みるんの独り言

日々感じる事

記憶

2019-08-30 08:03:17 | 日記

  今望んでいるものを手にして、何の得があろうか。

    それは夢、瞬間の出来事、泡のように消えてしまう束の間の喜びでしかない。


                                - シェイクスピア -


  人間の人生においてもっとも記憶に残る出来事とはなんなのだろう?

  幸せだった記憶、最愛なる人の記憶、ショッキングな出来事の記憶

  様々あるとは思うが、結局は人それぞれなのだろう


  私個人はだらだらと38年も生きていてそこまで記憶が残っていない

  大した事を成していないのだ。


  もう幼少期の記憶など99%は無くなっていて

  自分の中の一番古い記憶は、今のちょうど半分の年齢だった19歳に父が急死したときだろうか

  別に最愛の家族を亡くしたとかそういうものではない

  亡くなった人に触れたのはそれが初めてだったから 強烈に記憶に残っている

  
  そこからも飛び飛び記憶はなくなっている

  就職してせわしく働いていたり、初めて実家から転居して一人暮らし、彼女もできた

  そのあたりは朧気だった、今思えば本当に一瞬で物事が過ぎて行ったような感覚だと思う


  何も考えずにただただ生きていた

  そこからの記憶はほぼ無い。

  次に思い浮かぶのは、とある病院へ通院をしていた記憶、母が亡くなった記憶

  転職して環境ががらりと変わった記憶



  そして、普通二輪免許を取得した時の記憶だ。


  昔からバイクが好きだったけれど、免許取得が億劫だった為に50ccのバイクを

  色々乗り継いだ。それでもめっぽう楽しくて それでも次のステップに進みたい気持ちもあって


  今の会社に入った時にハッキリ環境が変わって、

  免許を取るきっかけにもなった。 

  初めてのバイクはカワサキのKMX200 2スト単気筒の良く走るバイクだった。

  バイクの話を始めると長くなるので話を戻そう


  記憶の話

  ここ最近、とはいっても4年前からのお話

  大型二輪免許を取得、今のバイクを購入してから

  気分が前向きになる時が多くなった。 そしてツーリングクラブというものに興味を持ち始めて

  あるクラブに入り、日々楽しくバイクライフを送っていたと思う。


  そこである人に出会った。 多分この出会いが無ければ

  今の僕のバイクは出来ていなかったかもしれないぐらいの

  衝撃的な出来事だった。

  色々はしょるけど 本当に色々あった。

  凄い濃い4年間だった気がする。 これこそ本当に「記憶」に残る出来事だったんだ


  今となっては思い出になりつつある その4年間なんだけど

  きっとこの先も なんとなく大切に心のどこかにしまっておくような そんな気がする

  
  
  この文をなぜ今書こうかと思ったのかというと

  きっと何も意味はないのだろうけれど

  自分が変わって行かなきゃなと、そんな気がしたから たった数日 日の目を見るだけのブログ

  いや、ただのログとして残しておきたいだけ




  これも立派な記憶なんだから できれば泡のように消えて行ってしまわないように

映画と現実がほんの少しリンクした話

2019-08-29 08:25:38 | 日記

  長い間 君に渡したくて 強く握り締めていたから
     もうグジャグジャになって 色は変わり果て お世辞にもきれいとは言えないけど
                             
                                     桜井和寿


  先日定期の休暇があってなんとなくレンタルした「ギフテッド」という洋画を見た。

  父と娘のハートウォーミングドラマであるけれど

  その娘はある特別な能力を持っていて、それが原因で日常が崩れてしまいそうになるっていう

  よくある話なんだけど

  実にこの子役の子が可愛くて セリフ回しやおちゃらけやらほんとに愛らしい

  こんな娘が居たら楽しいんだろうなって思わせるようなお話


  特別な能力ってのも現実的な話 数学の才能が秀でていてわずか7歳でも高校、大学レベル辺りの

  数式を解いてしまうくらいの子なんだけど

  それ以外は一般的な7歳なんだよね。

  親代わりである主人公と叔母である母が養育で対立し、裁判までやるんだけど

  本来はそれってどうしたいか子供が決める事なんじゃないのかな?

