愛しのロニー/My Dearest Ronnie

LONG LIVE RONNIE JAMES DIO。永遠にあなたを愛しています。

David Rock Feinstein インタビュー & Elfライブ映像

2011年02月01日 16時11分20秒 | Memory of Ronnie
ロニーの従兄弟で、Elfでも一緒だったギタリストのデイビッド・ロック・ファインスタインのインタビューがUltimate Guitarに掲載されています。ロニーのことを話している部分だけ抜粋しちゃいました。


UG:あなたのソロアルバム同様に、今回のRodsのCDでもロニーが歌っていますが、今となっては彼の最後の収録曲となったこの曲The Codeをどのようないきさつで歌うことになったのですか?

デイビッド:ロニーと俺はここ数年、また一緒に何かをやろうて話をしていたんだ。俺たちはElfの再結成の可能性についても話したし、俺のソロアルバムやThe Rodsのアルバム、DIO関連で曲を一緒にやるっていう話もしていたんだ。ただ一緒にやりたいっていうだけで、具体的にどうするかは決めてなかった。地理的に彼はロスに住んでいて、俺はニューヨークに住んでいたんで、実際に一緒にやるのはとても難しかった。それでお互い会うたびに、そんな話をしていたけど現実問題難しかったのさ。2年くらい前に、彼の母親が病気になて、それでロニーがこっちへ前より頻繁に帰ってくるようになった。彼が数日こっちにいる間に、何曲か歌いたいって話があった。俺は”Metal Will Never Die”という曲を作ったところで、それをロニーに歌ってもらおうと選んだんだ。完璧な選択だったよ。それから俺たちはもう一曲ロニーに歌ってもらう曲を、カールと俺がThe Rodsのアルバム用に作った曲の中から選んだんだ。”The Code”という曲だ。

UG:ロニーはどのようにして、レコーディング・スタジオでヴォーカルを収録したのですか?

デイビッド:ロニーはスタジオにやってきて、曲の2通りのデモ版を聴いて、レコーディング・ルームに入り、それぞれの曲でワールドクラスのパフォーマンスをしたってことだね。その時点ではどの曲がThe Rodsのレコードになって、どの曲がソロか他の形になるかっていうのは、分からなかった。俺たちは曲を収録して、この数年そのままになっていたんだ。それから去年はロニーが病気になって亡くなるという悲しい出来事が起こり、”Metal Will Never Die”は突然、俺にとって今までに書いた中で最も大切な曲になったわけなんだ。今ではこの曲は彼の伝説の一部だし彼への追悼でもある。そして”The Code”もロニーが歌っているという点で同じように大切な曲だ。

UG:どんな風にロニーのことを思い出しますか?

デイビッド:ロニーのことは偉大な人物として思い出すだろうね。ただの時代を通して最高のヴォーカリストの一人というだけじゃなくて。人として、彼は他の人々をものすごく思いやっていた。ファンのことを気遣って、彼と話をしたがる全員に時間を取って本当に彼らの言葉に耳を傾けていたんだ。彼はいつも出て行ってはサインをしたりしていたし、思いやりのある人物だった。

UG:もっとも印象深いロニーの思い出は何ですか?

デイビッド:思い出は無数にあるよ。ロニーは本当にユーモアのある人間で、俺たちはいつも一緒に大笑いしたよ。Elf時代の思い出が一つ浮かんだ。あれはショーの後、朝の3時くらいのことで、俺たちは腹が減っていたけどどこにも飯を食う場所がなかった。自分たちがどこにいるのかも知らなかった。それで飯を食う場所を見つけたいと思って、車に乗り込み食堂が見つかるまで走ったんだ。俺たちはみんな長髪で、レザーのジャケットとぴったりしたジーンズにハイヒール・ブーツを履いたんだけど、食堂は白人労働者であふれかえっていた!それで俺たちは食べ物を注文して、帰ろうとしたところで、誰かが俺たちに向かってフォークを投げたんだ。それでロニーが振り返って言った。「誰がこのフォークを投げたんだ?」ってね。これは彼がどんなタイプの人間かをよく表しているだろう?彼は自分の信念に基づいて何に対しても立ち上がる人間なんだ。彼は音楽を演奏することについては極端に細かいことまで気を配ったけど、こういうことも数多くあった。それがロニーの素晴らしいところだったし、彼がどんな人間なのか示していたよ。

UG:ロニーの従兄であることを除けば、あなたのプロとしてのロニーとの関係は1960年代初期のRonnie Dio and the ProphetsやElfに遡りますよね?

デイビッド:そうだね、Ronnie Dio and The Prophetsができたとき、ロニーは俺にバンドに入らないかと声をかけてきたんだ。当時そのバンドは基本的にはクラブバンドで、カバー曲をたくさんやっていた。俺はリズムギタープレイヤーとして加入したんだ。それから俺たちは自動車事故に巻き込まれて、ひどく傷ついてすべてが崩壊してしまった。だから再びバンドを結成したときには、The Electric Elvesと名乗って、それがやがてThe Elvesになり、ついにレコードを作る話になって、最初のレコーディングの契約を結び、名前をElfに変えた。その時に俺たちはElfのファースト・アルバムをレコーディングしたんだ。

UG:当時はロニーが成功すると思っていましたか?

デイビッド:ロニーはずば抜けた才能を持っていたよ。彼は何を歌ってもとても素晴らしかった。彼はTom Jonesみたいなコマーシャルなタイプのシンガーにもなれただろうし、どんなキャリアを選択することもできただろうね。ロニーの声はどんな選択をしたとしてもやっていけるそんな声だった。彼はハードロックやヘヴィメタルを選択したけど、どんな選択をしていたとしても、彼はそこで大成功を収めただろう。彼は自分を突き動かすだけの才能を持っていたからね。だけど早い時期にみんな、彼がどこへ行って何をしようと、その声の才能で彼が成功するだろうと分かっていたよ。

UG:ロニーがあなたにくれた一番のアドバイスはどんなことでしたか?

デイビッド:俺も人々に与えるようにしようとか、自分の信じることに忠実でいようとか、そんなことかな。それから自分のやることには正直でいて、ちゃんとやり抜くこと。なぜなら他の誰かになろうとしたり別の何かをしようとしても、それはうまくいかないからだ。だから自分の信じることをして、自分自身を信じて、そこから逸れないようにすること。それで他の誰かが自分のしていることを気に入ってくれたら、自分が正しいことをしてるんだって分かるしね。

Interview by Joe Matera
Ultimate-Guitar.Com © 2011

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偶然にも先日Mickey Leeが話してくれた思い出話と同じことが語られていますね。
「俺たち」って言ってるけど、食堂に行ったのはMickeyとロニーの二人だったはずじゃ・・・。
Elfの再結成、それも見てみたかったですね。

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そして1974年のElfのライブの映像upされていました。
映像が出たのは初めてではないでしょうか。驚きです。


Ronnie James Dio-Vocals, Mickey Lee Soule-Keyboards/Vocals, Gary Driscoll-Drums, Mark Nauseef-Drums, Craig Gruber-Bass Steve Edwards-Guitar
1."Sit Down Honey" 2. "Gambler Gambler" 3. "LA 59"

音が非常に悪くて、特にロニーの声はほとんど聴こえませんが、
この時代の動くロニーが見られただけで凄いことです。

いやあ、この時代にここに行くことができていたら!
間違いなく追っかけになっていたに違いない・・。
このロニーの髪型、今現在の私のパーマの伸びた頭にそっくり・・・

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