NEETな日常

<Not in Education,Employment or Training>

偽装と効率

2007-10-25 14:21:40 | 時事寸評
偽装。ここ数年、良く目にするようになった言葉です。

耐震偽装、食肉偽装(牛肉、豚肉、鶏肉)、不二家、白い恋人、赤福、領収書の付け替え、日付の書き換え、偽装請負、偽装メール、消えた年金、自衛隊の米軍艦船へん給油量偽装、社保庁のずさんというよりもあまりにも悪意に満ちた年金処理、厚生労働省や旧ミドリ十字が引き起こした薬害問題などもこれに含まれるかもしれません。

これまで表沙汰にならなかった問題が、ここに来て一気に噴出してきたということでしょうか。
今、明らかになっているもの以外にも、まだまだ出てきそうです。

いままで表沙汰にならなかったと言うことは、いままではあまり誰も問題にしていなかった、と言うことでしょうか。

食品産業での偽装は、原材料生産地の偽装から、使用原料そのものの偽装、日付の偽装などがありますが、これらのほとんどが慣習的に行われてきたもので、社内ではあまり問題視されていなかったという共通傾向があるようです。つまり、ベテラン社員が、その長年の経験によって「これくらいの偽装ならば大丈夫」という気持ちで行ってきたものです。熟練の技術者だからこそ、おこしてしまった偽装ということができるでしょう。
職人技の継承などが叫ばれていますが、どうやらそんなに簡単なことではないようです。

高松塚古墳の国宝壁画がカビで破損され、ついには十何億円もの税金を使って解体しなければならなくなったのも、文化庁や関係機関の「ベテラン」たちが、その長年の経験で「これくらいなら大丈夫」という気持ちでとった行動が引き起こしたミスです。

耐震偽装なども、その最たるものでしょう。長年、建築士としての仕事の携わってきた「ベテラン」が、鉄筋をこれぐらい抜いても、コンクリートをこれぐらい薄めても「大丈夫」と判断して引いた図面です。
これに類似することは実際の建築現場ではもっと頻繁に行われていることでしょう。現場監督、親方、ベテラン労働者の一存で材料の質や量が左右されることは、良くある話です。

なぜ、こういうことになるのか。
なぜ、「ベテラン」は偽装を行うのか、あるいは行わざるを得ないのか。

その一因には「効率」ばかりを追求する、日本社会の体質と制度があるでしょう。
国会答弁や裁判での姉葉建築士の言葉を全て鵜呑みにすることは出来ませんが、しかし、それも一面の真実を表しているでしょう。
仕事を受けるためには、競争に勝つためには、自分が生きていくためには、

偽装

社会に余裕がないから、
職人にじっくりと仕事をする時間的、物質的、精神的支持を与えないから、
ベテランは
偽装にばかり
うまくなる。

人を育てることを忘れては、「ベテラン」の質も変わってしまいます。
一人の人材を育てるのには、多くの無駄が必要です。
その無駄を許さない、許せない、許す余裕のない社会は、やがて、枯れて、しんでいくでしょう。