5/27(火) 5/28(水)
クレオ大阪で、ヤングアメリカンズの働く大人のワークショップがあり、今年も参加してきました。二回目。
数日たった今も、あのアドレナリンと、歌がぐるぐるしています。
金曜日までは、声が出ない~ガラガラという状態でした。
たくさんの歌と(ほんとに長かったよ、レミゼ! )、喋りと(これはいつも)、たくさん笑った。
去年のリベンジ、とっても楽しみました!嫌な子代表から昇進。
高槻で姪のワークショップを見た時、去年とまったく違ったナンバーで、
足を使うことも多く、
ジャンプも半端なく、(これは物理的に無理だね~)と思いました。
でも、申し込んじゃったし、結構お値段もするし、
何とかなるのは去年分かったので、行ってまいりました。
音楽と雰囲気を楽しむこと、何をすべきか/何ができるか、
「健常者と一緒に参加すること」で去年ノイローゼ気味になった。
でも、導線や「こうあるべき」はさほど大したことではないことを去年学んでいたのね。
昨年は、最終リハーサル前にギブアップしそうになりました。
昨年のライオンキングは、
目玉(?)に数人が2m位の竹の棒をもって躍る場所があり、サーシャというYAが私を選んでくれました。
でも、私には大きすぎるソロだと思って・・・
彼女は、私が「人と同じことができないとわかっていても、その中で楽しんでいる強い人だと思ったから選んだ」
と言ってくれたの。Oh No.
でも初参加の私は、
導線(130人くらいがステージで踊ったりなんだりするので、回転すら大変)、
床のマイクやらなんやらのコード、
どう車椅子を動かすか、
そして他の健常者にいかに近づけるか、
どう、うまく普通の人みたいにするかばかり考えていました。
(なにが普通かといえば、もう哲学になっちゃうので置いといて)
もういっぱいいっぱいで、情けなくって、帰ろうかと思った。
ずっと一緒にいてくれたオーロラ
(やたら重たい防火扉を開けてくれたり、移動ではぐれたり、物理的にできない時に他の方法を考えてくれたり)、
ほかのYAたち、じぶん未来クラブの方々がたくさん考慮してくださっているのはわかっていたので、
・・・応えられていない自分が嫌で。
偶然、控室から舞台に戻るチャールストンと話すことができて、ショーに戻りました。
楽しかったけど、もっと精いっぱい楽しめるはずだった自分がいたはずだったから、とっても後悔。
障害を持つ子供でも受け入れてくれるプログラムだから、
いろんな人に伝えたい気持ちもあったのに、消化不良。
申し訳ないことに、ショー中ずっと、
私が帰るんじゃないか心配してくださったチャールストンに、またワークショップをとるって約束しました。
じゃじゃん。
ライオンキングも歌も一変してた!
姪の高槻ではさほど感動しなかったのに、今回は涙が・・・
昨年までのライオンキングは「変わる」ことを伝えてくれたけど、
今年のは「挑戦」を伝えてくれたと思う。
きっと去年、あそこまで私が動揺したのは、まったく変わることができていない自分がいたから。
溶け込んで、「同じに」なることに必死で。
健常の参加者と「同じ」って・・・けっこう矛盾してるわ。
今年のソロはディーでした。赤毛のハスキーボイス、面白い子。
私の”Yeah?"(ほんまかいな)がおかしい、と言ってた。
いろいろ話していく中で、夢とか、好きな言葉とか、結構核心に触れる部分まで話すことになった。
今年は去年のリベンジでWSに来たんじゃないかもしれない。もしかしたら、もっと別の事に立ち向かうために来たのかも、って気づいた。
歌とダンスの超激しいワークショップとは無関係に思えるけどね。
夢にも思わなかったわ。
ワークショップもショーも楽しかった。(疲れたけど・・・)
母校ではソプラノだった私。
でもカラオケとか一人で歌うのは好きじゃない。
ソプラノのリードをされて歌う程度で、話す言葉は低いように思う。。。
なのでソプラノ2を希望。
でも、移動に遅れて男性やアルト席に座る羽目に・・・大混乱。
一緒にいたミーシャが「もっと高く歌ってみて!」「もっと」とか言って、近くにいたグレーシーにも加わってもらって、ソプラノ①が出た。
高い声を出す方法も教えてくれた。
(いつ使いますの?)
