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南風北風―ぱいかじにすかじ―  by  松原敏夫

沖縄、島、シマ、海、ことば、声、感じ、思い、考え、幻、鳥。

沖縄の詩集―下地ヒロユキ『とくとさんちまて』(花View出版)についてのランダム・ノート① 

2014-05-10 | 書評

超現実的手法で書いた散文詩がある。「とくとさんちまて」「おっとせいの歌」「足の歌」「沼の思い出」。感覚的にも方法的にも超現実のひとであろう。視覚にはいるものから視えないものへ転開する方法がこの作者の特徴だ。そこから像を発見していく。外部は透過され像を生み出す媒介となり、その先に発見するものが出てくる。絵画は描くものだが、詩は語るものだ。語ることで外部と内部を照らしだし、言葉が意味と像をつくる。題名がなんだろうと思わせた。人の名前かと思ったが、どうやらそれは得度山寺のよみである。だがどこにもない寺だ。かれがみつけた寺だ。

「あるひとつのまなざしでありたいと願う。地霊、亡霊、気配、また稲妻や星々、風や粒子……それらとの無言の会話。それらとの繋がりなくして僕の生に1ミリの深さも奥行も生まれない。」(あとがき)

とすれば、それは詩の言葉をえらぶしかない。詩は内面から選ばれた言語宇宙となる。無言、沈黙=詩の言葉。さらにこの視えるものと視えざるものとの交感は、神秘的な、超越したものの経験であり、日常的な自己からの脱却である。まなざしは何をみているのか。やはり超えたもの、包み込んでいるもの、視えないものへの往還からでてくるものだ。像の出し方や存在だ。他のものではない、実に詩でしかない。伝えるために書かれることよりも内面にうごめく精神の、つねに本質への行動が、夢想の、自己をあらしめるもの、自然や自他に存在する者のいのち、その形の奥を感じ取ろうとする。

ギリシャ神話から取り出した固有の神、かれの知的認識が、目の前に像を結んで登場する。島的臭さがなく、風土の匂いがなく、個の自由な世界を中心にしている、といえよう。個の眼は地域をこえて世界化しているのだ。これが特徴のひとつ。宮古島とギリシャ神話(西洋)……。

「大宇宙という無限の折り紙。その折り紙をそっと拡げ同次元に並べて見る。そんな不可能を可能とするまなざしそのものになりたい。ただその可能性のために詩を書く。それを可能にするのは心であり、それを不可能にするのも心だ。だから僕は、もはや心を超えた純粋なまなざしそのものでありたいと願う。」(〃)

詩で果たそうとしていることは、実に根源的で遠大なものだと思う。日常も変容する、変形する。現実はずらされる。自然も海も超越される。そこが彼にとっての詩だ。生と存在のかけひきだ。詩は存在と結びついて、存在を把握しようと努める。生も存在も超越される。そこで視た不可視のものを発見する。彼の独自な世界、かれと結びつき、<私>を超えてあるもの、宇宙に佇む、そこが至福と純粋な世界となる。

ヒロユキは<島>という矮小さを超える。だから彼を<宮古島の詩人>と限定的に呼ぶことは正当ではない。

島とはなにか。既存のイメージが寄生する島をイメージの新しさに変成しなおすことが、島の詩人の使命だ。これらの作品が宮古島から生まれたと考えるのは誤解だ。まず風土に加担しない。それが、この詩集の価値だ。超自然の光景。そこに感受した世界は神話的感覚だ。

「常にはるかに言葉の先を行く/風と陽と海と その深さに/私は<私>の思考を造形させたい」(無限の歌)

単なる島の風景、自然を歌うのでない。ヒロユキは眼に視えぬものへ依拠する。散文詩は夢のような記述である。超現実主義的な手法である。であれば、みえぬものの不可思議な、とらえがたきもの、夢魔のごとく、起こることに、眼をむける。
ロートレアモン→アンリ・ミショー→クレジオ、折口、悪魔祓い、シャーマニア 

島に住む詩人たち。島の、ありきたりの風土、歴史、文化、現実を語るだけですますことが、詩人の役割ではない。詩の意味が、価値が、深さが、造形が、想像が、イメージが、闇が、表現されたものとしてとりだされなければならないのだ。光は多くのものを照らし出すが闇は多くのものをはき出すのだ。もっと広がりと深淵と多彩があるはずだ。発見がまだまだ足りない。新鮮さとは、既成を否定することでもあるのだ。固定と偏見はいけない。詩は常に日常、場所、現実、人間を超えようとする動的な芸術にあるのだ。 

