何年ぶりだろうか?
祖父の夢を見た・・・
私がこのあいだ
長男の合格祈願をしたからかなあ?
父方の祖父、
16年前の夏に亡くなった
90歳余りの大往生だった
9人兄弟の4番目、長男だった私の父
私たち家族は、祖父宅から車で40分ほどのところに住んでいたので
1番近くに住んでいる‘孫, だった私たち兄弟は、
会う機会も多く、とてもかわいがられた
寡黙で、淡々としたじいちゃん、
大家族を養い、
若い頃は結構な人数をまとめるような仕事をしていて、
引退してからは、
小さな村の議員や民生委員を務めた
私たちの記憶では
静かにばあちゃんと暮らす‘じいちゃん, でしかなかった
母方の祖父は、母が小さい頃に他界していたので、
私たちにとってのじいちゃんは、ひとり
晩年、
ふたりで暮らすのが難しくなり、
ばあちゃんとふたり、父と母の元で暮らすようになった
すでに、
私は社会人になり、奄美をでていたので
お盆・お正月に里帰りする時ぐらいしか会うこともなかった
父が病に倒れ、
入院・手術のために鹿児島市に来ることになった時、
ばあちゃんと共に、地元の老人ホームに入ることになった
そして翌年、
余命わずかと宣告された父を奄美に連れて帰った時、
私も2年ぶりぐらいに、祖父に会いに行った
前の年、
父の手術の前々日に祖母が急逝し、
長男である父は、知ってしまったら絶対に「帰る」と言いかねないし、
大学病院での手術は、この日を逃すといつになるかわからないし、
病状も決して楽観できないので、
地元の親族に祖母の葬儀を頼み、
父に付くために、私たち家族は見送ることはできなかった
じいちゃんは、祖母が亡くなったことも理解できなくなっていて、
喪主ではあったが、葬儀にも参列することもできなかった
久しぶりの対面の前に、
「もう寝たきりで、誰に会ってもわからないし、
会話もあまりできないから」と周囲の人には聞かされた
ベッドの上にいるじいちゃんは、
小さくなって、弱弱しく見えた・・・
「じいちゃん、あっこだよ
なかなか来れなくて、ごめんね」と声をかけると、
「あっこか?いつ鹿児島から来た?」
驚いた
一緒に行った叔母やホームの人もびっくり
誰が来ても、ほとんど反応しなかったらしいが、
この時ばかりはハッキリとそう言った
じいちゃんの口から出た言葉は、
私が島を出てから帰省したときにじいちゃんチに行くと、
いつも最初に出る言葉だった
あの時、
握り返したじいちゃんの手の感触は
今でも時々蘇ってくる
その年の4月に父が他界し、
8月にはじいちゃんも亡くなった
じいちゃんチに行くと、
帰り際に「またおいでよ」と言って、
いつも門からゆっくり手を振ってくれた
じいちゃん、
いつも困った時だけお願いして、ごめんね
これからも、見守っててね
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