば毎日市民市場に買い出しに行ってたなぁ。
通路が、もう歩かれないくらいの人ごみでkayoなんかは両手挙げて歩いてたくらい。
両手挙げて体を手の分でも細くしないと歩かれないくらいの人ごみだった

やばい、いろいろ思い出す

懐かしいマッチでした

みなさん気絶したことありますか??
kayoは一回だけあります。
それは確か中学校一年くらいだったか…
居酒屋kayoのあった時代。
真夜中kayoが寝ていると
ガチャーン!ガチャガチャガチャ んがーてめー コノヤロー
また始まった
だいたい夜中の1時か2時ころに暴れるのは店のママであるおばさん
それをじさまが押さえる。(まあ親子です。)
酒乱なおばさんを止めるのが、(その日は)じさまの役目だった訳です。
kayoは2階の布団の中でことの成行きを見守っていた(単にうるさくて寝れないから)
いつもだと紐で縛るやら、じさまが腕力でねじ伏せるやらで大騒ぎしながらも終わるものなんだけど…
(そんな3人家族だったのです)
その日だけは
ガッツン!!ギャーッ!!!
なんて声が聞こえたので
これはやばい
っと思って一階に下りて行った
。
すると居間と廊下は血だらけ
じさまは目を押さえててそこから血がだらだらと
そしておばさんはすでにいない
じさまにタオルを渡し話しを聞いたら暴れるおばさんを廊下で追いかけた時、振り向きざまに量り(あの5キロくらいまで分量見る分量計)で殴られたのだとか
良く見たら目の上がぱっかり割れてて血が噴いてた。
目でなくて良かったけど。
そして今度は張本人のおばさんの部屋に行った。昔の家なので間口が狭く細長い作りでおばさんの部屋は一番奥にあった。
そこに行くとおばさんはブルブル震えていた。その当時、おばさんは32才くらいだったと思う。
酔ってたとはいえ、やっぱやったことにビビってたのか…kayoが行くと、ずっとここにいろと言う。そしてみんな自分に冷たいなどと愚痴を言う。(ただの酔っ払い)
トイレに行くと言っても窓からしろって言うし多分一人になるのが怖かったんだと思う
おさまっておばさんが寝付いたころになんとか抜け出して今度はじさまの布団に行くとすでに寝息たてて寝ていた
そして居間も廊下も血だらけのままkayoも寝る。
朝…
普通に中学校、平日です
友達が迎えに来ます(いつも)
ガラスが散乱して、家具がめちゃくちゃなってても友達も慣れている
kayoはもちろん寝坊であわててしたくする(一人)
そこで
寝ているじさまを思い出した。
友達が待っているのにもかかわらず(っていうか、かなりあわててたんだと思う)
救急の用品があるところからオキシドールの瓶を取り出し
二階のじさまにガーゼとオキシドールの瓶をおきに行った。
階段登ってった、そのとき
足を踏み外した
そしてその拍子にkayoの持っていたオキシドールの瓶の上にkayoの目が刺さった
もう眼球が破裂してもおかしくないくらいオキシドールの蓋がkayoの右目にめり込んだ
目が真っ白で意識朦朧のままなんとかじさまの枕もとにオキシドールを置いたまでは覚えている。
そのまま気を失った。
気付くと下で待っている友達の呼ぶ声が…
多分数分くらいだったと思う1分か5分か分からない
それが唯一kayoの気絶したときでした
参った。
そしてその日家に帰ると…
じさまが『朝起きたら○○が枕もとになんかガーゼと薬置いてたんだな~』ってのんきにおばさんと話してて
さらに『でもその薬ベンジンだったやー!!』あはははって二人で笑ってて
『えっ?』って感じでした
オキシドールだと思っておいたらベンジンだったらしく
しかもそのためにkayoは気絶までして

