町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

変わりゆく相鉄線(2)・8000系の未来は?

2019年05月31日 | 相模鉄道

1980年代も末期になると、それまで主力だった6000系の老朽化に伴い置き換えを進めることになりましたが、長年に渡り路線の規模から準大手私鉄だった相鉄が正式に大手私鉄認定された1990年に8000系は登場しました。増備途中の1993年からは、車体デザインを変えた兄弟系列である9000系と並行して1999年まで10両編成13本が増備され、平成時代の相鉄を象徴する車両となりました。その後は車体塗装の変更や室内更新を経て今日に至るまで安定した活躍を見せていましたが、今年の相鉄新横浜線開通に伴う20000系・12000系増備やホームドア新設計画もあり、初期編成の一部に暗雲が立ち込めて来ました。

新塗装・行先表示フルカラーLED化を受けながら、登場以来のGTOサイリスタによるVVVFインバータ制御装置と原型に近い車内設備を維持するトップナンバー編成。現在はVVVF制御装置の更新が進んでおり、9000系は全編成完了した一方で8000系は半分程度とペースが非常に緩く、ネイビーブルー化された編成も未だ登場していません。

今年機器更新を受けながらも、登場以来の原型ドアと三色LEDによる行先表示を維持する最終増備車8713F。この編成は相模大塚駅構内で脱線し下回りを破損してそのまま廃車になってしまった3000系の代替で新造されました。経年が浅いこの編成は間違いなくネイビーブルー化の対象ですね。

オレンジ系の座席に手摺りで構成された袖仕切りは登場以来のもので、かつては8000系・9000系共に全てこの内装でした。現在は11000系と同様の座席モケットへの交換・袖仕切り大型化、戸袋へ手を引き込まれる事故を防止する為東京メトロ車に類似した窓と扉本体が平面のステンレス製ドアへの交換など、段階的にではありますが各種更新が進められ、このタイプの内装は減少して来ました。車内案内表示はLEDによる三段表示式のものを妻面窓上部に設置していましたが、後期車(8710F〜8713F)からはチャイム付きの一般的な1段表示のタイプがドア上部に設置され、それに倣い妻面側の表示器を撤去の上後年に設置されました。

相鉄線名物とも言える4ドアセミクロスシート車。新7000系の最終増備車7755Fで試験採用されたものですが、好評につき8000系と9000系でも引き続き採用され、5号車と8号車に連結されています。当時は非常に珍しい4ドアセミクロスシート車両でしたが、この座席配置は首都圏近郊路線の4ドア車化を検討していたJR東日本も参考にしており、E217系やE231系近郊型で実現しました。

8000系の廃車と言えば、20043月の湘南台駅構内で保線車と衝突してしまい、10両以外での使用を考慮していない構造が災いして僅か10年余りの短い生涯に幕を下ろした8707Fのことが浮かびますが、来年で8000系も登場から30年目を迎えることもあり、いよいよ置き換えも視野に入って来るようになりました。

しかしながら、直角カルダン駆動・ディスクブレーキ付き台車、油圧式自動窓にセミクロスシート車両の連結など、一時期の相鉄らしさを残す8000系には末長く活躍して欲しいと思うマニアは少なくないのではないでしょうか。ニュースリリースでは8000系も順次YNB化する旨が伝えられてはいますが、YNB化からは除外され置き換えが控えている新7000系と共に注視して行きたいところです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変わりゆく相鉄線(1)・置き換え間近の新7000系・抵抗制御車

2019年05月29日 | 相模鉄道

横浜を起点に、神奈川県中部を走行し海老名を結ぶ本線と、二俣川から分岐して湘南台に至るいずみ野線を展開する相模鉄道(相鉄線)は大手私鉄ながら2路線共に他社との相互直通運転を行っていない首都圏では数少ない事業者の一つでした。しかし2004年より、本線西谷駅から横浜羽沢地区を経由し、東急東横線・目黒線の日吉駅と現在横須賀線と湘南新宿ラインの列車が走行している東海道本線の支線・品鶴線に合流し東京都心へ向かう神奈川東部方面線の建設計画が進み、本年1130日に第一期の区間が相鉄新横浜線として開通、同時にJR東日本の埼京線・川越線と相互直通運転を開始することになりました。これにより、開通以来神奈川県のみで完結していた相鉄線の列車が東京都心部は勿論、当初は計画に無かった埼玉県にまで進出することになり、大きな歴史の変わり目が迫っています。

直通運転を控えて、相鉄は東急直通用に20000系を、JR東日本直通用に12000系を増備することになりましたが、一方で長らく相鉄の主力車両として運用されて来た7000系が引退することになり、正面デザインを大幅に変更して新7000系と区別される12次車グループについても順次置き換えられることになりました。