  7歳の子に決定するココロは無いのかもしれないけれど

  日常が楽しいと思っている子から その日常を取り上げていいって話じゃないし

  才能をただ伸ばしてあげたいって気持ちもわからなくはないし

  それでもハートウォーミングなお話なので最後は観ながら泣いてしまいましたけどね


  
  それで先日の夜に観た映画を感慨に耽りながら あるSNSの話題に#ギフテッド とハッシュタグがあったので

  覗いてみると、「クロ現」でギフテッド特集やってたみたいでした。

  クローズアップ現代 ですね あんまり見ないんですけど名前は知ってる

  テレビでやってた特集的には 日本人のおよそ250万人はギフテッドであるとの統計が出ていて

  その人達に対してなのか 「生きづらいと感じるか」の調査で9割の人が生きづらいと言っているよう


  子供が特別な能力を持っているとわかったとしたら、親はやはりそこを伸ばしてあげたいと思うんだろうし

  その子供が本当に好きな事であればやりたいだろうから・・・と思ったけど

  その「特別だけ」をクローズアップして 日常や子供らしさをないがしろにしてしまったとしたら

  子供としては「楽しくない、特別な能力」としていい思い出に残らないし

  ある能力は生かされないまま「生きづらい人生」とやらを送るんでしょう


  ただ、そのギフテッドを本当に生かして生涯何かの役に立てるような人間になれるのなんて

  現代ではほんの数パーセントでしかないだろうし

  ギフテッドのみんながみんな「生きづらい人生」を変えられるかもわからない

  結局はその子供がどんな生き方をするか? 親がどんな育て方をするか?

  環境にもよるし、そもそも人生論では議論にならない


  でもその特別をちゃんと特別視してクローズアップして行くことによって

  助かる人だっているんだと思うから あって悪いことでは無いと思う


  
  そのギフトをどう使うかは 結局は本人次第だ



  その強く握りしめた くしゃくしゃになった想いは どこへ行くのだろう?

夏が終わった

2019-08-27 08:13:45 | 日記

  街灯の明かりが また一つ点いて 帰りを急ぐよ

       途切れた夢の続きを とり戻したくなって

                     志村正彦



  今朝のニュースで台風で延期になった花火が昨日行われたとの報道があった。

  今年は花火をどこかでみたんだっけな・・・と思い出すと

  あーバイクに乗りながらゆっくり走って観たんだったと感慨に更けてしまった


  そもそも花火を観に行くと言う習慣は無くて

  花火大会等行う日は大体仕事の日だから、いつもぐったりして家でビールでも飲んでいることが多い


  誰かと行く行かないなんて話すら もうここ何年も無いし

  少し年を取りすぎたかななんて 柄にもなく時代の流れなんか考えちゃったりして

  そんな夏の夜を過ごすことが普通になりうる昨今


  ほんの少し駐車場まで用事があって自宅のマンションを出た時に感じたあの

  ぬるい気温やら真夜中まで鳴り続ける蝉の音だとかを感じたんだけど

  ふと耳を澄ましてみると、鈴虫の音色は混じっていて

  人って集中するとその音しか聞こえなくなる瞬間ってのがあったりして

 

  夜の闇にただただ鈴虫の音色が一種の清涼剤かのように聞こえた


  
  ああ、もうすぐ秋が来るんだなって 毎年秋は来るのに

  少し待ち遠しくなってしまった


  そして今日の天気予報から来週までずっと雨が降る予報らしく

  秋雨前線が来たようで、終われば残暑と共に秋の気配が色濃く表れるんだろう


  そうしたらまたバイクに乗るのが待ち遠しくて 家路に帰りたくなるんだ

  途切れた夢の続きを とり戻したくなってね
  

諦めるということ

2019-08-26 08:13:36 | 日記


  最も重要な決定とは、何をするかではなく、何をしないかを決めることだ。

                              スティーブ・ジョブズ


  現在、特段これといって大きな目標はない

  人間をただ無難に生きているだけである


  やりたいことはあるけれど、目標として掲げるほどのものでもないし

  少し頑張れば達成できる出来事を目標とすると

  達成した後にまた悩む事になるので大きな目標はあまりたてることがない


  でも、そうだな・・・目標があるとしたら 「好きに生きる」 ぐらい


  何か自分の望みがあったとして、それをあきらめるタイミングというのはどんなときなのだろう?


