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音曲日誌「一日一曲」#430 メリー・ホプキン「Que Sera, Sera(Whatrever Will Be Will Be」(Apple)

2024-06-09 07:51:00 | Weblog
2024年6月9日(日)

#430 メリー・ホプキン「Que Sera, Sera(Whatrever Will Be Will Be」(Apple)




メリー・ホプキン、1970年リリースのヒット・シングル曲。ジェイ・リビングストン、レイ・エヴァンスの作品。ポール・マッカートニーによるプロデュース。

英国の女性シンガー、メリー・ホプキンは1950年5月、ウェールズのウェストグラモーガン州ポントアルダウエ生まれ。

子供の頃より毎週歌のレッスンを受け、アコースティック・ギターも弾いて、10代はザ・セルビー・セット&メリーというフォーク・グループで活動していた。

当時、地元の小レーベル、カンブリアンからウェールズ語の歌のレコードをリリースしている。

タレント登竜門のテレビ番組「オポチュニティ・ノックス」に出演して、弾き語りでバーズの「Turn, Turn, Turn」を歌ったところ、当時人気のモデル、ツィッギーの目に止まり、彼女が親しいビートルズのポール・マッカートニーに推薦したことから、ホプキンのシンデレラ・ストーリーは始まった。

ホプキンはビートルズが68年に創設したばかりのアップルレーベルの、第一号アーティストとしてデビューすることになる。

デビュー曲はマッカートニーがプロデュースした「Those Were The Days(邦題・悲しき天使)」。ロシアのボリス・フォミンの曲に米国のジーン・ラスキンが英語詞を付けて作られたこの曲は、68年8月にシングルリリースされるや、瞬く間にヒット。

全英とカナダで1位、全米でも2位(1位はビートルズの「Hey Jude」)。フランス、ドイツをはじめとするヨーロッパ各国でも1位か2位、そして日本でもオリコン1位の栄誉に輝いたのである。

このヒットはもちろん、哀愁に満ちたメロディを持つ楽曲自体の良さもあるが、マッカートニーが自らプロデュースを手がけたという話題性、そしてルックスもチャーミングな18歳の女性ホプキンが歌ったこと、そして彼女の歌声が多くのリスナーに好まれるような声質であったこと、そういった全てが作用してのことであった。

シンガーとしてこの上なく快調なスタートを切ったホプキンは、69年2月にマッカートニーのプロデュースによるファースト・アルバム「Post Card」をリリース、これも全英3位、全米28位のヒットとなる。

69年3月にはシングル「Goodbye」をリリース。これもプロデュースはマッカートニーで、曲も彼が書いている(クレジット上はレノン=マッカートニー)。この曲は全英2位、全米でも13位というヒットになった。

これで彼女の人気も十分定着して安心だと考えたのか、その後マッカートニーはホプキンのプロデュースから離れて、ミッキー・モストら他の専業プロデューサーに任せるようになる。

ホプキンは曲調的には、過去のスタンダードのリメイク的なもの、フォーク・ソング系がメインで、当時のヒット・ポップス的な路線ではなかったこともあり、以降のシングルは、最初や二番目のような派手なヒットにはなかなかならなかった。

その中で、70年1月のヒットシングル「Temma Harbour(邦題・夢みる港)」に続いてわりと健闘したと言えるのが、本日取り上げた一曲「Que Sera, Sera」だ。デビュー2年後の70年半ばにリリースされた本曲はもちろん、米国の女性シンガー、ドリス・デイのヒットで知られるあの曲である。

「Que Sera, Sera」のオリジナル・バージョンは、56年のアルフレッド・ヒッチコック監督の映画「知りすぎていた男」に、ジェイムス・スチュアートとともに主演したドリス・デイによって歌われた主題歌であった。

映画の公開に合わせて56年5月にシングルがリリースされ、全米2位、全英1位の特大ヒットとなった。

以降、ドリス・デイといえばこの曲と言われるくらい、彼女の代表曲となったのである。また、日本でもペギー葉山、雪村いづみがカバーで競作、ともにヒットしている。

そのスタンダードナンバーを取り上げたのは、実はマッカートニーであった。つまり、69年初頭時点でこの曲はすでにレコーディングされていたが、デビュー・アルバムに収録されなかったため、70年のシングルリリースによって、ようやく日の目を見たのである。

その事実を知ってレコードをよく聴き込むと、確かに当時のビートルズ、というかマッカートニーのサウンドだよなぁ、これは。

オリジナルより少しテンポをアップ、軽快なアレンジとなったホプキンバージョンは、いかにも60年代末のポップス っぽい。

英国ではリリースされなかったが、全米77位、新たに出来た同アダルトコンテンポラリーチャートでは11位となった。全豪で30位、ニュージーランドで10位、日本では18位。

小ヒットといったところだが、筆者的には中学に入りTBSトップ40あたりのヒットチャート番組を熱心に聴いていた頃によく流れてきた曲なので、いまだに耳に残っている。

ホプキンのアタックの少ない、ソフトで暖かみのある歌声には、オリジナルのドリス・デイの歯切れのいい声とはまた違った魅力がある。言ってみれば、究極の癒やしボイスだな。

彼女の柔らかな声で「ケセラセラ」という呪文のような言葉が発せられると、「うんうん、そうだよな。この人生、なるようにしかならないよなー」といたく納得してしまうのである。

その後ホプキンは、ヒットメイカーとしての道よりも、個人的な幸せの方を優先していく。具体的にいうと、セカンド・アルバム「Earth Song / Ocean Song」をプロデュースしたトニー・ヴィスコンティと恋に落ち、そのまま71年に結婚するのである。

流行歌手としてのキャリアは、そこで終わってしまったが、彼女にとっては、それがまさに「ケセラセラ」だったのではないだろうか。

ウルトラ・ラッキーな成功を掴んでも、それにしがみつくことなく、その時その時の自分の気持ちに従って生きていく。

そんな自然体な彼女だからこそ、ほんの数年の活動でも残した作品群は実に魅力的である。

ドリス・デイの音楽史に残る名唱ももちろん忘れることは出来ないが、このメリー・ホプキンのカバーも捨てがたいスタンダードだと思うよ。






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