また別に、移動で遅れを取った時は、レイシェルがシンディ・ローパー、マドンナの振りと動き、
(超短期記憶。さっき習ったのに→)レミゼのPeople's SongsとNew York New York,
そしてAt the end of the Dayを1:1で教えてくれました。
ミュージカルを見るのは好きなのは知ってたけど、私、グループだったら歌うのも好きかも。
最後に、ディーとニックが、シメの歌If We Hold on Togetherの、初めの手話のソロをくれました。「もし自分と未来を信じていたら、夢はいつかかなう。あきらめないで」みたいな歌詞。
今、子ども達を教えるのにとっても価値を感じるけど、もう一つやってみたいことが増えました。今なら動揺せず、社会学的にも考えながら取り組める気がする。
YA関係の友達、そのまた友達も、成功させることができた大きな理由の一つです。
ありがとう♪
英語を話すことに関して、自信というものが絡んだことのなかった私。
英語を話す自信があるとか、ないとか、そういう話ね。
(あれだけNZにいたら、話すでしょ)みたいな。。。
でも、「英語で意思を伝えられること」に目を向ける事も、YA友達が教えてくれました。
私も含めて、「いわゆる健常者ができて、私が出来ないこと」に目を向けがちなんだけど…
いつもの薬の時間にワークショップ中で、それに気がつかなくて、痛みに悶えて客席で休んでいたの。
(↑バカ。だってー。夕飯を5時前に食べちゃったんだもん)
それに、舞台での練習が短いとわかっている時、舞台裏のスロープに回るのが面倒で、客席で歌っていたの。
☆言えば、マッチョなYAが正面から車椅子を上げてくれたんだろうが、次の導線が読めないので、
客席の車椅子スポットだと、いずれの方向にも行ける(はず。でも一人で移動すると迷う・・・)
そのときに、側にYA達が来てくれたので、個人的にお話も出来たんだけど。。。
自分が舞台にいたときに、他の参加者が客席にいると、勝手にソロ練習だと思う、この偏見。
一度お友達が客席にいて、ソロ練習だと思ってたら、足がどうにかなったかなんかで、お休み中でした。
人ってそんなもんよね。
私のことも、「何ができない人」って思ってる余裕は、あの高速振り移しでは、ない、多分。
でも、段差が難しいとか、ドアが重いとか、動きがひとと違うから一人ヤングアメリカンズがついてくださるとか。。。
それは常識の範囲内でわかっていただけていて、それがOKな場所。
去年は、私ばっかりソロ取ったり(singing circleで歌いもしないのに)申し訳ないなーと思ってた。
でも、私が思うほど、人って何も思ってないんだろうな、って思えたのは収穫。
(でもやっぱり、singing circleのとき、今年は思いのほか、皆様挙手をしてらしたので、
”私はどうせ、導線上なんぞ人と別のことをするだろうから、それも考えようによっちゃソロだし、下手にPo Karekare Anaなんて歌ってしまって、なんかソロを渡されてしまったら困る。。。”
と思って手を挙げなかったのは事実。次回は状況を見て歌おう。)
そして、困ったとき、「困ってるから何とかして」って言えたのも収穫。
言える雰囲気だった。
受付が地下一階で、エレベーターを安全のために停めているから「キャー!!」とか
「 移動ではぐれた!!」とか。。。
「足の動きがしにくいからどうしたらいいと思う?」とか
「舞台裏のマイクスタンドがなければ、一人で移動できるんだけど。」とか
「遅れてきて、固まりの後ろにいて聞こえなかったから教えて欲しい」、とか
言葉を操ることができる、というのは自信になったかな。
車椅子で参加しているリタさん、より、
リタさん(が車椅子に乗ってる)って思ってもらえてるこの心地よさ。
まあ、みなさん、脳みそパンパンでご自分のパートを歌ったり踊ったりされてたんでしょうが。。。それも私に進むちからをくれました♡
みんな、愛してるよ―――!
また会おうね。