  ふと思い立った感情だった。


  世界平和などの大きすぎる目標や不老不死等のほぼ成しえないであろう目標は除いて

  障害となるもの、もしくは壁が大きすぎる時や

  人の感情が関わる場面、相手が振り向いてくれない等 挫折という言葉で表されるときに

  人は「諦める」という選択肢が出てくるわけだ


  ひたすら前向きな一般論者達は 「諦めなければ いつか夢は叶う」だなんてよく言っているけれど

  それはただの精神論であって そんな事がまかり通ってしまえば 夢が叶っている人ばかりになるのではないかと


  そんなことは誰でも成人になったらわかっているし

  今更言われたところで何かが変わるわけではない



  自分が何かを諦めた時 というのは

  小さな目標まがいの物に対して 現実的ではない答えを出そうとしている時に

  だいたい諦めてしまう。

  「その夢を諦めてしまう前に 君は何か行動したかい?」

  そんな言葉も確かによく言われる

  もちろん目標に対して何らかのアクションは起こすはずだし

  いろいろなアドバイスを貰ったりもするし

  チャレンジしてみたりもするが

  やはり個人では無理な話。諦めてしまう事になってしまう


  諦める事に対して寛容になりすぎている。

  だから慣れてしまって、ちゃんとした目標が立たないし 前に進めない

  

  ふと思い出した時に決める目標なんてろくなもんじゃないんだから

  もっとしっかり「諦める事」に対して考えてみようと思った

  今までやりたいことをたくさんやってきた。

  未達成なものもたくさんあった。


  だからとりあえず今保留になっている事は中途半端でも「諦めてしまおう」

  そうすることにした。



  現実的に前を向いて また心が休まったら 新たな目標を立てよう そんな微妙な感情

  全てが うまくいく 世界 だったらいいのにな

思う事

2019-08-23 08:19:41 | 日記


  So what's the matter with you? Sing me something new
     
      (それで、君の問題って何なの? それより何か新しい曲でも歌ってよ)
 
                              oasis


  思い込みが激しいと人生は苦労の連続だ

  個人的には一種の病気だと思っている。


  物事を極端に考えすぎて、たいした問題でもない事が自分の中で大ごとになってしまう

  だから真剣に悩んで考えて答えを出して その答えが相手の望むものではないと

  勝手に失望して、落ち込んでしまう


  まだ僕はそこまで行っていない状態ではあるけれど

  きっといつかそうなるのかもしれない

  だから他人に期待をするのを辞めた。


  期待をしないってことは信頼しないって事ではないし 人を愛せないわけでもない

  ただやれることは自分でやる。他人にお願いはするけれどそれに対しての期待はしない

  お願いした事柄が自分の思い通りではない結果を生んだとしても失望しない

  ちゃんと受け止める。 影でこっそり修正する


  誰かに頼ることが無いなんて事も無いけれど

  できるだけ誰かに頼りたくない でも誰かに頼られたい気持ちはある


  ただの自尊心なんだろう 誰かの上に立っていたいんだろう マウントを取り続けたいだけだろう


  まぁ・・・性格の悪いやつに分類されがち笑


  困った時に相談はする。 別に意固地になって自分だけで解決しようだなんて全くもって考えてはいないし

  それで欲しい答えが出るとも思っていない

  ただ話を聞いてほしいだけ

  これは本当に僕が人間なんだと気づかされる事であって

  やっぱり誰かに頼らないで生きていくなんて無理じゃないかと

  痛感される出来事でもある。



  僕はいちいち顔にその時の感情が出やすい

  正直者だから馬鹿を見るんだけど、昔からなので直しようがない

  嫌な時は嫌な顔をし、嬉しい時は素直に喜んだ顔をする。


  こんなにわかりやすい人間はほかでも観たことないんじゃないか? 

  自分がそうだから他人もそうなんじゃないかと思っていた時期もあったけれど

  僕のは表情が下手だから 人の嘘も見抜けないし それを正直に見てしまう。

  それで調子に乗って 失敗して 迷惑かけて 挫けて 凹んで 反省して

  その結果が前述した 「期待しない」 という結論に出た


  だから 「ありがた迷惑」にも気づけない

  好きでしてあげていることに対して 「ただの押し付け」になっていたりする

  でも困っている人は見捨てられないし 何かしてあげたい

  

  きっと今後は 一歩引く 立ち位置をもっと考えなけばならないのかもしれないな


  距離感って大事 友達でも 恋人でも 他人でも 家族でもね

  言ってしまえば、今は家族が一番距離が遠いんだろうかとおもうけど笑



  ただただこんな僕と付き合ってくれる人が素晴らしいと思う 今日この頃の戯言


  Stand by me, nobody knows the way it's gonna be

      (僕のそばにいて。他の誰もどうなるかなんて分からないさ)


  ただそこに君が居てくれるだけでいいのさ   なんてね

浮き沈みのある日常

2019-08-22 08:46:09 | 日記

  I think, er No, I mean, er Yes but it's all wrong.
    (Noを使っていながら Yesを言いたいこともあって でもこれって間違っていると思うんだ)