島は国家、資本、権力に略奪され占有化され、そのイメージに組み込まれている。自由な空間。狭隘。囲繞の現実。共同幻想の沸点状態。イメージを奪還すること。神話的世界=庭の話、おっとせい、0.1秒のマリア、足の歌。超自然的存在への憧憬。異界、原始的感覚、未知、見つける者。時空間の遠方と遠大なイメージと結びつけている。その気の遠さに……根源的な遠方の、虚構の創出、幻覚的、神話的な夢想、神話的感覚、宇宙的なもの、遠方のものとの間で築き上げられた言葉たち、修辞と比喩が引き裂いていればもっと広がってくる詩句の問題、言葉と詩的言語の衝突。手垢のついた民俗祭祀はいらない。琉球孤、南島宮古島の闇の彼方。霊、異界、他界、内部の神、自身の神話、それという夢魔。心性は古代と結びつく、共通の、記憶。不用意なあるいは過剰な現代意識。その現代、都市意識に拠りすぎるが故にあまりいい作品をださない例を我々は知っている。逆はもっといけない。霊感と想像力と風土の身体精神=琉球孤の島々の詩の闇。常に何かを発見しようとするまなざし、呪われているタマス。(続)

                                                 詩誌アブ第11号(2011年11月)

書評 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-184268-storytopic-6.html

 


田中眞人著『島尾敏雄論 皆既日食の憂愁』(プラージュ社刊、平23・6)

2014-05-10 | 書評

 田中眞人著『島尾敏雄論 皆既日食の憂愁』―官能的解釈を導き出した論

  本書は出版に難渋していた著者に島尾伸三氏が「島尾敏雄の印税で出しましょう」と手をさしのべ、それを甘受して出版したもの、という。なんという深切の産物であろう。
 ヤポネシア論や夢小説への論考もあるが、「皆既日食の憂愁」の章は著者がもっとも思念を注いだ論考だ。取り上げているのは島尾文学の中核をなす「病院記」「死の棘」である。
 夫の愛人が発覚したことから、妻が精神を病み、日常的に夫の過去を審問する、幼い二人の子供がいる家庭は修羅場となる、いやがる妻を精神科の病院に入院させ夫も付き添って入院する。という島尾の凄絶な実生活を基にリアリズム手法で書かれた病妻物、とりわけ「死の棘」は、現代日本文学に屹立する作品だ。

 狂える妻への拝跪と恢復を祈った、これらの作品について、著者は作家の生活と悲惨の見方よりも、関係の起源、二人の戦時中の<出会い>から丁寧に読みとっている。そこにエロスの発生があった。特攻死と後追い自死を覚悟していた、その未遂の時を<昏い瞬間>とよび、二人の関係に沈潜する重要な心性とみる。島尾は戦後、シャドーバンドのような精神の危機にあった、いっぽう、妻ミホは<その時>で時間が止まったまま戦後を暮らしていた、というふうに解釈する。
 審問は「夫の過去をあばくことではなくかつてふたりのあいだに死を賭けた愛がいまでも存在しているかどうかという純粋さをどこまでもひっぱっていこうという問いである。」(倫理を破壊する聖性)とか「病院記」は「現代のオルフェである島尾が、冥界から妻を現実にとりもどしてきた、その不可能とも思われる現代の神話である。」(「病院記」そのバロック空間)という読み方に唸ってしまった。
 詩人でもある著者の方法はエロスの視点で展開することで批評という枠をこえている。詩的な感性を駆使して作品に底流する音の響きを聴き「ゾーエー」という言葉を導入して、作品世界の官能的解釈を導き出している。そして島尾とミホの内面の根源、精神と深層の結合を見事に浮上させている。これは他の「死の棘」論が及ばなかったところだ、といえよう。         
                                  (琉球新報書評欄2011/9/4  )

                                  詩誌アブ第11号(2011年11月)に再掲

 