旧来の7000系と同じ走行機器で登場した抵抗制御の新7000系。このグループは2編成が在籍し元は6両+4両の10両編成でしたが、横浜寄りの6両から電動車ユニット2両が外され8両編成化されました。横浜寄り4両はシングルアームパンタで、海老名寄り4両は従来の菱形パンタと、どことなく鉄道模型的な印象を抱かせます。かつての相鉄では直角カルダン駆動・抵抗制御・ディスクブレーキ台車に乗客のボタン操作で開閉する油圧式自動窓を装備するのが一時期の主流でしたが、昭和の相鉄の流れを汲む最後のグループになりました。

いずみ野線内を走行する7715F+7716F。この編成から早速マイナーチェンジが実施され、車内の補助送風装置として設置されていた扇風機を廃止し、ラインデリアの天井に改められています。

新7000系車内。基本的には旧来の7000系を踏襲しますが、座席袖部の上部にも手摺りが設置されています。写真はモハ7155で、VVVF車のグループにもこの設備が引き継がれました。

ドア上にはこれまた相鉄初となる車内案内表示器を設置しました。LEDではなく、営団地下鉄などで見られた路線図式で、停車する駅がランプで点灯するタイプですが、当時は非常に画期的な設備でした。2014年の特急運転開始に伴い、新品に交換しています。後年には東海道新幹線のN700系と同じ音色のドアチャイムも設置(左のスピーカーに注目)され、開閉時に鳴動します。

 

2007年には相鉄グループカラーの制定で塗装変更も受け、未だ経年の浅い印象がある新7000系グループも今年で33年目を迎えてしまいました。機構が非常に独特なこれらの車両も、技術面では厄介な存在になりつつあり、置き換えは止むなしですが、独自色が濃い車両がまた見納めになって行くのは寂しいものがありますね。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田急ファミリー鉄道展2019開催・最後のSE車展示

2019年05月26日 | 小田急電鉄

毎年海老名検車区で開催される小田急ファミリー鉄道展が今月2526日の二日間に渡り開催されました。1997年度の会社創立70周年記念行事以降、1999年度より毎年10月に開催されていましたが今年は2021年に開館予定のロマンスカーミュージアムへの収蔵に向けての準備が控えている為か、5月に早まったようです。恐らく太陽の下で現役登時のままの5両編成を組むSE3000形を見ることが出来るのは最後の機会になるので、晴れ姿を目に焼き付けるべく参加して来ました。

70000GSEと並んで展示されるSE30003221F5両編成。午前中は新宿側が正面・側面共に順光になるので、人が集まり過ぎて撮影するのも一苦労でした・・・。新宿側2両は引退後に登場時の姿に復元されたものですが、現代の目で見ても滑らかで優美なデザインで、運行開始後はSE車による箱根湯本行きの列車の特急券が連日満席になる盛況ぶりであったことが伝えられており、電車と言えば切妻の箱型が基本だった当時は相当な驚きを以って迎えられたのでしょうね。

航空機を彷彿とさせる起伏の少ない流線型が特徴の正面スタイル。車体塗装もオレンジバーミリオンの面積が大きいですね。

国鉄御殿場線の電化に伴い、初代のキハ5000形に替わり直通列車に充当されることが決定したため、8両から5両に編成を短縮して各種改造工事を受けた後の姿。5両+5両での運用にも対応すべく正面への連結器と愛称板を設置し、NSE3100形と同じ塗装に改められ厳ついスタイルに変化した正面ですが、多くの方に一番馴染み深いのはこちら側ですね。それにしても、現代のロマンスカーと比べると何とも愛嬌のある顔つきに感じます・・・。

特に告知はされていませんでしたが、奥に留められ展示されていたレーティッシュカラーの10001060F。行先は定期運用がない急行新宿行きですが、下り側からしか撮影出来ないので他の行先も出して欲しかった・・・!いや、江ノ島線の藤沢以遠で運用してるんだと思えばいいかも知れません。


さて、一部保存車解体のアナウンス通り、2200形のデハ2202号車が解体され、いよいよ次はこのSE車の中間車が解体されることになってしまったわけですが、新幹線開発にも寄与した歴史的名車までも解体されることになるとは、無念という他ありません。また、保存継続になった2200形の片割れデハ2201号車、2600形クハ2670号車、9000形デハ9001号車はSE車が保管されていた格納庫に収容され、更に線路自体も取り払われたことから屋外に出しての展示は行わない方針のようです・・・。決まってしまったことに関して部外者がアレコレ言っても仕方ありませんが、SE車は通常非公開でミュージアムには代わりに通勤車でも入れておけば良かったのでは、と思わずにいられません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異彩を放つ地下鉄直通車・東武鉄道20000系