その上あんたらは何で今、そんなに普通に会話してるんですか
って感じでした
。
酔っ払いで二人の記憶はどこまで覚えているのか・・・
そんなのがしょっちゅうの居酒屋加代時代でした
ほんと勘弁
今こうやってブログにあらためて綴るとだいぶ普通ではない生活だったかもって思います
kayoは一回だけあります。
それは確か中学校一年くらいだったか…
居酒屋kayoのあった時代。
真夜中kayoが寝ていると
ガチャーン!ガチャガチャガチャ んがーてめー コノヤロー

また始まった

だいたい夜中の1時か2時ころに暴れるのは店のママであるおばさん

それをじさまが押さえる。(まあ親子です。)
酒乱なおばさんを止めるのが、(その日は)じさまの役目だった訳です。
kayoは2階の布団の中でことの成行きを見守っていた(単にうるさくて寝れないから)
いつもだと紐で縛るやら、じさまが腕力でねじ伏せるやらで大騒ぎしながらも終わるものなんだけど…
(そんな3人家族だったのです)
その日だけは
ガッツン!!ギャーッ!!!
なんて声が聞こえたので
これはやばい


すると居間と廊下は血だらけ


そしておばさんはすでにいない

じさまにタオルを渡し話しを聞いたら暴れるおばさんを廊下で追いかけた時、振り向きざまに量り(あの5キロくらいまで分量見る分量計)で殴られたのだとか

良く見たら目の上がぱっかり割れてて血が噴いてた。
目でなくて良かったけど。
そして今度は張本人のおばさんの部屋に行った。昔の家なので間口が狭く細長い作りでおばさんの部屋は一番奥にあった。
そこに行くとおばさんはブルブル震えていた。その当時、おばさんは32才くらいだったと思う。
酔ってたとはいえ、やっぱやったことにビビってたのか…kayoが行くと、ずっとここにいろと言う。そしてみんな自分に冷たいなどと愚痴を言う。(ただの酔っ払い)
トイレに行くと言っても窓からしろって言うし多分一人になるのが怖かったんだと思う

おさまっておばさんが寝付いたころになんとか抜け出して今度はじさまの布団に行くとすでに寝息たてて寝ていた

そして居間も廊下も血だらけのままkayoも寝る。
朝…
普通に中学校、平日です

友達が迎えに来ます(いつも)
ガラスが散乱して、家具がめちゃくちゃなってても友達も慣れている

kayoはもちろん寝坊であわててしたくする(一人)
そこで

寝ているじさまを思い出した。
友達が待っているのにもかかわらず(っていうか、かなりあわててたんだと思う)
救急の用品があるところからオキシドールの瓶を取り出し
二階のじさまにガーゼとオキシドールの瓶をおきに行った。
階段登ってった、そのとき

足を踏み外した

そしてその拍子にkayoの持っていたオキシドールの瓶の上にkayoの目が刺さった

もう眼球が破裂してもおかしくないくらいオキシドールの蓋がkayoの右目にめり込んだ

目が真っ白で意識朦朧のままなんとかじさまの枕もとにオキシドールを置いたまでは覚えている。
そのまま気を失った。
気付くと下で待っている友達の呼ぶ声が…
多分数分くらいだったと思う1分か5分か分からない

それが唯一kayoの気絶したときでした

参った。
そしてその日家に帰ると…
じさまが『朝起きたら○○が枕もとになんかガーゼと薬置いてたんだな~』ってのんきにおばさんと話してて
さらに『でもその薬ベンジンだったやー!!』あはははって二人で笑ってて
『えっ?』って感じでした

オキシドールだと思っておいたらベンジンだったらしく

しかもそのためにkayoは気絶までして


その上あんたらは何で今、そんなに普通に会話してるんですか

って感じでした

酔っ払いで二人の記憶はどこまで覚えているのか・・・
そんなのがしょっちゅうの居酒屋加代時代でした

ほんと勘弁

今こうやってブログにあらためて綴るとだいぶ普通ではない生活だったかもって思います

kayoのうちは居酒屋だった。
じいさまが経営者でおばさん(父の姉)がママだった。
『おでん焼き鳥 加代』って看板かかげてて
繁華街とはいえ、はずれの方にあった。
普通の民家もある当時のちょっとした商店街っぽい所に『居酒屋 加代』はあったの
毎日毎日 わいわいがやがや