沖縄の詩集―瑶いろは『マリアマリン』、花田英三『三拍子の行進曲』、仲嶺眞武詩集

2014-05-09 | 書評

瑶いろは詩集『マリアマリン』―歌と極地の愛と

ページに置かれた言葉のモノフォニー。これはほとんどを歌として読んだ。次に、この作者は印象詩人といいたい。なぜそう思ったか。琴線の指先に触れる風がものごとをとらえ、形かなにかにするときに絵画ではなく言葉として在らせるしかない音楽のような感性を感じたからである。この詩集は、ぼく(ら)の前に風のようにやってきて<人の内部に響くもの>を歌にしていた。歌っていた。あえていおう。この妙なすがすがしさはなんなのか、なかなか味わえないすがすがしさだ、と思った。瑶いろははなにかを抱きしめようとしている。いや抱きしめていたいのである。抱きしめていたいのに、滑り落ちていくものがあるのだ。砂のようにさらさらと。しかし、なにかを抱擁するようなやさしさと時に突き放そうとしながらその痛みに気づいて戻ってくる。これは人間への愛を信頼しようとする心的応答への、つまり人間を牽引するものへ希望が宿っているからである。「たった一度/本物の思いで/殺してくれたらいいのに」(此処) 愛が固有のものとして純化して極致にあるときにでるこの言葉に偽りはないだろう。ここまでくると心に響いている感(抒)情は詩でしか歌えないのだ。 

花田英三詞華集『三拍子の行進曲』―老いとは軽く生きること

花田の肩に力の入らない軽妙な言葉は前の詩集『坊主』で感心した。こんなに飄々としていいのか、と思った。だが後で想った。そうか、<老い>は生き急ぐものではない、と。この詞華集には山之口貘もどきの書き方もみるが、貘の諦念に徹したあとに出てくる言葉のようにはいかない。欲がでてはいけないのだ。それを花田も知っている。ときにかいぎゃく、ときにおしゃれ、ひょうひょうと、あそびの心、時流をかすめながら出る言葉に味がある。「未来記」は花田にしては珍しい長詩だ。おんなとのコトが出るが、でもこの詩、嫌味がない。普通の中老年の男だったらいやらしいところが花田の詩だから赦される。そこが花田の特典である。矢口哲男の手作り本というのも気に入った。 

仲嶺眞武詩集(新選沖縄現代詩文庫6)―生を持続するエロスと望郷

「また一つ、老いの年を重ね/遙かなる故郷の島を思い/次のような言葉が浮かびます/海は羊水 島は乳房」(四行詩集『風景』1新年に)望郷とは異郷での帰巣心を慰藉することだ。ぼくも海を「羊水」、島影を「横たわる女体」と比喩したことがあるが、島を「乳房」とは思いつかなかった。1920年生まれというから90歳。年譜をみて驚いた。なんと80歳から90歳までの十年間に7冊も詩集を出しているのだ。なんという多作、多産の老詩人。作品に「乳房」や「女の体臭」が何回か出てくる。この元気さは、老いてもエロスへの絶えざる関心が滋養になっているからか。詩とエロスは生を持続する原動か。老いがこんなふうに元気があると、ぼくら後進の者に絶大なる希望を与えます。ブラボー! 

                                                      詩誌アブ第8号(2010年10月) 

(残念ながら、仲嶺眞武さんは2013年に逝去されました。享年93歳。もっと長生きして僕らを驚かして欲しかった。小野十三郎の存命記録<93歳>を塗り替えて欲しかった。)

 