2019年05月23日 | 東武鉄道

1980年代も半ばになると、首都圏の国鉄・私鉄車両は冷房搭載が常識になりつつある中、営団地下鉄の路線ではトンネル内の温度上昇を理由に長らく冷房車を導入せず駅構内とトンネルに冷房を設置して対処して来ました。これは他社からの乗り入れ車両も例外ではなく、営団地下鉄線内では冷房を停止させて運用するか非冷房車を引き続き充当していました。しかし、省エネルギー化の技術が進歩したこともあり1987年からは車両側の冷房化を推進する方針になり、既存車両の冷房化改造と冷房搭載新型車両の導入が開始されます。

日比谷線では長らく、営団地下鉄の3000系の他直通運転を行う東武鉄道が2000系、東急が7000系を運用していましたが、何れも非冷房で置き換えが検討されるようになり、その新形式第一陣として20000系が1988325日より運用を開始しました。営団の03系は同年7月1日、東急1000系が12月25日に運用開始で日比谷線系統では本形式が記念すべき初の冷房車となりました。

非常用貫通扉を端に寄せ、傾斜した大型窓を配置する独特な正面と共に、旧型車両の更新車である東武3000系列の消滅後は、数少ない18m車体の3扉通勤車として異彩を放つ存在でしたが、新形式70000系の増備で東京都心からの撤退まであと僅かとなりました。

70000系により置き換えられた20000系グループは日光線栃木地区と宇都宮線向けに改造され、20400系として既に運用を開始していますが、主に転用されているのはVVVFインバータ制御の2007020050系列で、AFE式主回路チョッパ制御の20000系に関しては先頭車のみの活用となり、また一部に他社譲渡などで再起することもなく、8両全車が廃車~解体されてしまった編成もあり、その辺は残念なところです。

地上線向け汎用通勤車10030系をベースにした車内。基本配色や金属管構成の座席袖部、化粧板仕上げの客扉や戸閉装置など大部分が共通化されています。しかし扉間の下降式ユニット窓を二組み配置するスタイルは本形式独自のものです。

 

本形式の設計を流用して製造された車両に、伊予鉄道の610系(奇しくも初代日比谷線直通車2000系の台車を流用しています・・・)があるので、もしや伊予鉄道を含めた地方私鉄からの引き合いがあるのでは?と思いきや、大半が自社線転用と廃車になったのは意外に感じる展開でした。素人には分からない改造工事などの内容に難があるのだろう、と思いますが、なかなか車両譲渡というのも難しいようですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京急ファミリー鉄道フェスタ2019開催(その2)

2019年05月21日 | 京浜急行電鉄

今年のファミリー鉄道フェスタは撮影用の展示車両は、今ひとつインパクトに欠ける並びでしたが、目玉となるのは初代1000形の公開でした。むしろこちらがメインだったかも知れません。

登場60周年記念の特製ヘッドマークを装着して展示された1000形デハ1351+デハ13561000形保存車といえばデハ1052・デハ1185が廃車後に鉄道グッズ専門店の「赤い電車」に売却され、栃木県真岡市と小山市で見ることが出来ます(1052は店舗の移転に伴い群馬県に移設済)が、何れも前頭部のみのカットモデルであるため、高松琴平電気鉄道に譲渡された車両を除くと完全な形で現存するのはこの2両のみでした。ラストランの後に長年放置され、倉庫代わりになっていた時期もありましたが、2017年に京浜急行電鉄の前身である大師電気鉄道創業120周年の節目を記念し再整備が施され、保存までに至りました。車内も公開されましたが、人が多かったので撮影はしていません・・・。

予想していなかったのが1000形の隣に置かれた20002011編成。デハ2011+デハ2018が背中合わせで並べられました。この他に中間電動車のデハ2012がノッチ操作体験に使用されており、何れも車外・車内共に部品の取り外し禁止の貼り紙が出されていました。保存を前提にしていることは明らかにされていたものの、先頭車1両だけではなく一応編成として成立(Mc1M2Mc3の形態)する姿で残るのは嬉しい限りです。しかし解体線に置かれていた5両の中間車にも同じ貼り紙が出ていたのは「?」ですが・・・。

久里浜工場公開時には一番先に来場者の目に飛び込んで来る京浜電気鉄道51形。東京市電直通に備えて1924年に登場した車両で、京急120年の歩み号でデハ1521が纏っていたラッピングはこの車両を模していました。

京浜電気鉄道の系列会社であった湘南電気鉄道の開通に伴い導入されたデ1形。路面電車の形態で走り出した路線のイメージを一新し、現在に繋がる都市鉄道に脱却させました。

今年は初代1000形と2000形を再び見る事が出来ただけで大満足でしたが、いつかは他形式と共に、太陽の下に並べてくれることを期待したいですね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする