maple valley ~乙女手芸部~

高校から再び特別支援学校へ
大好きなものづくりと日々のあれこれを
のんびりと綴っていけたらと思います(^^♪

信州特別支援カンファレンス2015 ⑰

2015-08-23 09:37:07 | 乙女手芸部
実技講座も一応、無事に終了して\(^o^)/
頭がふわふわしたまま
リブロホールへ。

今年は実行委員長の
Toru's barへご招待いただきました。

その話の中で、えっΣ(゜Д゜)と思ったのが
小学校のお習字。
会場にいた小学校の先生が2?4年生?といえば
実行委員長が「麦」ですよねー。ってΣ(゜Д゜)
即答。そうなんだ。全国の2?4年生?は
同じ時期に一斉に「麦」って書くんだ。
麦を見たことあるとかないとか関係なく「麦」。

教科書があるのだから当たり前と言えばそうなのだけれど
小学校経験のない(免許がない)自分はそのやりとりに改めて驚く・・・
というか半分怖さを感じる・・・

前日の脱力化でも出たけれど、制服、給食、清掃、白文帳、などなど
やっぱり学校には摩訶不思議なことが多すぎる。
時代が進めば進むほど現実の生活と学校生活の乖離は進んで
いくのは明らか。

制服ネタばかりで申し訳ありませんが

制服が導入されたころ、日本は和装から洋装への転換時期で
つまり、洋装文化の入り口だったわけで、
そういう時代背景から制定された女学生の服装。
なかったから、始まりは何となく“与えられた”わけだけれど
女学生服装制定の会議で与謝野晶子らは「今後、日本の洋装文化が成熟してくれば
制服は必要なくなる」と言っていたように、今はもう
洋装文化が定着して洋服が当たり前に着用され、安価に作られ
種類も豊富で選択もできる時代になっている。
とすれば、服装という観点で言えばもはや制服は必要ないということになる。
しかし、服装という観点以外の後付けされた理由が制服の価値を
高めている。
学校マジックによって、あたかも正しく聞こえる
理由が“後づけ”されて指導されたり
考える間もなく、決まっていて押し付けられることで
考える機会を奪われる、もしくはもう疑問すら感じないで
自動的に受け入れる傾向が着々と培われる・・・

実はこれって、洋装(服装)文化の成熟を妨げているのではないか?と。
“正しさ”ゆえに文化そのものを痩せ細させていくことになっているのでは?

多感であり多様な価値観に触れてほしい中学、高校時代に制服、体操着、給食着
、手ぬぐいなどの着用義務が・・・
服装という観点以外の理由で厳しく指導される経験が・・・
服装について考えることを鈍らせる。

だから学校時代が終わると“何を着たらいいか分からない”という
現象が起こったりするのでは?
その本質的な問題を置きざりにしたまま
雑誌はこぞって“失敗しない女子大生のコーディネート一週間”とか
“これで完璧!社会人コーデ”とか特集して
学校が終わったのにまた教科書生活(笑)しかも有料。
可笑しすぎる!?

カンファレンスが終わって2学期が始まったけれど
学校って、何かを止められないし、力を抜けない。
ってことを初日から目の当たりに・・・

しかも褒めるのが苦手だから、ほぼできていることも
できてるからいいかーとはならなくて"ほぼ"を"完璧"に
高めようとしちゃう。

制服だって洋装(服装)文化がだいぶ定着してきたから
もういいよねー、あとは個人で考えてもらってーとなれば
もっと違うものが生まれてくるのかもしれないのに
止めれないし力抜けないし、できてることを肯定しない。
枠を緩められないから中をどうにかする方向に意識が向くから
やいのやいの言う・・・
中に中に意識がむけばそこにいられなくなる人が増えるのは
当然(*_*;
特別支援以前の学校のブラックな問題ー。

うまくまとめられないのですが
学校で起こっていることが文化の成熟を妨げているとしたら?
と考えたToru's barでした。

(森先生によると
学校という体制は文化の受容機関として
そうとうにおかしなことをしている・・・と
書かれていますが・・・)
コメント (2)
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