                                    ジョン・レノン


  人の本音というものには なかなか出会えるものではなくて

  何年も連れ添った親友や家族からも、実際の処 心の内をさらけ出すなんてことは稀な気がする



  ましてや気持ちを寄せている相手に対してなど、簡単に聞けるものではないし

  普段の会話の中の一つ一つから感じる事しかできないものなのだと思う


  男なんだからハッキリ聞いてしまえと そう思う人もいるんだろうけど


  
  自分の中での曖昧な感情がそれを拒んでいる



  ただそこに居てたまに見てほしいってだけという我儘な理由で

  誰かの時間を引き留めてしまうという現実に、一人で勝手に思い悩んでいる


  そんな憂鬱な一日


  
  Noでも大体はYesなんだ きっとそこに感情があるから


  
  臆病な性格ではあるからか、脳内では大体ネガティブな不安なダメな想像で一杯である

  だけど現実にはそうそう悪い事なんて起こりえないから

  僕の中である仮説ができた


  僕が考える悪い出来事は起こらないし 僕が望んでいる出来事も起こらない

        想像することは自由だけど それは現実にはならない ある一定の事柄を覗いて


  あり得る身近で可能である想像については、偶然でも起こりうるし

  あまりにも突飛な想像に関してはほぼ起こりえない


  まぁ普通か笑



  だから考えすぎないようにして生きて よく失敗している ほんとに

僕は

2019-08-20 09:05:53 | 日記

  ねぇ 僕は人間じゃないんです 本当にごめんなさい

     そっくりにできてるもんで よく間違われるのです

                          野田洋次郎




  人間ってなんだろうね 僕は未だに人間というそれにはなれてないような気がする


  人間は生まれてきてすぐに人間なんだろうか 意識を持ち始めて人間なんだろうか

  学ぶことを始めて人間なんだろうか 自分自身を認めて初めて人間なんだろうか


  人間というものを深く考えた時に、ごく一般的なありふれた事ができて

  なんとか生きていける生物なんだろうとは思うけれど


  未だに自分が人間というものの分類に生きているかは疑問である


  生きているだけの 人間なら 当てはまる


  ただ日々を死ぬことなく無難に消化して

  変化を恐れ、ルーティンを大切にし

  やらなければならない事だけをしている僕は それでも人間と呼べるのだろうか

  それは ただ 生きている もの であると


  だから感情があったりもするのだけれど、年々その感情でさえも

  日々の生活の慣れからか 一定以上を超える事は無く それ以下になることもない


  小さな幸せを見つける事はできるけれど 大きな幸せに対しては緩慢というか意識が向かない

  自分は不幸だなどと思わないし ましてや楽しむ事だってできると思っている

  
  でも本当の意味で人間らしいって違うんじゃないかと今は思う


  もっと外的に気を向けて 共に楽しんだり 悩んだり 悲しんだり 苦しんだり

  そんなものが必要? なのかは不明


  僕の創造の範疇を超えてくる物事がそこにはあるのだ


  このままではいけないとは考えていないけれど

  将来を見据えて考えると もうすこし人間というものについて

  いろいろ体験、体感する必要がありそうだ。


  表向きにはポジティブに発言をしているが 裏向きには完全ネガティブな

  人間のような生物の戯言

飽きるほど飽きない日々

2019-08-19 13:21:23 | 日記


  弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。

                                ガンジー 

  人として強くありたいと常々思う日々ですが

  何に対して強くなければいけないのかは自分でもよくわかっていないわけで


  例えば何かに対しての気持ち

  僕で言う 自分のバイクにとっての強さというか情熱はいつでも強い

  走ることにしても、メンテナンスするにしても


  その情熱の強さというのは感情の上げ下げによってかなり変わってしまうし

  情熱が一時冷めてしまう時もある

 
  だからその場合は あまり強くない 強くあり得ない という表現になるのだろうか?


  そもそも強さ とは 自信 であり

  何かに対する信頼だとか あまり揺るがないものにたいして思う感情だと思う


  自分自身に今更問うたとして、何か強いと思える部分はあったのだろうか

  いまだに謎である。



  さて話は変わるけれど

  何とは言わないが毎年ほぼ恒例で起こる事象がある。

  それも僕とある特定の人に対して

  それは僕が気づかないと起こらない 相手が返事をしないと起こらない。

  毎年なにかと呼ばれて その期間だけちょっとした友達をする

  それ以外の期間はというと

  そんなに関わり合いになったりしない。

  それでも4年連続で起こる事象というのは なんだか不気味めいたものを感じたりするし

  流石に4年目ともなると 変な信頼感があったりもする

  だからと言って嬉しいものではないし、とっても悲しく思う物でもない

  それが最近起こって そして僕的に 「今年分はこれで終わりかな」 って

  毎年思うんだ 次は無い 次は無い ってね


  無いと不安になるわけではないけれど ほんの少し寂しさを感じたりもする

  だから心を強く持とう・・・きっと 何もない年が来て、連絡がない事にホッとするんだろうって

  

  必要とされなくなった時が ある意味縁の切れ目なんだろうかね どうだろう笑

ある日の日記

2019-08-08 13:44:20 | 日記

  『あれこれ忙しくしているうちに過ぎていくもの。 それが人生なんだ。』

                                     ジョン・レノン

  忙しいとはどういう状況を言うのだろうか?


  毎日仕事して、休日は週に一回のみ

  これを平均的な日本人が見ればきっと 忙しい人 だと感じるのだと思う。


  それでも見方を変えてみると

  毎日8時-17時仕事して、休日は週に一度必ず休む事ができる

  であれば、安定的な仕事だとも思えてくる。


  
  それにプラスして残業なんてものを加えると

  確かに忙しいと感じてしまう


  忙しい=プライベートな時間の多さ

  それが、平均的な価値観であると思う


  週休一日でも週休二日でも 余暇時間がしっかりあれば、それはきっと

  忙しいという定義に当てはまらないのだろう


  
  私自身、ここ10年は週休一日+夏季及び冬期休暇で生きているけれど

  他人からは忙しい人だと思われていても 自分自身はそんなに忙しくないんだよって思う

  
  前提として年休と労働基準法は忘れて頂きたい。 そんなもの誰かを守っている法律だとは思えない


  話を戻そう。
 
  結局は余暇=プライベートな時間=好きな事が出来る時間=心の余裕 となるわけであって

  いくら満足できる時間としての余暇があっても 好きな事が出来るほどの時間が無ければ

  その人にとっての心の余裕は生まれない

  特に余裕という言葉からして、好きな事をするには 少しばかりの浮いたお金が必要にもなるし

  現代の日本人の平均年収からすると、満足に貰っている人というのは少ないようにも感じる


  自分でなんとかやりくりをしながら余暇に使える余裕を蓄えて生きていく

  なんとも窮屈な話だと思った



  何が言いたいかというと、 「給料を上げて」って会社に言いたい

  それだけ笑