そんな感じでした。
カラオケもあったから・・・けっこう近所迷惑な家だったのだろう
そしてkayoの部屋はそんな居酒屋の真上にあった。
カラオケの騒音の中寝るのは慣れっこだったけど、それ以上に
お店の終了間際なると…
ガチャーン!! ガチャガチャーン!!!
「てめーこのやろー!!」 やるがー

なんて
毎日のように喧嘩
お客さんが暴れるときもあれば、おばさんが喧嘩するときもあり
終いにじい様が大暴れのときと
ほんと毎日がそんな感じでした
小さい時は何となく喧嘩なりそうな雰囲気がわくわくしてた気がする
血が騒ぐ
祭りだし
でも中高くらいなるといい加減にしてくれって感じで
朝起きると冷蔵庫倒れてるわ、血がついてるわで
今日、なんでそんなこと思い出したかって言うと…
さっきテレビ見てたらとんねるずやってて、
で、昔『居酒屋 加代』にきてたトルコ嬢(今はソープ嬢
)
けっこううちのお客さんはいわくつきの人かそんなとこで働いているお客さんが多かった
そのトルコ嬢が「昨日とんね○ずのノリ○ケが来てたわよー
」って話してたの思い出した
もう25年位前のことだからホント売れはじめの時だったんだなー。
その時はノリ○ケっては言わずとんね○ずの大きい方じゃないほうが来てた的な言い方してた
。
kayoは18歳の高校卒業するまではこの居酒屋加代とともに暮らしていた。
今考えるといろんなことがあったー
ん、結構ネタの尽きない居酒屋時代
ノンフィクションでたまーに綴っていこっと
カテゴリー増やすのでよろしくです


じいさまが経営者でおばさん(父の姉)がママだった。
『おでん焼き鳥 加代』って看板かかげてて

繁華街とはいえ、はずれの方にあった。
普通の民家もある当時のちょっとした商店街っぽい所に『居酒屋 加代』はあったの

毎日毎日 わいわいがやがや


そんな感じでした。
カラオケもあったから・・・けっこう近所迷惑な家だったのだろう

そしてkayoの部屋はそんな居酒屋の真上にあった。
カラオケの騒音の中寝るのは慣れっこだったけど、それ以上に

お店の終了間際なると…
ガチャーン!! ガチャガチャーン!!!
「てめーこのやろー!!」 やるがー


なんて

毎日のように喧嘩

お客さんが暴れるときもあれば、おばさんが喧嘩するときもあり
終いにじい様が大暴れのときと

ほんと毎日がそんな感じでした

小さい時は何となく喧嘩なりそうな雰囲気がわくわくしてた気がする



でも中高くらいなるといい加減にしてくれって感じで
朝起きると冷蔵庫倒れてるわ、血がついてるわで

今日、なんでそんなこと思い出したかって言うと…
さっきテレビ見てたらとんねるずやってて、
で、昔『居酒屋 加代』にきてたトルコ嬢(今はソープ嬢


けっこううちのお客さんはいわくつきの人かそんなとこで働いているお客さんが多かった

そのトルコ嬢が「昨日とんね○ずのノリ○ケが来てたわよー


もう25年位前のことだからホント売れはじめの時だったんだなー。
その時はノリ○ケっては言わずとんね○ずの大きい方じゃないほうが来てた的な言い方してた

kayoは18歳の高校卒業するまではこの居酒屋加代とともに暮らしていた。
今考えるといろんなことがあったー
ん、結構ネタの尽きない居酒屋時代

ノンフィクションでたまーに綴っていこっと

カテゴリー増やすのでよろしくです