沖縄の詩集―新城兵一詩集『草たち、そして冥界』

2014-05-08 | 書評

新城兵一詩集『草たち、そして冥界』―死者と境涯を豊穣に生きる

 この詩集を会ってもらったとき座興で、西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」を一緒に歌ったのだった。互いにガラ声で。やはりいいね、この唄は。ぼくは今でもよくさっちゃんの唄う数々の歌をYoutubeで聞いている。ほんとに好きだなあ、西田佐知子の歌。鼻から抜けていく高音の声に感情をこめた哀感ある歌い方がとてもいい。新城は翌日からこころの病を持つ弟を看るために宮古島へいくといっていた。十五年前の『生命(ひびき)あり』で新城は日常のなかでまろびのような生のなかにいた。そして、こうだ。
   「観念(ゆめ)剥ぐれて/風韻ひょうびょう/生命(ひびき)あり」。
 ぼくはこういう表現が好きだ。志から離れたあとの、精神の立っている美というか、立(闘)っている現在からほころぶように出ている。いまこういうふうに歌える詩人はどれだけいるだろうか。<生命>ということば。この文字はどうみても「ひびき」とは読めない。しかし、あえて「ひびき」とルビをふって読ませようとした。これは修辞ではない。これは確信である。このころ五十代初頭。初老(?)の年端で家族という対幻想と絶対性の生業を営みながら、その境涯で自らを問いあるいはその関係にことばを与えるようにして持久した。それは革命青春の理念から陥った観念を突き破る絶対的な生の時間である。夢で転んだ者には、生きることは居心地が悪いものである。この詩句は、詩が、生命に響くものを掬い慰謝するように働くことを歌っていると、ぼくはみる。
 『生命(ひびき)あり』がおのれの打ち震えるものや近しき者との生のまろびあいの歌であったとすれば、『草たち、そして冥界』は、自らが関係した者の死へ架橋した歌だ。この詩編のⅡⅢ詩の発端は誰かの存在と死に依拠する。たとえば、父、母、いもうと、上原生男、いとこ、幸喜孤洋、叔母、中屋幸吉、そして青春期の女性……。生と死についての歌は恋の歌と同じようにポピュラリティのものだ。というのは、それは誰にもあることだからだ。だが、生も死も固有のものである。「何物も、生れ落ちると同時に、<ことほぎ>を浴びると共に<のろい>を負って来ないものはない」と折口信夫が書いていたが、それは歌のこと。では『草たち、そして冥界』はなにを歌っているか。これは固有の死に情と思念を届かした言葉が自ずから歌という形をとったものだ。個の日常が終わるのが死だ。その厳粛さが、魂の肉体にしみ、死のリアルが、ついに人の余韻に変わっていく。永遠に不在となる、その現実が死である。されば永訣の歌を、というところだが、新城兵一はさらに詠ずる。親の亡骸を自らの手で清め死装束にし火葬の骨にし、墓に納める行を終えた後、

   いよいよ お父さん
   おでかけですか
   ふたたび帰ってくることのない
   最後の たった一人の旅へ
               (出立)

   おかあの部屋はからっぽです
   すっかり灯が消えて寂さびとしています
   おかあは出かけてしまったのです
                  (日傘をさして)

、と。そうか、死とは、おでかけか。不在ではあるが留守であるということか。ぼくは不覚にも感涙しながら読んだ。ブラボー。また「異界論」で他界を、彼方を、カナタを、むこうを、はるかを、どこかを、異郷を、……抽象化して、それをみつめ、それにみつめられる、という関係の、みえざる郷愁の豊饒を連ねた。ここから新城にとって死者を生きることだ、といっている。これは「斯うして彼等は単純に、平和に暮して居るのである。」(池宮城積宝『奥間巡査』)といった沖縄民衆の他界観念にある<死して神となる>という発想とはちがう。
 新城はこの詩編をレクイエムといっている。死者を歌った詩篇に脈打つ新城の優しさ、愛が伝わってくる。もっと言おう。死者は歌となって残るものだ。おかあの歌「日傘をさして」。この母の死をとむらうときの眼差し。存在をあらしめた絶対的な死者に流れる鎮魂の情と思念の深さ。もはや外にはいない、母の内なる彼方に言葉を届けている。日本の男は<母>に向かうとき抒情的になる。それは母が自然として言葉を必要としない無意識の根源に存在するからだ。
 「なんと詫びようかおふくろに」と「唐獅子牡丹」で高倉健さんが歌った。そんな泥になくとも「吾亦紅」を聴いて、ぼくのような親不孝なものはじんときて涙腺が刺激されるのだ。なぜか?言葉をこえる何かがあるからだ。チャゲ&飛鳥が「言葉はこころを越えない……こころに勝てない」(Say Yes)と歌っていた。しみじみの感性は思わずほろりと出てくるものだ。都会の渦、東京に文学を据えている川本三郎が『同時代を生きる気分』で70年代の大衆化社会における個の拡散現象をシラケと対比して書いていたが、それからどうだ、いまの東京、日本よ。さらに個は無味乾燥な都市空間でばらけて、薄く薄く小さく小さくなりながらさまよっている。政治も経済も社会もよれよれだよ。だが、いまの都市の若い詩人は抒情詩を書きたがっているのだ。抒情詩は個を超える自然感情となりうると思っているからだ。ときにしみじみ、ときに負けずに軽快にいこうぜ。
 新城はキリスト教の洗礼を受けたという。考えてみれば「異界論」あたりのみえざるものへの強い観念はその布石ではなかったか。それは転機となるのであるか。かれは本をよく読む。かれの部屋の書架には文学、思想、哲学、宗教の本がずっしりと並んでいる。しかし読んでばかり、それきりではいけない。かれの生存と思考にかけて出てくる何かを書いてほしい、と思う。知の蓄積がもったいないのだ。

                                                      詩誌アブ第8号(2010年10月)