今日は「和菓子の日」、洋菓子もいいですがこっちも大好きです。
今日は久しぶりにお茶でもたてて貰いましょう。
きのうの朝、「あさイチ」でトウモロコシの捨ててしまう芯やヒゲの料理の
仕方を紹介していました。皮も上手にスポンと抜く方法がありましたね。
きのうは涼しいうちにと9時に出ました。秋葉台公園を逆コースで、帰路スーパーに
寄りました。 ハプニングがありましたね。
公園横の歩道をしばらく行き、ひょっと後ろを見たら妻がいない・・???
元の交差点に戻ってもいない、すわ「神隠し?」と慌てました。
それで、30mくらい離れた体育館の方を見ると、妻が手で「向こうで」と合図を。
先に行って待っていると、「トイレに行きたかったので」と。一件落着でした。
ここまで、5,000歩でした。
午後は2週間ぶりにマッサージへ。往復バスにしましたが、万歩計は7,100歩を
記録したいました。
以下はネットにあった長い解説です。
和菓子の日 | 全国和菓子協会 (wagashi.or.jp)
西暦848年(承和15年・嘉祥元年)の夏、仁明天皇が御神託に基づいて、6月16日に
16の数にちなんだ菓子、餅などを神前に供えて、疫病を除け健康招福を祈誓し、
「嘉祥」と改元したという古例にちなみます。
「嘉祥」とは文字通り「めでたいしるし」であり、鎌倉時代には、のちの後嵯峨
天皇が東宮となられる前に、6月16日に通貨16枚で御供えの菓子などを求めて献じ
それを吉例とし、皇位継承の後もこのことが続けられました。
その後、室町時代の『嘉祥の日』には、朝廷で主上に「かづう」(女房言葉・かつう、
かずうともいう=「嘉祥の祝」の菓子のこと)を差し上げるのが吉例であったことが
『御湯殿上日記』に記載されています。
また、慶長の頃、豊臣秀吉が「嘉祥の祝」を恒例として行っていたことが『武徳編年集成・
四十四』に記載されています。江戸幕府においては、この日、大名、旗本など御目見得
以上の諸士に大広間で菓子を賜り、これを「嘉祥頂戴」といい、菓子は白木の片木の上に
青杉の葉を敷いてその上に積んであり、一人一個ずつ取らせたといわれます。
民間においても、「嘉祥喰」といって銭十六文で菓子や餅十六個を求め食べるしきたりが
ありました。
また、この夜に十六歳の袖止め(振り袖をやめて詰め袖にする)をする「嘉祥縫」という
風習があったほか、6月16日に採った梅の実でつくった梅干しを旅立ちの日に食べると
災難をのがれるという言い伝えがあり、「嘉祥の梅」といいました。
このように、「嘉祥の祝」は、疫を逃れ、健康招福を願うめでたい行事として歴史の中で
受け継がれ、明治時代まで盛んに行われていました。この『嘉祥の日』を現代に復活させた
のが「和菓子の日」です。